内緒だよ

リニューアルに当たってなんかカッチョいいブログ名にしようと思ったけど、ぼくのブログとしか言いようがないや。

最近読んだ戯曲についての感想というか演出妄想

アイタタタタタタ。

戯曲のセレクトはまあまあセンスあるかなと思う

  • 2014.06.02 Monday
  • 22:19
 
昔読んだ戯曲の再読ブームが突然始まった。電車とか上演中とか授業中(ガッコ行ってるよ一応)とか。まあいろいろなところで読んでる。最近読んだ戯曲をとりとめなく

ガラスの動物園

初読はメロドラマだなと思ってぶん投げた記憶がある。メロドラマって本来の言葉に罪はないのだが。
今回はねえ、体調のせいか、周りの環境状況のせいか、結構きちゃったんだよなあ。
最近、金魚のアトリエに通っている。(是非ご来場くださいませ一応ぼくの予約フォームですhttp://ticket.corich.jp/apply/54690/007/)
なんとなく、そこでの上演を想像しながら読んでた。
最初、今回の舞台を観たとき、こんなところで演出つけられるんかなと思った驚きと、実際、演出がついていく様子を、助手として横で観て感銘した気持ちの現れだと思う。あの舞台空間における「不自由な空間における面白さ(舞台美術のサカイヒロトさん談)」が「ガラスの動物園」における『追憶』になんねーかなって気がした。
あと、戯曲でスクリーンの使用の指定(推奨?)されてて、そこが舞台が出来上がる前にあった白い壁みたときに「なんか映像写せそうだな」となんとなく思ったのも原因。(実際にどうなったかは是非ご来場くださいませhttp://ticket.corich.jp/apply/54690/007/)
ただ、ちょっと流石に現実的にアメリカの家庭を描くには狭すぎるかな。でも、あの家族の心理的な狭さ閉鎖感の表現としてはいいかも。

なーんて、妄想して楽しんだ。

ちょうど、前いた劇団の同じ学年の子(英語専攻!)が授業で、ガラスの動物園を扱うらしくツイッター上で盛り上がった。ぼくのツイッター遡るとなんか色々と会話してるのが見えます。こっちはよくもまあ、金にも単位にもならないことやってんな、と自分では思う。

話をしながら、ポロっと母への息子の近親相関的愛も盛り込むと面白いかもと言ったのは、脚本から読み取ったというよりは、大分前みた西川美和監督の蛇イチゴのワンシーン、母が息子に見せた目が頭に強烈に残っていたから。ガラスの動物園で読み取れないこともないけど、単純にサービスと起伏のために使いそうだな。

ジムが、現実からの使者なのはまことに面白い。

エレジー
昔、新人公演で候補に上がった脚本である。
なにかで清水邦夫の話を見かけて、そういえば、脚本のデータと持っていたなと引っ張り出して読んだ。
正直、昔(といっても2年前だけど)よくやろうと思ったなと思った。あの時のぼくらが挑んでたらどんな舞台になってたのだろうか。

今ぼくが演出をつけるなら大分抽象性が強くなると思う。上のガラスの動物園読んだあとの影響もあるけど、『追憶』を全面的に押しているだろうな。まあタイトルも哀歌だし。
ちなみに脳内劇場は新人公演をした大阪大学の大集会室。そこそこの広さとフラット感が魅力。
正方形の舞台に4面客席か3面客席か、角を挟んだ2面客席か、1面客席(全部やないかい)
んー、いやコントと化して欲しくないなという気持ちがあって、何回か読んで色々とどう見えるか検証して遊んでた。
映像とかも使いたいしね。上から照らしたり
なんか音楽はあんまり聴こえてこなかったな。序盤ヴァイオリンの単音がちょっと聞こえたけど。でもこれパクリだしなあ。効果音のほうは現実に即した音というより、登場人物の心理的な音を重要視しそう。

凧がこの脚本でわりと重要な役割果たすんだけど、舞台上で風がどうやったら吹くものかと、3日ぐらい悩んでた。意味もなく。音でも扇風機でも可視化でもないんだよなあ

エダニク
これも新人公演候補。
これはそこそこの広さの劇場で適当にパネルで囲ってそれなりにセンスよく暗い具象舞台でやりたいなと思った。屠殺室を実際に見たことないけど。
この脚本はしっかり書き込まれている分かなり気を使った演出をしそう。しーんごとの三人の関係とか扱ってる題材のバランスとかに。実際に工場見学くらいはすると思う。
読んでる最中脚本から変わった匂いがただよっていた(比喩だよ)
どの程度の笑いを脚本は求めているのかとかも悩みそう。

ネットで本家の舞台写真があがっていたんだが、イマイくんのいしょうに異議ありだった。新人公演当時、イマイくんによく似たイマイくんって人がいたんだけど、再読してもイマイくんはイマイくんだった。そうそう最近世の中狭いな、というか、ぼくが所謂少劇場界隈に少しづつ進んでいるな、と思うことがあった

匿名劇壇を賞賛す!偉そうやなしかし(観劇17)

これは本当に面白かった。記事自体もよく書けていて読み返して結構好き。もっと色々書けば良かったのに。

  • 2014.05.31 Saturday
  • 23:23
 
朝投稿したやつと打って変ってクソ面白かった。匿名劇壇「二時間に及ぶ交渉の末」。
何人か誘ったんだが、誰も来なくて一人寒しく観にいった。いいもんね。一人で観たほうが客席でカッコつけなくて観れるもんね。

いやあ面白い芝居に対しては、どうも色々言うのは本当に気がひけるんだけど、メタ演劇というジャンルの到達点な気がした。
正直、前回のやつはまあつまらなくはなかったけど、どうも受け取る僕も作る側にも手が余った感じがあった。
今回はかなり等身大にセリフやシーンが描かれていて、役者の方にも受け取る俺にもしっくりいってたと思う。ストーリー運び的にも長々やられると辛いものがあったかもしれないが、週刊ジャンプ的に話の盛り上がりを切りながら(かといってものすごく続きが気になって今上演中の話に集中できないというほどでもないバランス)でメリハリがあって飽きずにみれた。

そもそも舞台美術がよかったなあ。おうてんいんの客席はどうもオペ席の二階のせいか、空間は広くフラットなのに変に奥まったちぐはぐなイメージがあった。少し前にセリださせて、ちかしい空間になってテイストにあってた。

あんまし俳優褒めないけど、男優が抜群にうまい。よく自分自信も他者も観察し、それに見合う表現力もあると思う。女優は若干口跡が悪い人がいる気もするが美人だな。

最近、脚本兼演出を担当する人と演出と分かれている人についてちょっと考えてた。演出のみだと基本的に脚本への疑問視や違和感から出発し、解釈で紐解いていくイメージがある。一方、脚本も書いていると脚本に絶対の自信があるというか、自分で書いてるものは他の人もぼんやりとは理解できていると思っている、そんなイメージ。後者は独りよがりになる傾向が強い。特に最近観た劇は基本的にそれがつらかった。
今回、匿名劇壇の作品はそれがいいほうに転がってた。「俺のスーパー面白い脚本を俺のよく知ってる役者で見やがれ、このやろう!」の精神がすっと入ってきた。実際、演劇通ぶっている人(俺だ)にtwitterでみると絶賛だし。
具体的に例えば、あの脚本を別の演出家が演出していたら、シーンの切り替えは過剰に盛っていたと思う。
あとなんだろうな。


メタ演劇は劇団がデカくなり大きいホールでうているようになるにつれ、その分メタ成分が「他人事」になっていくのが課題のような気がするが、その辺をどう料理してくるのか、勝手に成長とともに楽しみにしている。

オレショウダウンヲミル(観劇15)

デートで行ったんじゃないかな。

  • 2014.05.25 Sunday
  • 08:16
 
今回、劇団ショウダウンの錆色の瞳、黄金の海を観に行きました。

まあ、はっきり言ってぼくのシュミじゃないんだが、前回の一人芝居も面白かったしたまにエンタメも何か発見があるかと思い、誘われるがままいった。お値段それなりにするが…。

客層の年齢層の高いこと。でも、わりと純粋に劇自体、ファンタジーなストーリーも演技も若い人向けだと思う。
ゲームのテイルズオブシリーズとか好きな人は特に好きだと思うんだけどなあ。ぼくはテイルズシリーズはアビスしかやってないんですが。

ぼく自身ファンタジーというか、ああいう世界観は実は嫌いじゃない。ゲド戦記とかも、酷く評判の悪い映画になる前小学校のころ読んでたし(原作は面白いよ)、上橋菜穂子守り人シリーズとか特にハマって読んでた。最近でも、時たまRPG中古で買ったりするしね。ブレイブリーデフォルト面白かったよ。今もほとんど進めてないけど、ポポロクロイスやっている途中だ。

だけど、わざわざ演劇でやる魅力がない気がするのです。ゲームほど、「オレが世界救わなきゃ!」「オレが剣と魔法の世界にいる!」っていうオレのこと感もないし、本ほど無限の想像を膨らまし世界観にどっぷりとつかれるわけでもない。
そんなことを考えながら、最初20分くらい演出を中心に観てた。劇でやる意味がないんだよなあ、と思って。で、途中でこりゃいかん、高い金払ってるんだから、エンターテインマイセルフと思って観方をストーリーを追うほうにかえた。
そこからはまあまあ楽しんだ。

前回よりは感じなかったが、ここの台本は喋りすぎる。言わないで、想像させてほしいところも言ってしまうのがもったいない。
今のセリフは台詞じゃなくて、科白でよくねと思ってしまう。
あとストーリーのツッコミどころを全部直接書いてあるのはちょっともったいないなと思う。ツッコミし放題よりはずっといいけど露骨に潰しにかかったなと思ってしまった。
例えば、主人公の男の子がゴーレムに固執する理由が少し足りないなと、観てて思ってしばらくすると、お母さんが直接、なんでゴーレムに固執するの?ってダイレクトに聞いてきたり。ファンタジーにおいてはぼくは作者が透けるのが嫌なのかな。あともう一個あったんだけど、どこだったけな。

上で、演技も若い人にウケるのでは?と書いた理由として、アニメ声優ぽかった。いわゆるアイドル声優ではなく、実力派声優って感じ。
昔、は舞台役者上がりの声優さんが多いと聞く。ぱっと思い浮かぶのはドラゴンボールの悟空の人とか。

まあそんな感じ。
あ、そうそう。ちょっと別個でアイディアメモとして残していくけど、水中の音っていいね。あと水中を表現するのって挑戦しがいがありそう

わが星をDVDで観てうれしくなる(観劇番外01)

絶賛してるけど、ちょっと恥ずかしいね。

ままごと自体内容は幼稚だし。

poorplays.seesaa.net

この二匹の猫ちゃんのおっしゃることに大部分納得できる。

去年話題の「君の名は。」に通ずるところがある。

佐々木敦がムカつくってことで記事かけそう。再受験時のセンター国語でこのひとの文章が出た。190くらいとった。じゃあなんで国立医落ちてんだってへこむ。

  • 2014.05.23 Friday
  • 06:15

 

いまさらながらDVDでままごとの「わが星」を観た。
面白かった。

わりと、ちょっと前リズム読みがブームで、キモくて、うるせー何がリズム読みじゃ、ラップじゃ、人間喋ってればなんでもリズムだし韻は踏むし、それを殊更鬼の首とったようにしやがってというスタンスだったんで、その頂点たるわが星は台本もパラっとみたくらいで結構避けてた。(すげー言い草だな)


うん、面白かった。つまんないと思ってたジャンルで面白いものに出会うと嬉しい気持ちになる。




で、このブログ終わっていいし、変に書く必要はないんだけど、まあちょっと書かせて。

まず、ちゃんと観て始めて気づいたけど脚本が面白い。
エピソード自体は王道中の王道のなかでも、ちょっと別格扱いの「人の一生」と「ボーイミーツガール」なのねん。これはもうずるいよね。
それをいかにいやらしくなく描きたいものを描くセンス。あとギャグセンスもいいなあ

劇の構造としては、最初インパクトの強いよくわからないものを置き。そこから急にとっつきやすいシーンになって観客を安心させ、少しずつ進めながら、「よくわからないもの」をお客さんに頭ではなく、感覚的になんだったかを理解させる感じだろうか。
ここも、観客にかなり寄り添っていて、お客さんの変化のスピードとピッタリ一緒だったように感じる。

ラップというか、四拍子のリズムに合わせて読む読み方だが、そもそも脚本上、「時間」「鼓動」を演出するにあたって使用した演出だと思う。演出に必要性があったというか。光速を表現しやすいし。
あとリズムに合わせて読むにしても、裏拍でセリフを読んだり、三連符を使ったりと単調にならないで、すっと入ってくるように気をつけてあった。
下手な、無理やりなシャレは一切なかった。素直に「~ない」の連続でも韻を踏んでたし。

全体的にオレもああいうこと思いつけるようになりたいけど表面上パクっちゃ効果ないんだよなあ

エイトビートのせいか、2001年宇宙の旅のあの曲のせいか、宇宙(科学)の捉え方がNASA的だったからかところどころアメリカのニオイがした。
だから、どうだってわけではないけど、世界=アメリカって感じがした。
宇宙(星)の研究って割と簡単に通説がコロコロ変わるから、そんなに踏み込んで大丈夫?とちょっと思ったけど、そもそも演劇ってその時代、その瞬間を切り取るモノの考えだと意外と科学と相性いいのかも。


追記
ちょっと読み返して仮にも理系として恥ずかしくなったので追記すると、小学生向けの科学雑誌レベルの科学である。

がっかりアバターでがっかり(観劇14)

たしか恐ろしいほど閲覧数が跳ね上がった。エゴサされたのかな?

  • 2014.05.18 Sunday
  • 23:54
 
うわさのがっかりアバター「あくまのとなり。」をみました。

なんか稽古場や脚本書いてる時に生まれたものを何の疑いも加工もせずにそのまま舞台上でやってた演出だった。ぼくもああいうのを見習わないといけないかもなと思わないこともなかった。

なーんて、書いてるがようは面白くなかった。「普通に」「そんなに」面白くなかった。酷評とか賛否両論じゃなくて。
終始グダグダしてるし、脚本もまあ気を狙う芸風ならこう進むわなっていう展開ばかり。
松尾スズキさんを意識されている感じたが、ぼくは松尾スズキの一番好きなところはド派手エログロに見えてセンシティブで、何よりも時に大胆に時にしれっと伏線(あんまし伏線って言葉好きじゃないけど伏線)を最後回収して、もう一回ぶん投げて終わる構成力なのでわりと真逆にいる感じだった。

観てて最初のうちはまだ、オレだったら演出こうすると脳内で思って楽しんでたけど、後半の脚本のやっつけ感でかなり飽きてた。役者も二人くらい下手なやつがいたし。どうやらオレのラインとして2000円を超える芝居でヘタクソな役者がいるのはどうにも我慢ならないらしい。


何かで読んだんだが、昔だったか海外の話だったか、劇場で野次を飛ばすのがわりとありな空気だったらしい。
何回か、役者個人にやら、演出に対して野次を飛ばしたくなった。逆に、面白いと思ったときには拍手やら大声で笑いたいときは笑いたかった。どこか忘れたけど、「お見事!」と言いたいところもあった。ライオンのどっかのセリフ回しだっけ。あとヘビの弾き語り。
幼稚園のお遊戯みたいな序盤が、ぼくを園児に戻し、つまらないときはグズり、面白いときはキャッキャ笑いたい気持ちを助長させたのかもしれない。

成長を見守る若手劇団としては面白いのかもしれんけど、その公演その公演自体は、つまらんかったなあ。初めてみる劇団だったし。うわさをよく聞くけど。わりとあの商法自体はぼく好きなんすよ。パンクで

なんか中身について書こうと思ったけどたいして書くことないわ。
天国とか地獄とかはレイプや借金取りを使わない方が描写できると思うけどなあ。


舞台で本当にオシッコもらして、ゲロ吐けばいいのに
それはまあ言い過ぎにしても動きの段階でアクロバッティックじゃなくて、ロックじゃないなあ

最近話になった演劇についてのオレ論的ななにか

なに言ってんだこいつ。

  • 2014.05.17 Saturday
  • 15:57
 
なんか何かに発信したいけど、取り立てツイッターで結局お前の結論何?みたいな長文書くのもなんだかなと思うのでこちらに書きためる。

ま、話の発端はこの記事でして

ニコニコ動画が変えた新しい演劇の見方――劇団キャラメルボックス、舞台を生放送する理由 (1/2) - ねとらぼ http://t.co/2lN5aLkiYu

何回かぼくの出てる芝居には見にきてくれたが、結局俺芝居好きじゃないと思うって言ってる人がこの記事を見つけてきた。そいつにとってはこれだったら演劇観てもいいかもという感じだろうか。

色々と話は別れるのだが、まず演劇を映像にすることについて。
実際ぼくも、数枚演劇のDVDをプロアマ問わず持っているのだが、正直「まともに」観れるものが少ない。
ぼく個人の能力というか、身につけようとしている能力として舞台全体が映されていれば、演出がどの辺りにお客の視点を集めようとしているか、またはたいていのお客さん(俳優ファンやひねくれた人以外)の視線の集まる場所が推測できる。
ただ演劇に始めて触れる人が映像でそんなこと理解できるとは思えない。
それに、この能力は「狙い」が推測できたとしても「狙い」にハマるわけではない。たとえば、演出の人がこのシーンはシリアスにしようとして上手(舞台右)に出てる役者を集めてみる。
実際に生で舞台を見れば、お客さんに「うわーシリアス」と肌で感じてもらえるが(その視線の移動が上手くいってればね)、映像だと「シリアスにしようとしてなーあーこーすれば、いいのか」になる。

そういうわけで舞台において重要(と少なくともぼくは思う)要素が映像だと抜け落ちている。
で、これの対策としては複数カメラを用意すればいい。もちろん人件費は単純に考えれば2倍3倍増えるが。
これによって、あとで編集すれば、有る程度本来の視線の移動が再現できる。
ただこれには問題点がいくつかある。
まず演出家は映像の撮り方、カメラワークによる効果、編集方法を知らない。映画監督もする演出家はいらっしゃるだろうが全員がそうではない。
もちろん、映像さんがその意図を取り込みながら映像を作っていけばいいのだが、あまり連携が取れてない気がする。
一つ大きな要因として、演出家が照明さんや舞台さんと連携を取って作品を作る感覚と違って、演出家のなかで「終わった」ものだからだと思う。まあ記録は欲しいし、物販でも売れるし、くらいの感覚ではないだろうか。

つぎに、これは話すと長くなるので割愛するが、お客さんはある一点に集中してもいるが、無意識に舞台全体も把握していて、それが彩りになる。見方をお客さんに取捨選択させて能動的に劇を見てもらうことはよくある。
それを切り落としてしまいがちになるカメラを使いこなすのは非常に困難。

以上のことは、わりとまあ最近意識されてる気もする。
ただまあ、音声については絶望的に酷い。
音量バランスというものがまるでできていない。
編集する人はその劇そのものを観ているせいなのかなんなのか音量が極端小さくなったり、大きくなったりする。機械的に処理すると実際はそのボリュームなのだろう。
ぼく自身DVDを観ながらリモコンを握ってボリューム調節しながらみたことが数回ある。別にアマチュア劇団に限った話ではなく、世界的に有名(?)な劇団でもあることだ。
人間の耳とは以下に繊細に人の声を拾うものか痛感し、感動すら覚えた。
カメラ3台準備するくらいならカメラ1台とマイク3台準備したほうがいいとぼくは思う。
また映像さんも、色彩やら構図やらにこだわる人は多くても、音にこだわる人は少ないのかなと勝手に思っている。

以上の点からぼくは、演劇をそもそも映像化できていないと感じる。(できないと言っているわけではない)

そして以上の点をクリアしたとしてもそれは面白いのだろうか。
多分だが、従来の完成した芝居を映像にするのではなく、映像化を最終目標に芝居を作った場合、芝居そのものが変わっていくと思う。わかりやすい具体例だと、画的にわかりやすく派手なものが好まれ、役者は腹から声を出さずピンマイクを全員着けている。あれこれって…?

まあ、冗談は置いといても、「映像として面白い演劇」をテレビやらネットやらで多くの人に興味持ってもらい、実際に劇場に来たとしてもそれは彼らが期待してた面白さではない。そして、ああやっぱり演劇って面白くないなと思っていく。

要するに、色々な人に演劇観てもらうには面白いということを伝えないといけないのだが、
ネットで映像流すことについて

今の映像はちょっと状態が酷いものが多いよ→それを観た連中が演劇ってクソとなって演劇観ない



映像として面白い演劇ができた→それを観た連中が劇場で演劇観たとしても、期待したものと違う。その人は演劇から離れる(ネットだけで演劇を見続ける新時代の観客はできるかもしれないから、それはそれでいいかもだが)

って感じかな。
ちょっと話がネット配信以前の話になったけど。また今度ネット配信について書いてみるかも

つーか、そもそもとして、ぼくの友達もそうだけど、友人が役者で出てるから舞台観るっていうパターンがわりとあるけど、映像云々以前に世の中つまんねー芝居が多すぎるんだよ。ただでさえ、知り合いが出てるっていうのでなんか劇に入り込めないっていうのに。
なに言ってんだ俺。
何言ってんだついでに書くけどさ、上のキャラメルボックスのあれって新規顧客獲得を目指してるんじゃなくて、従来の客への新しいサービス(良い言い方をしたら新しい楽しませ方、嫌な言い方したら儲け方)じゃないか?楽屋放送とかさ、コメント機能とかさ。演劇の他の観客との共感や疎外感は、流れる文字じゃない。肌で感じろ!

結局ぼくがあんまりいい案と思えない理由はぼくが演劇の一番で(唯一?の)魅力である、視覚、聴覚、触覚が全て台無しだと思うからか。

演劇13

覚えてない。でも「不細工」っていうテーマは最近気になってる。

形成外科方面で。

  • 2014.05.11 Sunday
  • 00:53
 
最近日誌更新してないわけで。したがって閲覧数も減っていくわけで。
そもそも演劇観にいってないしね。
行くと気になるチラシを貰ってまた行くのサイクルができるんだけど。
俺ブログに何書いてたんだっけな。とりあえず思いついたままに書こう。

演劇グループsomethingのブスサーカス観に行きました。
宣伝メール貰ってすぐ、変なタイトルだなネット公開してる脚本かなと思ってネットで検索かけて、へー東京の劇団の脚本なんやと思った気がする。
それから深く調べてなかったので女性6人芝居だとか、一場モノとかは知らなかった。サムのチラシも見ていない。

観た感想。まあまあ面白かった。
70分と比較的観やすい単位だったし。サムシングはなんだかんだ年に1、2回は観ているんけど、ドヘタクソがいなくていい。役者も演出もスタッフも。探してみれば、アラはあるだろうけど、どこもそんなものかなと思っているので。
ただ、ちょっと手前の席の子どもがグズグズいってたのもあってうまく入り込めなかった。
前半わりとこの前ぼくが演出を担当したフローズンビーチに似てないこともなくて、観ながらそれの反省していた。
やっぱり、一場を切り取る具象劇において妙に客席を意識した配置っておかしいのかなあ。テレビ的に云えば、並んで座る食卓とかね。サザエさんは上手いことやるもんだ。
昔から気になる課題で、相変わらず答えをださないままでいる。
セットとかも(ぼくらの予算技術で)作り込めば作り込むほど、荒はでるし、建物が息してない気がするんだよな。学生が頑張って作りました感を大事にするならそれでいいんだけどさ。

最近、脚本家や脚本を書こうとしている人のそばにいることも多い。
それで、演劇(とりわけ最近の)はストーリーを描くんじゃなくて人のココロを描くこと、とよく言われてるよなあって話になった。
今回のブスサーカスもあらすじを書けば、女6人がちょっとしたことから微妙なバランスで保っていた関係に亀裂が入り、次第に殺しあいをしだすって話なわけで。そこに殺しあう微妙な心理の機微が演劇なのかもしれない。
最後はちょっと謎で残念な終わり方だったな。脚本か演出かわからないが、多分ダンスとサスペンスのチグハグさによってエグさを狙ったんだと思うが、もっとバーンと登場しないとインパクトにかけてなんかグズグズして終わっちゃった感。ぶっとばすときはぶっとばすのも大事だな。

なんか観ながら、本家というかプロがやったらこんな感じかなとっていうのが何故か演技や舞台セットが想像できた。一度もみたことないのに

派手な演劇ではないので具体的な効果について書くよりは、内容に踏み込んで書く感じになるな。
芝居の焦点を何処かの段階で最後に残った女の子に絞りにかかったほうが最後、え、ってお客さんはならなかったと思う。相方の子との関係というか相方の心理を序盤に伏線みたいに軽く匂わせておくとよかったかも。それこそ最後ココロが見えなかった。
ぼくがやるならサスペンスというかホラーテイストを露骨にエグくやって、コメディはちょっとまぶすだけにするなあ、と勝手に思った。「冷たい熱帯魚」とかみたいに。

帰り道、結局「ブスサーカス」ってなんやったやろうと思った。正直商業的タイトルセンスは微妙。宝島社なら絶対タイトル変えさせられただろう。
演出として「ブサイク」心理を強調したりなかったのかなあ。
体にまつわるコンプレックス、特に顔面のコンプレックスって残酷だけど、人はみんな全員抱えていると思う。女の子はもちろん男でも意外と容姿に無頓着な人もふっとした時、ここは気にしているラインがあってびっくりする。おばあちゃんにメイクをキチンとすると態度まで若々しくなると聞く。逆に、イケメンナルシストも、それを誇るということはある種コンプレックスの反動だしね。
そういう多くの人が抱える薄皮一枚の悩みを観客に残酷に突きつけるのではなく、そこを引っ掛けにして観客を包みこみ導入していったかなあ。そんなブサイクの滑稽な様子を観客が眺めることがサーカスで、ブスサーカスなのか?

この前稽古場で、「ファミレスで大喧嘩するカップル」を遊びで昔本当にファミレスでやったって話から、芝居って日常だと直視できない様子を求めてお客さんは来るのかなって話になった。電車の中で奇声をあげているひとがいるとみんな聴こえないふりする。非常に日本人的だが。なんかその話でちょっと、あっ、て思うところがあったんですよ。
そんなこともあって、「サーカス」の言葉の意味を連想した。

読み返して、酷く読みづらい文でびっくりする。しばらく定期的に書いてた時は、徐々に(自分の中では)文章が上手くなっていって面白かったんだが。というか演出してえ、が、時間がねえ、暇がねえ。