内緒だよ

リニューアルに当たってなんかカッチョいいブログ名にしようと思ったけど、ぼくのブログとしか言いようがないや。

無料案内所の灯りはマニュキアみたいで綺麗だ

ぼくが風俗に行かないのは、中途半端な自尊心の高さと未知のものに対する恐怖からに過ぎない。

できればぼくも女の子とエッチはしたい。いつだって頭はそれでいっぱいだ。
男同士の会話ではたまにそういう話題がでることがある。人生経験として一回くらいは行ったことあるさ、と言った顔でほんの少し1ミリだけ口角をあげて澄まし顔でぼくは聞く。聞かれたら正直に行ったことないと答えるが。

ピンキリらしいが一回10万とか聞くとこっちは目を白黒する一方だ。だいたい金払えばやらしてくれる女抱いて何が楽しいんだ。なんとかあの手此の手で口説いて、ラインの既読がなかなか着かなくてもんもんしたり、うまくいったりダメだったり、脱がせて意外と乳頭が綺麗でラッキーとか、その一連の過程がセックスで一番楽しいんじゃないのか?そもそも……いや、よそう。ぼくが行かないのはただ臆病だからだ。あえて正直に風俗行きたいって書くことでぼくはそういうの行ったことないよってアピールしてるな、誰かに。

風俗にも色々あってイメクラというものがあるらしい。台本に沿って、例えば看護婦さんプレイとか先生と女子高校生といった設定で最終的にはエロいことをするそうだ。この2つは医学生で塾講のぼくはちょっとキツいっすね……。どれくらい設定があるのだろうか。どうせなら未知の演技をしたい。風呂屋の番頭とその客とか。

というかエロいこととかとりあえずどうでもいいから、気軽に演技と脚本と演出をさせてほしい。妙に凝り性だから絶対エッチまで長い。女子高生役の女性に対して、そんなのリアルな会話じゃねーよとか、感情が見えてこないとか、だいたい学校でそんなことしようとしてるんだよ?相当な感情の揺れ幅とある種のトランス状態が必要だろ、とダメ出ししそうだな。
今時、ファミコンとかを一緒にやってくれるゲームバーなるものもあるらしいし、どんなものが商売になるかわからない。少なくともここに一人ニーズはある。世の中何か別の私を演じてみたいという欲求は意外と世間でも強いのではないだろうか。

高校の時いち早くテンガを知ったUくんは22でようやくソープで童貞を捨てた。ぼくに報告してきた。ほんものは全然気持ちよくなかったと言ってた。
好きな人が欲しい、とも言った。愛がなかったから気持ちよくなかった。愛があれば気持ちよくなれるのだ、と。
ぼくはそういうもんでもないけどなあ、と思ったけど、好きなコができるといいねと口では言った。

なんか、愛って何さって話をしたいのか、芝居したいって話がしたいのか、自分でもよくわからないから寝る。

行って帰る

かつての友人が今も友人なのか不安になる。

いわゆるシュレディンガーの猫で、箱を開けなければ、「今も変わらず友達でいる」と「かつては友達だった」が多重存在できるわけだからそのままにして置くのが正解だ。でも偶に気になるじゃない?箱を開けるわけにはいかないけど、ちょっと揺らしてみたり、叩いてみたり、箱に向かってニャーと言ってみたり。
昔いた学生劇団のギリギリ面識がある人達の卒公だった。後輩とかに熱いタイプではないんだがなんだかこのタイミングで行かない限り、一生大阪時代の人らと会わん気がして、流石に一生会わないのは嫌やなあと思ったので箱をちょっと揺らしに行ってみた。最近これ読んでくれている人は気づいていると思うが、妙に近頃暇なのだ。そもそもオレがとりあえずでかい大学に行きたかったのはでかい大学なら色々面白い人がいるだろうというその考え一点突破だった。それを失うのは惜しいし、悲しい。
色んな人と会うのは疲れちゃうし、要はめんどくさかったので結局松永としか、ちゃんとは喋ってない。でも今回会えなかったにしろ会わなかったにしろ、自分の中で皆またシュレディンガーの猫ちゃんになってくれたので、そのうちまたいつか会うこともあるだろう。オレのこと知ってる全員ね。いやむしろちょっと箱を開けすぎた。猫ちゃんのしっぽちょっと見えてなかった?ねえ?尻尾動いてなかったよ!?ねえ生きてるの!?死んでるの!?


話は変わるが、電車で一人でどっか行くのが好きだ。もう青春でも18でもない青春18切符を使って、何かの衝動に駆られて突然家を飛び出て何処かへ目指すことを年に1、2回する。一番好きな手段は歩くこと。ジョギングなんて意識の高いことは疲れちゃうし、しないけど、テクテク歩いていると色んなことを考えることができて、良い。2番目に好きなのが普通電車で移動することだ。ぼくは鉄道マニアではないので電車の違いなんかボックスシートか横並びの座席かの差ぐらいしかわからないが今は乗り換え案内アプリなんてものもあるし、電車の中でぼーっと色んな人をみたり、本を読んだり、途中で飽きたら微睡んだり、思索したり、スマホをいじって電池の消費にビビったり、それに比べて紙の本で電池切れしないから最強じゃね?ってあたり前のことに気づいたり、よくよく人の会話に耳を傾けると少しづつ方言が変わっていくことに気づいたり、88歳のミスマープルみたいなマダムと90分話すハメになるのが楽しい。マダムは88歳とは思えないくらい元気で、よく考えれば目も眼鏡なしで本が読めるのも、耳も全く遠くなくて、それはすごいことだってのはあとで気づいた。仏教ではなくて神道信仰のほうらしく日々感謝ねって繰り返して言ってた。日々感謝(顔文字)とラインのプロフィールに書いてる人とはちょっと距離を置きたくなるぼくだけど、88まで生きてるんだったらそれも一理あるんだろう。だから、というわけでもないが、1日関西圏にはいるけど、暇、って時間があったし観光するものもないので、ぼくの氏神様らしい京都の吉田神社に七五三以来お参りしてみた。鴨川のぴょんぴょん岩はなんとなく覚えていた。

一人旅行にも色々ある。海外に観光に行く人もいれば、全国の美味しいものを食べ回ったり、車やバイクで高速を飛ばしたり。海外は金ないし、知らない土地でも観光よりはその辺の街並みを見るほうが楽しかったりぼくはする。食に対してもあまり興味が湧かない。車は持ってない。でも車やバイクはぼくにとってはあくまで手段で乗ること自体が目的になることはないだろうな。もっとワイルドな人なら山に登ったり、ヒッチハイクしたり野宿したりするのだろうけど、(ヒッチハイクと野宿は必要に応じてする時もあるが)、都会派のぼくにとってはこれくらいがちょうど良い。

卒公は面白かった。でも疲れた。劇の内容もなんだけど、いやもう場所に疲れちゃって阪急電車乗ってから観て、帰りにまた乗って降りるまで動悸が半端なかった。お腹も痛くなるし、ウンコ漏れそうだし、おしっこはもうもれている。少なくとも阪大でやっている芝居はもう二度と観ないだろう。自分で思っていたよりもあの場所はまだ懐かしくはないらしい。行く前はまあ暇だし二回観てもいいなあとか食堂で天津麻婆丼食べてもいいなあとか思ってたけどそれどころではなかった。アトリエと某病院の待合室が決意の場所で懐かしいだったら、あそこは逃げた場所で想定してた以上にトラウマらしい。

内容について。ぼくはもうおじいちゃんなので優しい歌が好きなのよ。面白かったよホントに。よくも悪くもセンチメンタルを押し出した作品のほうが気持ちよく泣けたのかも知れない。
劇中ででてきた赤い綺麗な錠剤がメチコバールでそれ自体はまあただのビタミン剤というか本当に効くか怪しいくらい軽いものなんだけど、ちょうど自分のポケットにも入っていたので自分がメンヘラでっせと言われたようでちょっといやだった。いや軽く病んでるんだけどさ、ぼくも。明るく病んでるだけどさ。
なんか最近手が震えるんだよ。ただの筋肉不足だと思いたい。末梢神経が原因かなと家にあった薬を飲んでたけど手足の痺れ用の薬だし勝手な判断はよくないな。病院行ったほうがいいかなあ。
本谷有希子脚本はそういえばどっかの団体からオレも演出しない?って誘われていて、なんとなくサトくんが好きなタイプの芝居と思われていた気がする。実はチョット違う。本谷有希子についてはまた今度書くかも。書かないかも。この子達はぼくが演出した松尾スズキさんの本を観て、それが決め手になったとは思わないけど、入ってくれて、確か去年引退公演のときは、ふくすけをやってて、今回本谷有希子さんの本だったのでやっぱり新歓公演って影響あるのかね?後で思ったりした。もしそうだったら嬉しい。幸せ最高ありがとうマジで。最後が言いたいだけ。
っつーか、君たち、公演日卒業式だったんじゃないのか?
ぼくも今の大学の先輩の卒業式で謝恩会とかサボった。今の人達も将来ドクターになったときのことを考えるとかなり大事なんだが。狭くてコネの世界だし。
人の名前とか結構忘れるのだが、少なくとも見かけた人の顔は覚えていた。ちょっと公演中パンフレット見ながら名前を確認したが。受付の人は全く覚えてなくて、やばっと思ったら最初から知らない後輩の子だった。そりゃそうか。

最近ツイッターちょろちょろ見ているけど、ハンドルネームとかそれ以上に誰が誰か全然わからなくて誰かも覚えていないしフォロー外れてるやつは帰りにしこしこ解除した。なんか誰か知らんけど面白いってやつは残した。でもそれも悪い気がして解除は途中でやめた。あと鍵付きは拒否されたときのショックが箱を開けたら猫さんが残虐な死に方してるくらいショックなのでミス研とか確かアカウント分けたときに外したんだろうけどこっちからの申請もやめた。フェイスブックとかも整理しようと思ったけどなんか別にそのまんまでいいか、そもそもマメな性格じゃないしと思って結局SNSは全部そのままだ。SNSは見ると疲れる、と最近改めて思った。
考えたら他人の考えていることとかやったこととかどうでもいいやんけ。
時間なんか生きていて無駄ばかりしているが、アレは時間の無駄だ。甘い罠。このブログもそうだけどさ。医療についてはどれくらい書いていいかわからないし。例えば、解剖とかももう終わったんだが、世間のグロに慣れていく自分と周りの感覚とか記録に残したいけど、言ってはいけないところまで書きそうで。もちろんご遺体は匿名で死因しか知らされないよ。これからどんどん増えていくだろう、生きている人のも。まあ一般書に書いてるところがボーダーと判断しよう。そもそもこのブログ、フィクションと妄言が多いんだけど。

今回合間合間に書いているのでいつも以上に脈絡がない。

松永とは飲もうって話だったが、よく考えればあいつ酒を積極的には飲まなくて、会社についてファイナンス?とか言われても多少未知の世界なので面白く聞けたがピンと来なくて結局、演劇とかの話を二人揃って偉そうに家でしていた。そういえば、同じ劇団にいたわけだけど好みが完全に一致しているわけではなかったってことを思い出した。ポテチを皿に出したとき皿にラップを貼っていてそういえばこいつ妙に几帳面なところもあったんだよなあも思い出した。今回言われたわけではないが、トイレを座ってしろと昔言われたことを思い出して、トイレ借りるとき座っておしっこをした。
誰が「友達とは、何年ぶりにあっても、昨日あったかのように話ができる関係のことだ。」って言っていて、まあそういうことならそうなんだろうし、他の人もそうであればいいなと思えて、思いこんで、ぼくは猫ちゃんの箱を放置して気兼ねなく他のことをできる。

上手なもののすすめ

 

「映画最近よく観てるんだー」

「あ、そうなん。わりと俺も観るよ」

「っぽい〜。おすすめとかない?」

「そうだなぁ。恋愛映画で云えば……最近だとベタなら80日のサマーとか、SF気味だけどエターナルサンシャインとか…」

「ありがとー!今度観てみる!」

 

まあ、基本観てない。
なるべくぼくは他の人が薦めてくる映画とか本とか音楽とかはあとでちゃんと観たり読んだり聞いたりしようにしているけど、他人の薦めてくるものってのはなんだかんだ観たりしない。別にその会話中全く興味がなくて合わせて話しているわけじゃないんだが……。美容師さんとか大変だと思う。ぼくもボスから聞いた近所の弁当屋がうまいって話を半年ぐらい放置している。
自分が貸した本はこれまでどれだけあるか…借りっぱなしもいっぱいあるけど…、返ってこないことに文句言ってるんじゃなくて、気に入って借りパクされてるなら別にいいけど、読みもせず棚で埃被ってそうで……。経験的にあんまり人に本や漫画を貸さなくなった。借りるのも控えている。もし借りてもすぐに読んで一週間で返すようにしてる。

かといってめちゃくちゃ強く薦める人もぶっちゃけうざったい。エヴァンゲリヲンと鋼の錬金術を薦めてきたSくんをぼくは苦手だった。絶対面白いから!読まないとか人生損してる!とか褒めすぎて引いちゃう。なんだかんだその2つは面白かったわけだけど、そのあとのSくんのドヤ顔はムカついた。えお前が作者?ペンネーム庵野秀明?なんだかSくんに作者への励ましのお便りを書かないといけない気がした。ちゃんと観たのがエヴァハガレンくらいで、その時その時声高に色々言っていた。ギャルゲーとか違法ダウンロードで落としたものを。

高校の時は、違法ダウンロードについてはわりと緩い考え方をぼくは持っていた。只で観たり聴けるならそっちのほうがいいじゃん。文句言ってるやつは割り方がわからないだけだろう? あんましやり方がわからなくて、精々中国サイトでアニメを観るくらいだったが。
多少ぼくも創作をやって、、、「多少」は正しくないな「多」の要素がない、「少々」創作をして、、これだと謙遜ぽくなるな、創作を囓って、、囓ったも言い過ぎだな、、、ぼくも創作の匂いを嗅いで、何か漫画でも一つの作品を創る苦労はわかった。少なくとも作家さんや曲を作る人の側にいて、その人らがいかに血反吐を吐く思いで作っているか見た。そうなると流石に対価を払わずに観る気にはなれない。まして作品を騙る権利は全くないだろう。〇〇は俺の嫁!!ってバカかお前。〇〇ちゃんはお前のようなゴミみたいな泥棒なんか旦那にいらんわ。
今も別に声高に「違法ダウンロードダメ!絶対!」と言うことはないけど、知り合いが漫画とか割ってるのみると蔑んだ冷やかな目をしていると思う。ごめんユーチューブでお笑いとかはちょっと観ちゃう。

脱線した。とにかくSくんみたいに大声で薦めるのも嫌いだ。穏やかに人に薦められる人になりたい。その作品の面白さをネタバレせずにその面白さの触りだけを上手く伝えたい。

逆に他人が自分に、あ観たいなと思わして、しかもその気持ちが持続するのはどういう時だろう?

色んな人が口にしている時だろうか。心理学では単純接触効果っていうのかな。今はゼルダの新作が気になってる。ぼくは捻くれ者なので、できればその中にはSくんみたいな人はいない方がいい。世の中に観ないと損!な藝術なんて存在しない。生きていく上では全く必要ない。この世で一番偉いのは農家さんだとぼくは思う。でも藝術は得することはある。音楽は人生を「よく」するために必要なんだってのは誰の言葉だったか。それと流行り過ぎると避けてしまうな…。

あとは色んな人が言ってなくても、薦めてくるその人のことが好きだとやっぱり気なる。好きって別に恋愛的な意味でなくてもその人柄だったり感性が好きだと。後光効果……なんでこんな知ったかぶりの心理学用語を使ってるんだ。

結局人柄?

 

Someone Like You

f:id:heavymoth:20170314032826j:plain

ぼく、アインシュタインモーセシェイクスピアメーテルフロイト漱石先生、もたいまさこ正岡子規メイプル超合金のデブ

前回、自分そっくりのセクシー女優を自分で書いておいて想像して気持ち悪くなって熱が出た。つーか、最近下ネタに寄りすぎ。おちんちんだのおっぱいの大きいJKがムカつくだの。

世の中には自分そっくりなドッペルゲンガーが三人いると聞く。

最近っていうか、高校卒業したくらいから知り合いの量はグンと増えた。友達かどうかわからないが、知り合いは増える。多分あなたもそうだろう。
それぐらいから、どこか似てる人も増え始め、人の名前が覚えられないぼくにとって本当に困ったことになった。
多分神様も人物造形のレパートリーに限界がきたんだろう。miiみたいな感じで神様もデザインしてるとぼくは思っている。

たとえば、高校卒業して浪人したぼくは一年間予備校の寮に入ってた。隣の部屋の人が高校の時の友だちUくんに似ていた。そいつら自体はハライチの澤辺に似ている。
Uくんとは仲良くて一緒に中高6年間バカやっていたんだが、似ている予備校のそいつが面白くて、会うたびにちょっとニヤついてしまって多分ものすごく嫌われていたと思う。
そりゃそうだ。会う度に半笑いのやつがいたらぼくだって嫌う。

そういうことが年々増えていく。どうも似ている人をみると、その前の人との関係を引きづってしまって変にフレンドリーだったり、逆にちょっと苦手だった人に似ていると身構えてしまって初対面の人との距離感が掴めない。そのせいで、馴れ馴れしくても、おっかなびっくりでも、なんだアイツってなって友達ができにくい。しかも名前と顔を忘れるので多少その時仲良くなっても2回目以降も初めまして状態なのでますます人に嫌われていく。

よく外国人、特に黒人の見分け方が映画でつかないと聞くが、ぼくに言わせれば黒人も日本人も大差なくわからない。逆に黒人の方が見分けつくかも。

まあでも、可愛い子の名前は速攻で覚えるんだけどね。
結局興味があるかないかだけだ。だからぼくが名前を覚えている女性は自分は可愛いと思われてると思ってください。

今回のタイトルはロアルド・ダールの短編集からとった。
ロアルド・ダールは「チャーリーとチョコレート工場」なんかの児童書も面白いけど大人向けのこれもブラックユーモアが効いていておすすめです。
"Someone like you."を「誰かがあなたを好き。」と訳してしまった人は英語をもう少し勉強してください。

 

あなたに似た人

あなたに似た人

 

 

新訳出てたけど表紙はこっちのほうが好き

顔バレ

近所のセルフ式の定食屋に行った。学生食堂みたいなやつ。

少し混んでいたのでお盆を持って列に並んでた。すると、厨房側の多分ぼくより少し年が下の20歳くらい、ひょっとしたら高校生バイトかもしれない店員さん(男)がぼくの顔をジロジロ見てくる。基本ナード気質が抜けないぼくはビクビクする。
え、オレ顔になんかついてる?
スマホを出して黒画面を鏡替りに見てみる。
いや、とくに変なトコロはないよな、、
気のせいかもしれない。いつもの自意識過剰が発症しているのかもしれない。
と思ったらまた見てきた。
なんなんだろう?
レジでごはんと味噌汁を頼み会計をする。その店員さんがおそるおそる話しかけてきた。

「あの、、、いつもお世話になってます。」

はあ、と返事もできず、焦ってお盆を持ってレジから離れテーブルにつき、荷物を置いて一応念のためトイレに行って鏡で別に変なところはないことを確認して、戻ってチキン南蛮を食べはじめる。
明らかにカン違いされてるよな、、確かにぼくは人の顔を覚えないほうだけど、「いつも」と言ってたし、ニュアンスとしてあなたは私のこと知らないでしょうけど、私はあなたのこと知ってるんですよ、って感じだったし、、まるで、、芸能人のような、、
、、芸能人かあ、誰だろう?
お笑い芸人か、タレントか。俳優だったらいいなあ。ユーチューバーはやだなあ。でも一番ありそう(この辺からウキウキしだす)

あれ?

でも「お世話になってます」って言われたぞ。芸能人とかテレビに出る人だったら「いつも見てます」じゃないか?アーティストだったりラジオDJだったら「聴いてます」作家さんだったら「いつも読んでます」
「世話」。向こうのカン違いは間違いない。
ぼくは誰かの「世話」をするような立場ではない。まして20歳の男なんて、、テレビとか思考が芸能系に傾いてる?他の職業の人の誰かとカン違いしてる?でも、あなたは私のこと知らないでしょうけど、私はあなたのこと知ってるんですよ、話しかけちゃってすいませんって感じなんだよなあ。
うーん。「お世話」。
「いつもお世話」。


多分オレそっくりのセクシー女優がいる。

おちんちん

おちんちーん。

ちょいちょいレイアウトは直すかも。

引っ越した。ついでにちょっとコメント書いた。

まあ恥の上塗りってやつだね。

なんかちょこちょこお気に入りマーク?☆のやつが過去記事に来て怖いんですけど

人気劇団を糾弾す!いや糾弾ではないな(観劇16)

一コ抜けてた。これが抜けてるかあ。順番の入れ替え方わかんないし、嫌だなあ。

  • 2014.05.31 Saturday
  • 06:08

 

あ、かつてないほどクチが悪いです。
近鉄アート館が新しくできた。こけら落とし公演のよう。

いやあ、クソみたいな芝居でしたね。伊藤えん魔プロ、コロニー。
多少ね学生ということでお安く観さしてもらったんですが、決して学生の身には安くないお金を払っているんですよ。関係者は恥を知ったほうがいい。演者の方に多少、優れた方がいたとしてもね、ウンコが混じってたら劇全体がウンコなんすよ。よっぽどウンコを吹き飛ばすパワーがあるか、ウンコをすげえウンコに見せない限り。私はやるだけのことやったってなしよ。連帯責任じゃ。日本語がまともに喋れないやつが役者を名乗るな、金を取るな。

お客さんも、お客さんだよ。いくら、カーテンコールされて当然という空気を出されたとはいえ(一部のキャストのみ、アンサンブルではない、それなりの役どころも挨拶にでなかった)トリプルコールしちゃダメだろ。確かに純粋に楽しんでた人はいた。でもぼくは知っているあなた達が満足してないことを。だいたい客観的にみて完全なセリフ忘れが3回もあったんだぞ!
別に噛むな忘れるなとは言わない。生ものだし。でももう少しフォローというか、方法があるだろう。何回も舞台踏まれた方方だし。オロオロ困るだけって(笑)

別に書く必要もないけど、悪かった点をばっとあげると
・開始10分まともな日本語が聴こえてこない
・まったく見えてこない世界観
・ようやくこれは虫の世界の話をモチーフにしてるんだなと気づいても、そこから一切話が人間へとシフトされない。家でNHKの昆虫ドキュメント見てるほうがテンションあがる。
・酷く情けない戦闘中の声。
・高価な機材を使っただけの照明。
・コポコポうるさいスモークマシーン。席かなり俺後ろのほうだったぞ。真面目なシーンでコポコポなっていて、あんまりにもくだらないので誰か馬鹿にした笑いかと思った。
・とりあえず盛り上がりには曲をかけとく姿勢。選曲のセンスのなさ。ビートルズのアレンジなあ。音の入りもぶちぶちしてうるさい。
・ぶん回しているだけのチャンバラ。照明と音に逃げすぎ。特に殺陣には思うところあってぼくの引き出しの少なさを気にして参考にしたかったのに…

ボケるのは多いに結構だが、ちゃんと置き場所を見つけてくれ。「はい、ということで…」ってな感じでグズグズのまま話をもどさないでくれよ。笑いが宙に舞っていた。
多分、舞台側の人は人によっては「今日は客が冷たいなあ」とか思ってそう。いや単純にスベりぎみだった。
まあふざける前に色々とやることあると思うけど。具体的にはセリフを忘れないとか、構成をもう少し吟味するとか。

似たような芝居は学生でもよくみるけど、若い分許されるというか。エネルギーが溢れているというか。名前を出すと、ちゃうかちゃわん、学園座、自由劇場はその傾向が芝居によってはわりと強くあるな。
いい年してこんなもんしかできないのが悲しくなった。それでハゲネタとかもう観てていたたまれないよ。

チャンバラだろうと不条理だろうと、どんなに変な世界の話でも結局のところ、人の心、そこをどう描くが重要なんじゃねーのと思った。
新感線って偉大なんだなあ。

観劇中はこれでも、これはバツと荒を探すよりは結構好意的に観てたつもりなんですがね。