内緒だよ

リニューアルに当たってなんかカッチョいいブログ名にしようと思ったけど、ぼくのブログとしか言いようがないや。

ちんげカーペット

プロフィール帳って知ってる?僕が小学生の頃、女子の間で無茶苦茶流行った。
たれぱんだとかしずくちゃんとかこげぱんとか、当時のゆるキャラのキャラクターグッズで、生年月日だとか血液型だとか好きなタイプだとか文字通りプロフィールを色々記入していく紙だ。女子はおそらく色んな人のものを集めていたのだろう。先生にも書いてもらっている子もいた。何のために集めていたのか、集めてどうしていたのかは知らない。おそらくただ集めていただけなのだろう。
小学生、特に高学年の男子は、大きく分けて、女子にプロフィールを書いてと頼まれる男子と、頼まれない男子に二分される。僕ら野球坊主三人組は、頼まれない男子だった。あるいは、サッカー部の別所くんが女子に書いてーと言われてる側で所在なさげにうろうろしていたら、あんたも書く?と例の紙を渡されるレベルの男子だった。つまり、何が言いたいかというと、モテてはなかった。嫌われてもなかった、とは思う。


ある日「総合学習」という科目の授業で、班ごとに何かを調べて、模造紙にまとめて発表するというのがあった。何を調べたのかは忘れた。保健所の仕事内容だったかな?
とにかく、僕らの班の男子は健ちゃん、大野、僕の例の三人組で、女子三人はどの子もタイプは違えど、結構可愛いじゃんって子らで、授業中に作業が終わらなかったか何かで健ちゃんの家で作業をすることになった。僕ら男子は浮かれていた。でも誰も口にしなかった。誰が可愛いとか、好きだとか、そういう男子トークをするのはもっと年がいった後のことだ。小六にとっては何かそういうことを言ったら「負け」みたいな空気が流れていた。でも実は僕はちょっとボーイッシュな健康的な肌をした横瀬さんのことを好ましく思っていた。
作業する日、男子は集合時間の3時間前に来いと健ちゃんから御達しがあった。どうしてと聞くと、いいから来い、と。健ちゃんは三人の中ではリーダー格だったから大野と僕は腑に落ちないながらも、ちゃんと時間通りに行った。
到着すると神妙な面持ちで健ちゃんは待っていた。なぜか部屋にはバリカンと、剃刀が2つ並んでた。
まずは、お前ら髪を剃り直してこい、5厘だ、と言ってきた。
野球部だった僕らは普段から坊主にしていたので、髪を剃ることは問題なかったのだけど、何故このタイミングで、とは思った。でも健ちゃんは相変わらず有無を言わさない迫力で、僕らには?が頭には浮かびながらも、素直に頭を清めた。
部屋に戻ると健ちゃんは今度は、剃刀を渡してきた。??とハテナがもう一つ浮かびあがる。

「お前らってちんげ生えてる?」
「は?」
「いいからちんこみせろよ」
「やだよ」
流石に抵抗する。
「いいから」
「なんなんだよ、さっきから」
「訳は全部終わったら話すって。とにかく、ほら、俺みたいにツルツルにしてこい」

と言って、健ちゃんはズボンとパンツを降ろし、ちんこをポロンと見せてきた。見事にツルツルだった。

「な?」

そんなこんなで、僕は申し訳程度にチョロチョロ生えかけてたちんげも剃り上げる。
戻ると、健ちゃんはチェックと称して、結局僕らはちんこを見せるはめになった。
今度は、カーペットや服などに転がして埃などを取る紙テープのロールで出来たコロコロを一つづつ渡してきた。


「まだあんのかよ」
「これでとりあえず終わりだって。とにかく女子が来るまでひたすらコロコロして、部屋にゴミ一つないようにしろ。今度はオレもコロコロするから」


また、頭に一つハテナを追加して、僕らは黙々と部屋中コロコロする。???。2時間ほどただただコロコロした。
女子が来てからの作業は、とても楽しいものだった。特筆することはない。本当に楽しい時間を過ごした。模造紙の空いたスペースに僕がイラストを書くと、すごーい、絵が上手いんだねって横瀬さんは褒めてくれた。ただ一つあるとすれば、健ちゃんのおばちゃんがジュースとオヤツを部屋に持ってくると、健ちゃんが猛烈に怒って部屋に上げなかったことくらい。
女子が帰っても、僕ら三人はまだ健ちゃんの部屋にいた。
また健ちゃんは神妙な面持ちで、新しいコロコロを差し出してきた。また部屋の隅々までコロコロしろ、と。

「また?」
「健、いい加減教えろよ、お前今日変過ぎ」
「……」

健ちゃんは少し間をおいてから物々しく口を開く。

「いいだろう。俺ら、今日、髪もちんげも剃ったからツルツルなわけじゃん」
「うん」
「そして、俺の部屋も髪の毛一本も落ちてなかった」
「うん」
「ってことはだ。もし今からコロコロして、縮れた毛や長い毛が落ちていたら、それは女子の誰かの、髪の毛か、あるいはあそこの毛ってことになるんだよ!!」


「!?」「!?」


それはもう、マガジンのヤンキー漫画並に!?が僕と大野の頭上に浮かび上がる。
ひったくるようにコロコロを受け取り、さっきと違って今度は嬉々として僕ら三人は夜遅くまでコロコロした。特に横瀬さんが座ってた位置を僕は念入りにコロコロした。ひたすらコロコロした。
部屋はとっても綺麗だった。

 

それから数日後、僕は生えてくる自分のちんげのチクチクで苦しむことになる。

 

(了)

 

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アクアパッツァ

先日アクアパッツァを初めて食べた。
と思ったら既に食べたことある食べ物だった。
アクアパッツァという名前とあの食べ物が頭の中で繋がってなかった。
昔からある食べ物じゃん。母親が料理教室で習ってきて割と日々のラインナップに入っていたぞ。普通にイタリア料理を食いにいったときもあったし。アクアパッツァアクアパッツァって最近よく聞くから最近の食べ物だとてっきり思い込んでいた。アクアパッツァ。つまりアクアパッツァと知らずにアクアパッツァを食べたことは沢山あったんだけど、アクアパッツァという名前を意識して食べたアクアパッツァは初めてだった。
アクアパッツァって響きからあれは想像できないでしょ。アクアパッツァだよ?
多分アクアパッツァって聞くたんびオシャレな洋風の透明トコロテンのような、火で軽く炙ったシュワっとしたトマトとなんか名前のよく知らないワインによく合うサラっとしたチーズで出来た食べ物を想像してたんだけど、本当のアクアパッツァは結構北欧の郷土料理っぽいものだった。ステラおばさんが作ってそう。ぼくの想像のアクアパッツァは多分、アクアからの水の連想とパッツァのパスタとピッツァの連想から来てるんだけど、そのアクアパッツァも実は本物のアクアパッツァを知ったあとに、こうだったけなあと思い返しながら描写したアクアパッツァで、かつてのアクアパッツァはもう消えてなくなってしまった。
ああ、麗しのアクアパッツァよ……!
俺はもう君のことは知っていたんだ。知らなかったのは名前だけ。敵なのは、アクアパッツァという名前だけ。たとえアクアパッツァでいなくても、アクアパッツァアクアパッツァのまま。アクアパッツァ…なんでそんな最近ですって顔をするんだい?アクアパッツァとぼくの仲じゃないか。アクアパッツァ――それが、どうしたという? 手でもなければ、足でもない、腕でもなければ、顔でもない、他のどんな部分でもない。ああ、何か他の名前を付けてくれ。名前にどんな意味があるという? バラという花にどんな名前をつけようとも、その香りに変わりはないはず。アクアパッツァだって同じこと。アクアパッツァという名前でなくなっても、アクアパッツァの味は変わらない。そんなに美味しくはない。不味くもないが。イタリアン好きだから割と好きか?
アクアパッツァ

骨にまつわる病気を少しだけ(ジジィとババァに関する曲を作るティンカーベル初野ってのが久々に自分のなかでキた)

勉強やる気しねーからちょっとだけテスト範囲のとこをまとめてみる。自分用に。
あんまりイチから説明してないとこもあるし、そもそも正しいのかってとこもあるかも。

カルシウム
カルシウムは小腸上部で吸収されます。
カルシウムの吸収にはビタミンD3が助けてくれるわけだが、ビタミンD3は皮膚の紫外線、肝臓、腎臓のステップを踏んで活性化されます。
カルシウムはリン酸カルシウムの形で骨に貯蔵していて、必要に応じて血漿に溶出したり、吸収しておくわけです。

首の付け根よりちょい上あたりに甲状腺と呼ばれものがあって、そのうえに四つのぽつぽつがありまして、副甲状腺とか上皮小体とか呼ばれます。
副甲状腺から分泌されるPTH(パラトルモン)と呼ばれるホルモンがカルシウムの溶出(つまり骨吸収)を促進させて、甲状腺のC細胞からでるカルシトニンが骨吸収を抑えます(骨形成する)。

くる病Ricketsってのは小児期の病気で、ビタミンD欠乏によって、活性化障害され、カルシウムの沈着がうまくいかないわけです(軟骨内骨化障害)。ちなみにカルシウムは類骨とよばれる骨の端っこ部分にくっつく。なんかO脚みたいな、ってかO脚になる。最近のガキはゲームばっかりで外で遊ばず紫外線をちゃんと浴びないからなる。

骨軟化症は成人の病気。くる病の大人版。
くる病、骨軟化症では低カルシウム血症、低P血症。


骨粗鬆病Osteoporosisには大きく分けて、閉経後骨粗鬆病ってのと老人性骨粗鬆病ってのがあります。

閉経後のやつは、つまりアガったババァに多い。女性ホルモンで有名なエストロゲンってのが、実はPTHをコントロールしてるわけだが、女性ホルモンが枯れているので、PTHの分泌を異常にして、必要以上に骨からカルシウムを溶かす。

老人性ってのは文字通り、ババァとジジィがなる。ジジィでババァは体がもうジジィとババァなので、そもそもカルシウムの吸収やビタミンDの活性化がヘタクソで骨が弱い(骨量低下)。

骨粗鬆病では毛中のカルシウム、リンの値は正常。


慢性腎不全
腎透析患者に多い。腎臓がちゃんと働いてないので活性化ビタミンDが産出されない。低カルシウム血症となる。だから骨粗鬆症(骨異栄養症)、体内のカルシウム足りねーじゃんやべーじゃんってことで副甲状腺過形成を起こす。

わりと、テキトーに書いてるから真に受けるな。間の説明たりないとこもあるし。なぜか語尾がふらふらしてる。
まあでも、世にあふれる嘘っぱちな医学記事に比べて、適当だって自覚してる分マシとは思う。

というかティンカーベル初野っていうのが面白かったので動画を張りたかっただけ。


ティンカーベル初野『システムがわからないジジィとババァ』(Promotion Edit)

ぼく「〜〜」 文脈「!?」シュババババババ(走り寄ってくる音)

自分の中でびっくりしたってことなんだけど、ボヤ騒ぎがあったもんだからちょっと覗いてちょっと嘆いて、バイト終わってテスト勉強から逃げるためにちょっとブログ書いて、朝起きたら妙な文脈が生まれてしまったことに気がついた。

ホントに、たまたまで、どっちかっていうとブログの方は、漠然と俺の日常生活で感じたこと、強いて具体例をあげれば、(ほんとはあげたくなかったが)、劇団六風館の日誌を10日の一度くらいツイッターに流れてきたら読んでいて、勝手に懐かしがったりしていたのだが、その時、3回生の人達のを見て感じたことから出てきたものなんだ。
前回の話のポイントは「自虐」で、他にも南キャンの山里とかに感じるだが、女のコからキモがられてますよ〜ってスタンスでいくと、そう思ってなかった女のコに他人をキモいと思うひどいコってレッテルの刃物を渡してるんじゃないか、と思うんだよ。加害者作り、とでも言うような。それをノリで書いたの。

あとで読むと「おじさん」「おばさん」「毒舌」とかいうワードが妙な繋がり生んだような気がして。ほんと別件なんだけど。

 

でもほんとに別の話なんだろうか。

 

ぼくという存在が連続している前提なら何かしらやっぱり繋がっていて、ぼくが「おじさん」「おばさん」という言葉を、中年齢の方を指すとき、ぼくの頭の中では「おっさん」「おばはん」とか他の単語も浮かんでいたはずで、その中で「おじさん」という言葉を選んだのは、無意識に、大いなる力が働いたのかもしれない。その他の事も。その日ならその日で一日、あるいは一生あった事象は連続しているのかも。

小説や脚本を書いていて、割と適当に設定したことがあとで繋って、「登場人物が勝手に動く」ってのはたまに経験する。これは結構楽しいことなんだが、現実じゃあ、意図しない文脈生まれちゃうのは、まいちゃうよナァ。でもそういうもんかもナァと思う自分もいる。

記事更新ついでにボヤ騒ぎについてもちょっとだけ書くけどさ、僕なんだかんだ、いいとこ育ちやから優しくて、バカ見るとバカだバカだって攻撃するオフェンスモードよりも、バカだなあ他人から攻撃されるってツラいよなあ可哀想だなあとヒーラータイプになっちゃうの。実際なんも回復魔法使わないけど。なんか俺のなかではミカエルっぽいデッカい天使が祈りのポーズしてる。可哀想だなあ。

いつぞやの王道がどうこう言ってた人はホントにバカ、というかゆとりで「わからない政治用語が出てくると他人に教えて欲しくなる」とか「笑い8割感動2割、この言葉は誰でもわかる(わかんねーよ)」とかゆとり全開な自分がバカって気づいていない気の毒なバカで、今回の金ヅルどうこうの人は、言ってることは割と普通な、ただ口の悪いバカ。残りの記事は単純につまらん。俺が言うのもなんだが、文が下手。

炎上系サイトといえば音楽評論サイトでBってのがある。あっちも、まあまあ読んでてげんなりすることもあるけど(たまにしか読まない)、悪ふざけにセンスがあるし、なんとなくヒロイズムというか、「こんなこと言ってるけど、ぼくなんか……」っていう破滅的な自己愛が感じられる。劇作家が言葉で負けてどーする。

炎上って、たまーに話を聞きつけると、ちょこっと覗きに行くけど、本気で憤ったり、相手を言い負かしてマウント取りたいとか、ただの野次馬というより、自分は、ああ燃えてるよ、可哀想、可哀想って側でおろおろして自分の中の天使を見つけに行ってるのかもね。ぼくって優しいね。優しいなあ。


前回、ラッパーとかリリックとか言い出したの、某DJのせいだと思う。世界は繋がっている。

生まれ変わったらラッパーになりてぇ

ぼくは20中盤で、もう、なのか、まだ、か、わからないけど、少なくとも自分のことおじさんだからさあ〜とは言わないのは、加齢に抗いたいって気持ちももちろんあるんだけど、どっちかっていうと自分より歳下の20くらいが、おじさんだの、おばさんだの自嘲してるのは敏感ではないにしろ、あんまり気分が良くなくて、ということ30の人にとっては25がそんなこと言うのはムカつくことで、ってことはドミノ倒し的に90でも100でもムカつくのかなって思うんだよ。

何が言いたいかっていうと自虐って意外と傷つけてるぜ、人。
それは毒舌という言葉で表現されるような人達よりも、無自覚であるぶんタチが悪いぜ。
ちょっとリリック浮かんじゃったかな?

とある先輩がめんどくさい。

どれくらいめんどくさいかというと、もう本当にめんどくさい。

普通ひとって何か二面性というか、複雑でこんがらがったものを演じながら生きているのだと思うが、もうその人はめんどくさいだけで構成されている。俺が役者でそういう「めんどくさい先輩」を演じることになったとしても、もう少し色々考えて、寂しさとか哀愁とか、でもめんどくさくなっちゃって、それを多少は自覚していて、それでもめんどくさくなっちゃうってぐらいには役を作るぞ。知らんけど。

案の定、周りからも嫌われてるようだ。

周りとか悪口とか、どうでもいいが、俺は嫌い。

というより、やっぱりめんどくさい。嫌うのには体力が要る。

僕は頭がいいから、そういう人に対しても、適当ににこやかに言われたことはする。

でも、僕は、頭が悪いから、顔に出る。めんどくせぇな、お前って表情をする。多分バレてる。

まじめんどくせぇー。

 

 

明日は、二重盲検法でする上、自分も被験者になるから、十二時以降カフェインをとるなと言われていたんだった。寝てしまおうか。

 

 

病理テストが近い。朝早く起きよう。朝起きようと書いたら起きるのだろうか。とにかくテストは近い。

 

 

GW中に彼女と別れた。これについてはフィクションで昇華しよう。

 

え?

 

 

去年の岸田戯曲賞読んでみた

演劇も、小劇場も商業演劇も観に行くことは、お金もかかるし、10個のつまらないものを観て1個、天帝に捧げるような素晴らしい作品を探すという作業にも疲れているので、芝居というものに触れることは極端に減った。が、戯曲は「読み物」だったり、演劇界の流行り、作家の叫びを知るものとして、今でもたまに読む。戯曲は、小説に比べて読みづらいという声はあるが、そこを苦にすることは自分にはない。昔取った杵柄、というほどたいしたものではないが、まあそういうことだ。

「せりふの時代」休刊は、もうだいぶ前のことになるが、非常に惜しい。「悲劇喜劇」は観劇レポートやら役者のインタビューやら、俺にとってどうでもいいことが多い。普通の文芸誌も読めばいいんだろうけど。(ときおり戯曲も載っているのは知っている。)とうきょう、でやってる観ても読んでもない芝居レポについて読んだところでね、、。

そういうわけで岸田戯曲賞ははるか南の国に住む田舎者にとって「かー、とうきょうではこんなものが流行ってるんだべさあ(ぼくは博多弁、というか九州弁が喋れない)」と知るのに、嬉しい機会だ。ノミネート中はネット上でノミネート作品が全部公開されていたらしいが、2月下旬は忙しかった。選評も、高名な作家先生たちが、どのように戯曲を読まれるのか、どのような議論がなされるのか知れて、楽しい。もはやぼくは演劇人やアーティストという言葉でくくられるような人になるつもりはないし、そもそもなれていたのかって話で、ただ楽しいのだ。

演劇の行く末を嘆かれても、勝手にやってろ、って話である。環境に適さない動物は進化をするか、絶滅があるのみである。

去年のタニノクロウ作「地獄谷温泉 無明の宿」は素晴らしかった。読んでいて心が動かされ、それこそ天帝に捧げてあった。戯曲でここまでの傑作であるのだから、生で観たらどうなっていただろうと、ただただ興奮した。たまたまジュンク堂で見かけて、一応知った顔(向こうは覚えていないだろうけど)だったので買ったのが、ラッキーだった。
自分の凡庸な言葉でこれ以上飾るよりも、ここは前述のご高名な作家先生方の選評のお言葉を少し引用しよう。

「他の候補作品が言葉との必死の格闘があらわななか(おそらく誤字であらわれたなか?)で、見事なまでの言葉からの解放を感じさせた。地獄谷の温泉宿の冷ややかな空気の中で人たちの微熱と発熱のドラマと言えるだろう。」岩松了
「タニノ氏の書く言葉・会話は、端正で、色っぽく、抑制が効いていて、でもムチムチしている。」岡田利規
「森に響く様々な声が聞こえるような神話的世界は、読む者を奇妙な世界に誘う。これはまぎれもなく、すぐれた「戯曲」である。」宮沢章夫

ほかの選考委員、ケラさん、野田秀樹、オリザ先生も「地獄谷温泉」についてはべた褒めである。どう?読んでみたくならない?

宮沢章夫が、「不幸なのは、「戯曲」を発表する媒体がほとんどないことだ。上演さえ決まってないテキストを、「戯曲」として読むことのできる場所がないことだ。」と、「台本」と戯曲の違いを言及したあと、最後の締めくくりとして書かれてある。あれ?俺ここからパクッてるだけじゃん。創作者サイドの嘆きがそれならば、こっちは受け手側の嘆きだ。最新の完成度の高い戯曲を読む機会はほとんどない。

で。ここまでが去年のお話。
ここからが、今年の岸田のお話。

の、前に、「岸田」のことってどれくらいの人がこれ読んでる中で、ピンときているのだろうか。
一応書いておくと、「芥川賞」の演劇版って答えを、芝居、といえば劇団四季をイメージする人(素人、一般人という表現がナンセンスなのでこんな表現になった)には言っている。
じゃあ「芥川賞」と「直木賞」の違いは、というと芥川が新人の純文学寄りの作品が獲る賞で、直木はエンタメ小説のベテランの人に贈られる賞、かな、、、、それ以上詳しく俺に訊かないでくれ。ウィキペディア芥川賞受賞作品を眺めると、そういえば話題になったね、と、19歳で獲っていたり、お笑い芸人が獲っていたりするなかで(この2作品は読んだことあるし、それ以降の作品も好きだ)あまりピンとこない名前もちらほら見かけるが、直木賞はわりと今でも安定して小説を書いてらして、読んだことはないにしても、名前は聞いたことがある人らが名前を連ねていると思う。

ぼくは一応大阪弁は喋ることができる。ミナミはちょっと難しい。人生数えてみてもまだ半分は関西圏に暮らしていたことになる。
関西人からは「自分、標準語やんな~?」言われるが、「そうですか?でも、ぼく関西以外の人からは関西弁や、言われますよ」ってちょっと標準語っぽいのを関西のニュアンスで喋る。「ぼく」の「く」のほうにアクセントを置くのがコツ。あとは波打ちながら、上がっていくイメージで喋る。まあ適当に使い分けてる。話す時、オチやボケを探して話すのは関西人らしいか。実際ボケるかどうかはさておき。

せやからな(※露骨なアピール)、西成とかスーパー玉出とかは常識的には知ってんねんけど、ほんまあの辺は大阪の人でもようけ近寄らんとこで、おっちゃんとかは、わりとファンタジーやねん。
ぼくが中川家の出身地でお馴染みのとこに住んでた小学生の時は、昼からパンダ公園で酒呑んでるおっちゃんらはおったけどな。それのもっとディープ版やぁ、思っとるわ。

ほなダラダラ書こっか思うねんけど、去年の岸田と違ってもう、アホの塊みたいな作品やから、内容についても書くで。ネタバレは気いつけるけど、こんなブログ読む暇あるなら、紀伊国屋でも行って買うてきいやって話や。今やったら売ってはるわ。

「来てけつかるべき新世界」ってええタイトルやなぁ。
「けつかる」ってのはなんとなく意味はわかんねんけど、説明出来へんな。調べたら、

けつか・る [1]
( 動ラ五[四] )
〔近世上方語以降の語〕

「ある」「いる」などの意で卑しめていう。 「やあここに-・るか,よう舟へ石打つた/浄瑠璃・今宮心中 上」

補助動詞) 動詞の連用形,または,それに助詞「て」を伴った形に付いて,その動詞の示す動作を卑しめていう。 「なにを言って-・る」 「よろつきながらにらみ付,どうずりめ覚えて-・れ/浄瑠璃丹波与作 中」

って出てんけど、よぉわからんな。なんとなく下品な感じの言葉で、自分で使ったことはないわ。
「来るべき新世界」やったら、あんまパッとせんもんな。やっぱ「けつかる」ってのが要るんや。あとはこれは言うまでもないけど、「新世界」はダブルミーニングやな。

戻そう。ぼく、あんまりヨーロッパ企画自体、最近のは好きじゃなかったんですよ。「サマータイムマシンブルース」や「冬のユリゲラー」とかは、完成度が高いと思うし、上田さんのドラマ脚本は知らずに観て上手いホンやったなあ誰やろ、思ったら、あ、ヨーロッパ企画の人のやー!ってのは、しょっちゅうなんですけど、劇団では最近当て書きが悪い方に転がってみんなヘラヘラしていて。ヘラヘラが悪いとは言わないんだけど、最近ストーリーが存在しなくなって役者がヘラヘラしてるだけって気がして。それはホンにも現れていて、やたらと「~ネェ?」っていうドグラマグラっぽく男もカマトト臭いセリフが所々見られてなんか気持ち悪かったんです。
今回は河内弁で、まあ確かに読む関西弁って結構違和感あったりするが、そこは当然クリアされていて、ヘラヘラしてるのも大阪のおっちゃんやから、ヘラヘラどころかグダグダしていてもそんな感じやんもんなで気にならずに読める。そこにロボットやらドローンで話す人物が登場するもんだから戯曲を読むときに浮かぶ風景が面白くて面白くて。これは上演台本だから、それ以外にもいっぱい笑いどころはあったと思うし、文字ではイマイチなギャグも生身の役者がやったら面白いのもあるんやろうなあって空想しながら読みました。
野良警備ロボット、パトローが勝手にコンセント抜いて充電するとことか、戸惑うとことか、可愛くて笑ってしまった。特に二話がお気に入りだ。オチもベタなんだけど、ある一定のメッセージは持ってるし(それは今回ぼくにとってはあんまり、どうでもいいとこなんだけど)、ドキっと怖くて笑える。
サマータイムマシンブルースに代表されるような上田さんの圧倒的伏線回収能力を堪能出来なかったのは残念かなあ。確かにフリとボケが全般的に近い。

終盤近くのセリフ「お盆には帰ってくるし」は誰も選評で直接触れている人はいなかったけど、このセリフはすごい。いっちゃん伝えたかったことちゃうか?

トウキョウが藝術の町じゃー、トウキョウがーって文句言ってるわけだが、ヨーロッパ企画の公演はこっちでもやっていて、要は演劇へのアンテナを張ってないだけだね。まあでも、演劇ファンでも、芝居の内容そっちのけの俳優ファンだっているんだから、戯曲を読むのが好きな劇場に行かないヒキコモリがいたっていいんじゃない?