サトくんのブログ

リニューアルに当たってなんかカッチョいいブログ名にしようと思ったけど、ぼくのブログとしか言いようがないや。

恋はロミオとジュリエット

昔から、、つまり惚れた腫れた付き合った別れたが顕著になる中学のときからだが、友人の恋人というものが苦手である。
例えば誰かに新しい彼女ができたとする。友人なら祝福するべきだし、ぼくも心からしたい。「おめでとう!」は大袈裟だが「よかったじゃん」ぐらいは俺も言える。
このあとに続く言葉は「見たい!写メある?」。一度くらいはこの台詞を吐いた人は多いのではないだろうか。
そして、相手は照れながら、少し嫌がったりしながら、あるいは少し誇らしげにスマホをカチャカチャ触って何かしらの写真を見せてくれる。

たいていこのあとなんて言えばいいか困る。

プリクラだったりSNOWだったり明らかに加工された顔で、それでも加工仕切れない部分が目立ってより一層生気のないものに仕上がってる。可愛くても、どーせプリクラじゃん、なんて言葉も頭をかすめる。ブスはもうどうしようもない。

、、見せて!と言ってるときどんな顔をしていて欲しいと俺は思っているんだろうか。そりゃあスマホ見て画面に橋本環奈さんクラスの子が出てくれば俺もたまがるだろうが、まあ一般人の「可愛い子」なんてたかが知れる。いや、とびっきり可愛い子だったら、ぼくは性格がひねくれてるので、騙されてるんじゃないの?とかネットで拾ってきた画像なんじゃないの?とか思ってしまうかもしれない。嫉妬だろうか。そうじゃないんだ。

「友人の彼女」(別にぼくにも異性の友人はいるし、その場合は彼氏になるが、ひとまず置いておいて)としてその人物を知ってしまった以上、その人とは、どう転んでもぼく自身が恋人になることはないし、友人になることすらない。前からお互いに知っていて、オレの友達と付き合って別れたあとに、、、ってことは、うん、まあ、無かったとは言わないけど、「友人の彼女の○○ちゃん」と最初に認識した人を口説くほどぼくも外道ではない。「友人の彼女の○○ちゃん」でかつ「ぼくの友達○○ちゃん」というのも成立しにくい。

つまり将来的に仲良くなることなんてない、その画面の子をなんて評価したらいいのかわからない。だいたい人を好きになるのに見た目は重要な要素かもしれないが、全てではない。じゃあなんで写真を見たがるだろうか?

女を節操なく取り替える、モノみたいに扱うヤツだったら楽である。「おお今回は可愛いじゃん」とか下衆な話をしていればいい。
純朴で誠実なヤツだと困る。そういえば、お前彼女いなかったとき、「俺の童貞を捧げるのは香里奈だ!!」とか豪語してなかったっけ?、妥協してないか、という疑問も同時にまた頭をかすめる。色々かすめてんな。オレ。

あと彼女ができたことを嬉しそうに話す様子を見ると、別れたときのこともオレはお節介に想像してしまう。結婚とか法的な拘束があるものではないのだから、付き合ったり別れたりなんて多いにやったほうがいいと思う。だからこそ、幸せな今を見ると不幸せな将来を想像せずにいられない。

このモヤモヤを嫉妬と名付けるのは適切ではない気がする。
別に今カノジョ欲しくないし。最近俺のセックスは幸せを呼んでない。疲れた。

 

なんか厭世的だな。

 

友人の別れた話を聞くのも苦手である。友達じゃなくて知り合い程度だったら結構嬉々として半分くらい創作のネタにならないかなと聞き出すのだが、友達なんだし落ち込んでるのは俺も辛い。
だが、カノジョと別れた…と落ち込む友人を見ると

ーーーだから言ったじゃん。ーーー

なんて思う。いや、正確には言ってなくて、ただ付き合いたての時、別れを俺が勝手に想像したってことなんだけど。

誰かがフられて落ち込んでいたら、その場だけでも相手の女の悪口に乗っかるほうが正解だ、とは思う。だけど、なぜかぼくは女の子のほうに非常に同情的になってしまう。どんなに事情が客観的に見ても女のほうが悪い場合でもだ。これも昔から。

ーーーああ、冷めちゃったんだなーーー

どの友人も友人としてはいいヤツだと思うし、基本的にぼくは気の合ういいヤツとしか無理してつるまないのだが、どいつも欠点なんて探せばいくらでもあるわけで。
とくに友人よりも親密な恋人としては我慢ならないとこはあるだろうし、付き合ってる間は、その悪いところが意図的にしろ盲目的だったにしろ、見てなかったから相手の女の子は付き合ってたんじゃないの、と思うからだ。
なんかオレの内なる女性っぽいとこが、女の子に、こいつはそんなにいいヤツじゃないのよ、気づいちゃったのね、なんて話しかけてる。

 


あ、オチがないな。

 

 

↓彼女とデートなう。

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メイドインヘブン

なんだが時が立つの速くなっている。世界に俺だけ取り残されてる気がして怖いよ。
はじめは気のせいかとも思った。中学のときの3年間とかむちゃ長く感じるとか、楽しい時はあっという間に過ぎるとか相対性理論的なあれかと。いやマジで世界回るスピード早いって。加速してる。
この前、この前ってのは3月の話なんだけど、自分より年上の30代の方々と飲んだとき、俺が「ちょっと古い話なんだけどエド・はるみっていたじゃないですか?」って切り口で話始めたら「全然最近じゃん!若いな」って言われてちょっと安心してたけどやっぱ俺若くねぇわ。若づくりするつもりはないけど、ある程度は世界に追いついておきたいじゃん?一人ぼっちは怖いじゃん?
ポケモンの新作、、買うかどうかわかんないけどもう出るってよ。これは相対性理論じゃなくて世界の回るスピード早くなってる。これで確信した。地球の自転速度速くなってるわ。
ハンターハンターも、もう連載再開だ。昔はもっと文句を言っていた。めんどくさいから連載と休載の間隔調べてないが、1年間隔は俺にとってちょっと早いくらいだ。冨樫の生きるスピードにも追い抜かされぎみよ。ヒストリエも結構ちょうどいい間隔で単行本が出てる。世界に取り残されたオレに残ってるのは冨樫先生と岩明均先生だけ。

ただ、またハンターハンター連載再開したら週刊少年ジャンプを月曜に買う一週間が始まる。そうすると世界のスピードにまた追いつく。そうかジャンプが悪いのか、愚にもつかない漫画はさておき(鬼滅は好き)、ページ開いたらワンピースとかナルトっぽいなにかがまだやってるんだもん。ワンピースとか今の「少年」が読んでるのか?確か10歳になるいとこがワンピース無双をやっていたが、ゾロとかサンジとか最初から仲間という認識なのか?(ぼくは空島あたりから読んでない)まあ少なくともオレ「少年」じゃないもんね。週刊ってのがキツくて、話のワクワクをもう一週間持続できないのだ。

ん? 言ってることムジュンしてないか?

まあいいや。

エド・はるみは古いと思うけど8.6秒バズーカとかコロコロチキチキペッパーズ(名前あってる?)はむっちゃ最近だと思うんだけど、君はどう?

え?来年ワールドカップ????

蜷川シアターでシェイクスピア2作品観たよん

さあ、どうやって書き出そう。どうも僕です。
蜷川シアターが一周忌ということで一週間ごとに4作品映画館上映されていたですが、結局後半の2作品「間違いの喜劇」と「ヴェニスの商人」は観に行くことがでけました。
蜷川さんが好きか、と言われると、ご存命の間はたかが1,2作品観ただけであの爺ちゃん、どうなん?とか語っていたわけで、でも所謂日本にいる「演出家」で一番有名な人だったわけで、死んだら悪く言えないな(笑)っていうほど、興味があったわけでもなく、でも割と演劇をやっていた以上かなーり下流ではあったが影響はあったと思うし、何が言いたいかっていうと、まあそんな感じ、、と。

ただ2作品しか観ていないが何故この4作品のラインナップ?と思うところはある。詳しくは個々の作品で触れる。好評により第二弾三弾と続けるつもりだろうか?それは嬉しい。

間違いの喜劇
シェイクスピアの作品の中では結構マイナーに位置する。ぼくはタイトルしか知らなかったです。
感想としては、シェイクスピアってやっぱ天才やなあ、小栗旬かっけーなあ、蜷川演出としては首を傾げながら劇場を後にした。
話の流れは結構わかりやすい。
まずは、小栗旬演じる双子役アンティフォラスの父親が最初の10分でかなりわかりやすく設定を説明する。
瓜2つの兄弟アンティフォラスと、また瓜2つの兄弟で召使いのドローミオがそれぞれ兄アンティフォラスと兄ドローミオ、弟アンティフォラスと弟ドローミオの組み合わせで幼い頃、不慮の事故で兄父グループと弟母グループに別れてしまった。兄はその傍を探すためにシラクサの町にやってきたのだと。非常にややこしいことに兄も弟もそれぞれ同じ名前である。まあそうじゃないと喜劇が生まれないのだが。

かなり古典的手法で現在の作劇で、こんなに明確に状況設定を説明すると少なからず批判を受けそうである。
そのあとは瓜2つであるがため、周囲の勘違いによってドタバタコメディが進んでいく。
まあ詳しく知りたいなら、ウィキペディアを見るなり、戯曲を読むなり。

個人的にはそもそもお兄ちゃんは、双子の弟を探しに町にやってきたのだから、色々と不可解なことが起こればピンとくるような気もするが…と最初の小栗旬登場シーンで思ってしまったが。
演出目線でいえば、この劇のストーリーラインを引っ張るのは、ホントにこの三谷幸喜的誤解のファルスしかない。まあ問いかける要素としては、ただのコメディにするか、アイデンティティの崩壊の要素を盛るかどうかといったところか。

蜷川演出はわりとコメディだけで押そうとしていたと思う。
のわりにはコメディがそこまで上手ではない。

シェイクスピアのおじさんも蜷川のおじさんも、喜劇よりは悲劇の人だと思うが、世界で未だに名前が残っていて喜劇だろうがある一定の基準を超え、もはや教科書レベルにまで達しているシェイクスピアに比べ、結構蜷川のほうは、さて死んでこれからも名前が100年先も残るかって話で。
おそらく明らかに「演出」として加えたものとして、最初のオープニングパレードと、最後のダンスシーンだがイマイチ何がしたいか、わからない。とくに最後のダンスしながらカップル達がリボンを加えながら踊るのは結構、シロウトにありがちな余計な発想で台無しにしてるレベルである。
舞台に街の人々が意味ありげに配置されて劇の行く末を見守っているのも割と意味不明だったな。
客席を巻き込んで演劇をさせているのは俳優ファンにとっては、まあ生でみればかなり価値があるし、サービスでもあるし、そこは始めから、そう戯曲に書いてあるかのように錯覚させるほど巧妙に作ってあった。(演出としての「勝ち」はある意味では演出を意識させないことである。実際悪い、っていうか僕的には微妙だったところを挙げてみたあと、逆に良いところはなかったんかい、世界の蜷川だぜ?って自分の中で反芻して気がついた)
いやホント当時23歳の小栗旬はかっこよかったんだけど、まあそれだけで濡れてしまうほど乙女じゃないし、蜷川、小栗旬を鍛えるのに精一杯で、演出している暇なかったんじゃね?とも思った。
面白かったんだよホントに。特に途中までは。

この双子役が2ペアずつでて、舞台にはどちらか一方が出て、誤解をより誤解を生んで、それは面白くて笑っちゃうんだが、最後の最後で、双子が両方とも舞台上に出ないといけなくなる。つまり小栗旬が2人いないといけない。
これの解決法が小栗旬のリアル兄を使って、小栗旬兄が演じて、小栗旬が腹話術をするというものだった。(召使いドローミオも)

それはなくね…?

散々そっくりってことでネタを引っ張って、小栗旬の熱演も相まって楽しく観れたのに、結構興ざめである。小栗兄、そこはまでカッコよくねーし、喋ってない(小栗旬が腹話術でアテレコする)のにリアクションだけでも割と演技下手だし、しかも劇シネなのでアップで映るので髪型とか似せてるけど似てない。純粋な舞台だったら誤魔化せていたのかも。んなことはないか。

まあそんな感じ。
あ、そういえば全員男だったがそこは、すごくよかった。

 

女装がある舞台でよく聴く声として「女の人より綺麗だったー」ってのがあるが個人的にはそれを言われるのは負けだと思っているところがあって、その昔、僕が演出した時も、たかが自分の小規模な学生レベルでさえ、女役を演じてくれた彼に「お前、アンケで女より綺麗と書かれるなよ。そんなん当たり前なんだから」って言ったような気がする。

その上で月川悠貴は無茶苦茶綺麗で声も凛としていて綺麗だった。

女装に対する俺の暑い思いは、ヴェニスの商人の時にも書く。決してホモではない。

なんでこの作品をわざわざ4タイトルの中に入れたのかは理解に苦しむ。マイナータイトルだし、決して演出が卓越してたわけでもないし、藤原竜也に次ぐ蜷川秘蔵っ子である小栗旬の若かりし頃の作品だったからだろうか。成宮くんはアレになっちゃたし…。身毒丸も行きたかったな…。

ああ、そうそう訳の松岡和子の言葉遊びが結構光っていた。

ヴェニスの商人
こっちは結構満足して劇場をあとにした。あらすじは省略。これもオールメール。そういえばちょっと録音状況が良くなかったな、、舞台の作りが「間違いの喜劇」と似ていて、「ダイナミックな舞台作り」が蜷川のええとこなんじゃないのか。やっぱラインナップ謎。

劇の大きな流れとして、市川猿の助演ずるシャイロック中村倫也演ずるポーシャ役の2つが作り出す流れがある。高橋克実なども出ていたが良くも悪くも、わざとかもしれないが他は食われてた。

ヴェニスの商人シャイロックの一人勝ちになってしまう。当時の英国状況は知らないが、高利貸しのユダヤ人に対して明確な「悪」と描くことは現代では少ないと思う。

特に日本人は基本的にキリスト教じゃないし。ユダヤ人と日本人は祖先が同じ説はトンデモ説かも知れないが聞いたことがある。俺個人の思いでも、海外で自分が異教徒であることに苦しんだ経験がある。

蜷川演出もかなりシャイロックに寄り添って描いていた。最後のシーンは戯曲には書いてなかっただろう。市川猿の助の歌舞伎要素も、周囲からいい意味で浮くためにも、もしかしたジャパニーズソウルのためにとりいれたかもしれない。まあファンサービスもありそうだが。実際大見栄は拍手を思わずしてしてまいそうだった。だけど、役者が出てくるだけで拍手をする馬鹿観客は死んだ方がいい。映像の中ですらムカつくわ。でもそういう層が芝居を支えているんだろうなあ。拍手をしていいか悪いか、創り手がどう要求してるかも直感でわかんない観客はほんと死ねよ。少し古い話題だが、携帯電話マナー守んないやつよりたち悪いよ。馬鹿なだけだから。
このシャイロックは単なる「悪」ではなかったが、ただ単に可哀想だよね、では片付けていなかった。やはり憎々しいのだ。
歌舞伎といえば、6/9にEテレ初音ミクと歌舞伎コラボがあるんだっけ。時間が合えば観ようっと。

もう一つの流れとしてポーシャが作り出している。中村倫也がかなり上手い。はっきりいって無茶苦茶可愛い。女性らしい強かさやあざとさを見事に演じている。(もしかしたらそれは男性の幻想かもしれない。俺も男性だし。男の一番気持ちいいところは男が一番知ってるんだよ…?決してホモではない)
女装する男性が男装を演じるところも完璧だ。登場人物に男と誤解させるくらいの説得力はあるし、それでいて可愛さも忘れてない。

 

ほんまこれな。

オールメールの強みは、間違いの喜劇にしろ、ヴェニスの商人にしろ活かされていた。女だとこうはいかないだろう。(あんまり俺は宝塚が好きではない)
男装するポーシャを女性を演じると、なんで、舞台上の登場人物が女性だと気がつかないんだろうというのがひっかりそうである。男装が上手い女優というのはプロアマ問わず見たことがないな。
オールメールこそ正当なシェイクスピア劇だよ!女とか要らねえ!!

もしこれを読んでいる人で今後、男役を演じる人がいるとしたら、女体ウォッチャーとしてアドバイスすると(結局ぼくは結構重度の女好きだ)、女はケツでバレる。
胸は当然、潰している人が多いだろうが、お尻の丸みのことを忘れている。そして歩き方座り方に問題がある。男性はかなり下品な歩き方をする。ほんと下半身に注目して動いて欲しい。
古今東西男性が女性を演じることは多くてある程度方法論が確立してに比べて、女性は宝塚ぐらいしかないからだろうか。浅学のため、他に思い当たらない。

今回の蜷川演出としての話よりヴェニスの商人のストーリーそのものについて言及するようになっていくが、ポーシャは何故、最後夫の指輪をだまし取ろうとしたのだろうか?
誰も幸せにならない。ここは是非一緒に観に行った女性陣に訊きたいところだった。
ただのイタズラ…ってことは無さそうだ。

シャイロックという流れとポーシャという流れに対して、シャイロックの娘でポーシャと同じ若くて可愛い女性ジェシカが存在するんだと思う。ここはあまり蜷川さんは注目していなかった。もしかしてシーン切った?
手元に戯曲がないのでわからない。もしかしたらまたシェイクスピアについては戯曲を読んで書き出すかもしれん。
だいたいシャイロックにしてみれば、可愛い一人娘を盗られていて踏んだり蹴ったりだ。ジェシカは父シャイロックについては悪口しか話していない。

アントーニオとバサーニオについてはマジで意味がわからない。ウィキペディアを見るとアントーニオ 正義感が強く情に熱いというが、わりとわけがわからないやつである。高橋克実さんの人柄もあってかなんとなく「いい人」な感じがするが、冷静に考えてシェイロックがここまで憎悪を燃やすほど、かつて罵っていたのは本人が認めるところだし、わりと考えもなしに「肉1ポンドの契約」をしたのも事実だ。どうせ本気で肉を切り取られるとは思っていなかったのだろうか。
バサーニオも大概である。金がないプータローが金持ち美人と結婚するために金貸してってのが話の始まりだし。鉛の箱を選んだぐらいしか、いいとこがない。それもヒントありきだし。結局顔かよ。けっ。

シェイロックの改宗を要求するのはホントに酷いことだと思う。彼はセコい金貸しである以上にユダヤ人であることを何よりもアイデンティティにしていただろうに。
シェイロックの絶望はかなり意図的に長時間かけて描写していた。蜷川さんもかなりシャイロックに思い入れがあったのだろう。
絶望の中、帰ろうとするシェイロックを冷笑したキリスト教の人々は戯曲に、書いてあるのだろうか。かなり明確に悪意のある笑いだった。
アントーニオと多分、バサーニオは笑ってなかったが、改宗を要求したのはアントーニオだし、十字架をシェイロックに首かけたのはバサーニオだった。いやマジでなんなんこいつら?

シェイロックってわりと「ヤミ金ウシジマくん」なとこありそうだね。

結構シェイクスピアのおじさんはユダヤ人ってムカつくよね、ってことで書いたのだろうか。それとも当時の差別に対して皮肉があったのだろうか。
「オセロー」では、差別批判、、というよりも物凄く客観的に世間を見ていて、物凄くナチュラルに、黒人でも(オセローはムーア人だからアフリカ系ではないが)優秀なヤツいたっておかしくなくね? そーいうヤツは白人社会のなかにいたら、ストーリーとして面白くね?って考えることができていたんだと思う。

僕もそういう風に差別とかは、声高に平等を主張するのも、もちろん偏見もなく、なんか肩の力を抜いて、今ある社会を受け入れて面白がりたいんだ。例えば今話題のLGBTについて、そう考える。なんか今の加熱具合にひいちゃうところがある。今もホモネタをふざけ半分で使っているわけで。一方で、別に誰かが誰かを好きになるのに、何がいるっていうんだろう…?

色々考えるところがあってやっぱりシェイクスピアはマジ面白いよなぁ。あんまり書かなかったけど、日本語でも台詞回しが気持ちいいし、「間違いの喜劇」にしろ「ヴェニスの商人」にしろ愛を語るシーンは聞いていて気持ちいい。小栗旬が口説くところは、キャーって感じだった、決してホ

一生に一回くらいシェイクスピアの台詞を吐いてみたかったし、演出したかったなあ
じゃまた!

衝動(しょーどぅっ!!)

なんか別にブログに書きたい内容はないのだが、何か文を書きたいという欲求はある(小説ほどの体力は今ない)ので書き出してみた。ま、いいか、最近閲覧数減ってるし。
とゆーか、こんなところにこっそりと見にきてるやつが気持ち悪い。ハテナブログ利用者で自分の閲覧数あげるためにとりあえず色々な弱小ブログ見て回っている人はまあ、わかるが(案の定自分もこっそりお返しに見に行ってるんだし。ブクマとかはしないが)、ツイッターでわざわざ見にきてるやつは何がしたいんだ。俺のこと大好きか。勝手に俺の部屋入んなよ。

もちろん誰がこんなの見てるのかとかわかんないんだけど、どの記事が人気かとかは、ブログの機能でわかる。
タイトルに固有名詞、厚切りジェイソンとか岸田戯曲賞とかあると閲覧数あがるのはまあ想定の範囲内。のわりにはヒカキンは全然だったけど。あと2ちゃんのまとめ記事じゃないが煽情的なのはやっぱり、たかが自分のブログ規模でも高い。あんまりこの辺を研究するつもりはないが固有名詞を出しつつ、プチ炎上しながら、でも納得する人もいる、内角低めのえぐるような球がいいんだろう。

 

っつって、お前野球知らねーだろ。

 

うん。
ちんげカーペットで坊主、5mmって最初に書いてあとで調べたら5mmは想定していた坊主より毛が生えていた。中学生が俺五厘にしたぜーって自慢しあってるのをぼんやり聞いていて数字の5だけを覚えていたのだろう。坊主とか生まれてこの方したことないよ。

 

そういえば、

heavymoth.hatenablog.com

バイト経験から書いたこの記事は割と自分は気に入ってる。
あとなぜか

heavymoth.hatenablog.com

これが過去記事で一番閲覧数が高い。なんかぼんやりと言葉ってなんだろうって拙い文章で考えてるのが面白いのだろうか。衝動的に書いてるし、主語がズレたり、てにをはの誤字が酷いし。…わざとのところもあるよ?話し言葉ってそういうとこあるでしょ。いうてほら俺中高生に国語教えてるし。センター190だし。でもわざとじゃないところもあるんだろうなぁ。ほら僕幼少のころアメリカで育ったから日本語は不自由で…

あの酔っ払った記事のタイトルはヒットの法則から離れてるし、投稿時間も午前3時とか変な時間に投稿している。でも酔ってはいたけど、一番素直に書いてるから、読んだ、、少なくともページを開いた人が多いのは、嬉しいやら恥ずかしいやらやっぱり俺の部屋勝手に入んなよって感じ。

まあ、俺の部屋っつっても、文章を書くってのはどんな形であれ恥をただ書いてるのを自覚した上で、痛いこと書いていて、たまにボケて妄言言ってスベってるんだけどね。そのまた上に俺が自覚してないイタさがあるんだろうね。と書いてること自体イタイんだろうね。

 

もうちょっと書きたいな。
何について書こう。

そういえば最近というか土日から短歌を始めた。初めはジョークのつもりで詠んでいたら思ったよりも奥深い世界で、ハマってる。ふざけてる部分もあるけど。だいたい歌詞とかもそうだけど素面じゃ痒くてなにも書けないって。ふざけてるからこそ、今の基本姿勢は崩さないつもり。少なくとも100首までは。あのアイコンの子は誰でしょうね?
というか知らない人からの「いいね」が思ったより多くて焦る。承認欲求が満たされるので嬉しいけど。ほら歌人の私はちょっとメンヘラ入ってる設定だから。
本当は女性、、というか性別を誤魔化して「女性」っぽい「恋愛」の歌限定のつもりがキツくなって早速「恋愛」要素か「女性」っぽい要素どちらかあればオッケーという制限になった。
あと思ったより31文字制限で言葉を思考錯誤したほうが自分でも思ってない方向に歌が転がって面白い。慣れるまでは種田山頭火みたいなことはしないつもり。

 

短歌とか俳句に興味を持ち出したのは最近のことだ。自分の高校時代は授業なんてろくに聞いてなかった。

図らずも、小銭を稼ぐために3年前から塾講師のバイトを始めたのだが、先生の人数の関係で、専門ではない国語という科目をメインに中学生や高校生のあほどもに教える羽目になった。場合によっては他教科もやる。
まあ、受験科目に関しては割とおかげさまでオールラウンダーだし。だから国語も受験科目としての国語だったら、センターはこうすれば点がとれるとかこうすれば記述で合格点いけるとかはまあまあ教えられる。
ただ、高校の定期テストで留年しそうな子たちの学校の補習のための塾での授業(もうわけわかんないな)の範囲が俳句、短歌でさ、いよいよ教員免許とる気すらないのに、「国語の教科書」なんてものを片手に筆者の気持ちは~とか言い出すようになった。

なにやってんねん俺って感じだけど、そのときに面白さに気付いた。穂村弘さんなんて恥ずかしながらその時初めて名前を知った。

もう少し若いころに短歌、俳句の面白さに気付いていればと思う反面、まあその時知っていて興味を持っていたかという話で、人は結局、書きたいときに書き、歌いたいときに歌い、踊りたいときに踊るのだ、とも思う。

一個だけ教科書に載っていた短歌を紹介して終わろうかな。知っている人にとっては常識なんだろうけど。

 

やわ肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」

 

これはぼくの琴線に触れた。穂村弘の歌も好きだが、これはまた今度。解釈に諸説あるが、個人的に「君」は東大京大、まあ、うん阪大も…などの高学歴理系男子に向かってると思う。いわゆるイカ阪とかイカ京とかいうやつ。(まだこの言葉はあるのか?)

しかし、なんとまあ艶やかでむちっとした歌だこと。

ちなみに与謝野晶子の顔をネットで見るとちょっとがっかりする。

届け!ヒカキンさんに届け!!

5歳になる息子がipadで色々遊ぶようになった。やはり子供というものはこの手の物が得意らしく、自分もデジタルギアには強いワカモノのつもりだったが、息子のほうが今ではスイスイ使いこなしている。
ただお母さんとの約束で、インターネットは使わない、YouTubeを見るときはパパかママに許可を取ると決めている。今のところは守ってくれているようだ。
ぼくの時も、10歳ぐらいのときには、夜中こっそり起きだしてファミコンで「オホーツクに消ゆ」を起動して、「そのバスタオルを取れ」なんてコマンドを選択していたが、5歳はまだ素直だ。そういったものに興味を持ち出すようになったら、その時はその時のつもりでいる。ウチの嫁さんは、女兄弟で育って免疫があまりないので、そこは男親の自分の出番だろう。

特に息子は、ヒカキンさんが好きらしい。よく動画を観て笑っている。
ヒカキンという名前は、ぼくも知っていたし、YouTuberなる職業?がここ数年台頭していて、小学生のなりたい職業上位にYouTuberがランクインしていることは日経OFFで読んだ。ただやっぱりぼくは古い人間で、労働とは汗水垂らして賃金を得るものだと思うし、ぼくが高校生の頃からゲーム実況というものは流行りだして、自分もたまに観ていたが、どちらかというと彼らは同世代の人達の中でチヤホヤされたいという感じが滲み出てあまりポジティブなイメージを持っていなかった。が、ヒカキンさんは純粋に子ども向けに、子どもに向かって動画を作ってらっしゃっる。ネットでは「歩くコロコロコミック」だとか「子どもを笑顔にして飯を食う男」だとか言われているそうだ。

実際ぼくも観てみた。
面白い。
これはぼくの中にもナンダカンダ、コドモな部分があってそこがビンビン反応するのだ。純粋に大人が見て面白いかと言われると、うーん笑。最近のテレビよりは面白いかな?
動画はややもすればテンポが早いように思えるが、YouTubeという枠組みではあれぐらいがちょうどいい。変顔も面白い。ついつい笑ってしまう。ボイスパーカッションもカッコいい。最近息子がブンブン言ってるな、と思ったらどうやらヒカキンさんのボイパをマネしているらしい。ぼくもちょっと練習してみた。

ママとしてヒカキンさんのポイントが高いのは、下ネタが極端に少ないことだそうだ。確かに実況動画を見ていても下品なことが咄嗟の時もでない。パパとしていやらしいなぁヒカキンさんと思うのは紹介する商品が決して買えなくはない値段帯が多いことだろうか。パンチングマシンを欲しがったときはマイッタ。ガラクタになることは目に見えていたのに……。トホホ。(このトホホもヒカキンさんのマネ。笑)

 

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ちんげカーペット

プロフィール帳って知ってる?僕が小学生の頃、女子の間で無茶苦茶流行った。
たれぱんだとかしずくちゃんとかこげぱんとか、当時のゆるキャラのキャラクターグッズで、生年月日だとか血液型だとか好きなタイプだとか文字通りプロフィールを色々記入していく紙だ。女子はおそらく色んな人のものを集めていたのだろう。先生にも書いてもらっている子もいた。何のために集めていたのか、集めてどうしていたのかは知らない。おそらくただ集めていただけなのだろう。
小学生、特に高学年の男子は、大きく分けて、女子にプロフィールを書いてと頼まれる男子と、頼まれない男子に二分される。僕ら野球坊主三人組は、頼まれない男子だった。あるいは、サッカー部の別所くんが女子に書いてーと言われてる側で所在なさげにうろうろしていたら、あんたも書く?と例の紙を渡されるレベルの男子だった。つまり、何が言いたいかというと、モテてはなかった。嫌われてもなかった、とは思う。


ある日「総合学習」という科目の授業で、班ごとに何かを調べて、模造紙にまとめて発表するというのがあった。何を調べたのかは忘れた。保健所の仕事内容だったかな?
とにかく、僕らの班の男子は健ちゃん、大野、僕の例の三人組で、女子三人はどの子もタイプは違えど、結構可愛いじゃんって子らで、授業中に作業が終わらなかったか何かで健ちゃんの家で作業をすることになった。僕ら男子は浮かれていた。でも誰も口にしなかった。誰が可愛いとか、好きだとか、そういう男子トークをするのはもっと年がいった後のことだ。小六にとっては何かそういうことを言ったら「負け」みたいな空気が流れていた。でも実は僕はちょっとボーイッシュな健康的な肌をした横瀬さんのことを好ましく思っていた。
作業する日、男子は集合時間の3時間前に来いと健ちゃんから御達しがあった。どうしてと聞くと、いいから来い、と。健ちゃんは三人の中ではリーダー格だったから大野と僕は腑に落ちないながらも、ちゃんと時間通りに行った。
到着すると神妙な面持ちで健ちゃんは待っていた。なぜか部屋にはバリカンと、剃刀が2つ並んでた。
まずは、お前ら髪を剃り直してこい、5厘だ、と言ってきた。
野球部だった僕らは普段から坊主にしていたので、髪を剃ることは問題なかったのだけど、何故このタイミングで、とは思った。でも健ちゃんは相変わらず有無を言わさない迫力で、僕らには?が頭には浮かびながらも、素直に頭を清めた。
部屋に戻ると健ちゃんは今度は、剃刀を渡してきた。??とハテナがもう一つ浮かびあがる。

「お前らってちんげ生えてる?」
「は?」
「いいからちんこみせろよ」
「やだよ」
流石に抵抗する。
「いいから」
「なんなんだよ、さっきから」
「訳は全部終わったら話すって。とにかく、ほら、俺みたいにツルツルにしてこい」

と言って、健ちゃんはズボンとパンツを降ろし、ちんこをポロンと見せてきた。見事にツルツルだった。

「な?」

そんなこんなで、僕は申し訳程度にチョロチョロ生えかけてたちんげも剃り上げる。
戻ると、健ちゃんはチェックと称して、結局僕らはちんこを見せるはめになった。
今度は、カーペットや服などに転がして埃などを取る紙テープのロールで出来たコロコロを一つづつ渡してきた。


「まだあんのかよ」
「これでとりあえず終わりだって。とにかく女子が来るまでひたすらコロコロして、部屋にゴミ一つないようにしろ。今度はオレもコロコロするから」


また、頭に一つハテナを追加して、僕らは黙々と部屋中コロコロする。???。2時間ほどただただコロコロした。
女子が来てからの作業は、とても楽しいものだった。特筆することはない。本当に楽しい時間を過ごした。模造紙の空いたスペースに僕がイラストを書くと、すごーい、絵が上手いんだねって横瀬さんは褒めてくれた。ただ一つあるとすれば、健ちゃんのおばちゃんがジュースとオヤツを部屋に持ってくると、健ちゃんが猛烈に怒って部屋に上げなかったことくらい。
女子が帰っても、僕ら三人はまだ健ちゃんの部屋にいた。
また健ちゃんは神妙な面持ちで、新しいコロコロを差し出してきた。また部屋の隅々までコロコロしろ、と。

「また?」
「健、いい加減教えろよ、お前今日変過ぎ」
「……」

健ちゃんは少し間をおいてから物々しく口を開く。

「いいだろう。俺ら、今日、髪もちんげも剃ったからツルツルなわけじゃん」
「うん」
「そして、俺の部屋も髪の毛一本も落ちてなかった」
「うん」
「ってことはだ。もし今からコロコロして、縮れた毛や長い毛が落ちていたら、それは女子の誰かの、髪の毛か、あるいはあそこの毛ってことになるんだよ!!」


「!?」「!?」


それはもう、マガジンのヤンキー漫画並に!?が僕と大野の頭上に浮かび上がる。
ひったくるようにコロコロを受け取り、さっきと違って今度は嬉々として僕ら三人は夜遅くまでコロコロした。特に横瀬さんが座ってた位置を僕は念入りにコロコロした。ひたすらコロコロした。
部屋はとっても綺麗だった。

 

それから数日後、僕は生えてくる自分のちんげのチクチクで苦しむことになる。

 

(了)

 

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アクアパッツァ

先日アクアパッツァを初めて食べた。
と思ったら既に食べたことある食べ物だった。
アクアパッツァという名前とあの食べ物が頭の中で繋がってなかった。
昔からある食べ物じゃん。母親が料理教室で習ってきて割と日々のラインナップに入っていたぞ。普通にイタリア料理を食いにいったときもあったし。アクアパッツァアクアパッツァって最近よく聞くから最近の食べ物だとてっきり思い込んでいた。アクアパッツァ。つまりアクアパッツァと知らずにアクアパッツァを食べたことは沢山あったんだけど、アクアパッツァという名前を意識して食べたアクアパッツァは初めてだった。
アクアパッツァって響きからあれは想像できないでしょ。アクアパッツァだよ?
多分アクアパッツァって聞くたんびオシャレな洋風の透明トコロテンのような、火で軽く炙ったシュワっとしたトマトとなんか名前のよく知らないワインによく合うサラっとしたチーズで出来た食べ物を想像してたんだけど、本当のアクアパッツァは結構北欧の郷土料理っぽいものだった。ステラおばさんが作ってそう。ぼくの想像のアクアパッツァは多分、アクアからの水の連想とパッツァのパスタとピッツァの連想から来てるんだけど、そのアクアパッツァも実は本物のアクアパッツァを知ったあとに、こうだったけなあと思い返しながら描写したアクアパッツァで、かつてのアクアパッツァはもう消えてなくなってしまった。
ああ、麗しのアクアパッツァよ……!
俺はもう君のことは知っていたんだ。知らなかったのは名前だけ。敵なのは、アクアパッツァという名前だけ。たとえアクアパッツァでいなくても、アクアパッツァアクアパッツァのまま。アクアパッツァ…なんでそんな最近ですって顔をするんだい?アクアパッツァとぼくの仲じゃないか。アクアパッツァ――それが、どうしたという? 手でもなければ、足でもない、腕でもなければ、顔でもない、他のどんな部分でもない。ああ、何か他の名前を付けてくれ。名前にどんな意味があるという? バラという花にどんな名前をつけようとも、その香りに変わりはないはず。アクアパッツァだって同じこと。アクアパッツァという名前でなくなっても、アクアパッツァの味は変わらない。そんなに美味しくはない。不味くもないが。イタリアン好きだから割と好きか?
アクアパッツァ