サトくんのブログ

リニューアルに当たってなんかカッチョいいブログ名にしようと思ったけど、ぼくのブログとしか言いようがないや。

観劇01

観劇01

つーわけで引っ越しついでに今のぼくがちょろんとコメントもここに書こうっと。

たしかこれ以前も感想をクラウドには書いていたけど、発掘してみたら文が散っていてよくわからん。

たしかに鴻上はつまらんと思う。脚本が手に入りやすいからじゃない?

  • 2014.02.14 Friday
  • 12:00
 
2/14 劇団六風館、ビーヒアナウ 大阪大学大集会室

今年から観劇記録とか演劇っぽい活動の糧になりそうなことをウェブ上に公開しようと思う。続くかどうかわからないが。発信することで何か発見があるかもしれない。

今年初観劇は去年まで、所属していた劇団六風館のビーヒアナウだった。鴻上尚史の。

なかなか作品にパワーがないと、ぼくは「俺だったらこうするのになあ」とか「このアイデアいいなあ」とうがった見方をしてしまうのだが、それに加え彼らの友人というか先輩として色々と見ちゃうのでタチが悪い。おじいちゃん目線というか。なるたけめんどくさいOBOGみたいなるのよそうとは思っているが、それでもね。

とりあえず、がんばってたと思う。役者にしろ、演出を含めたスタッフにしろ。努力が伺えた。ただ悲しいかな、努力したからと言って必ず面白い素晴らしい作品になる世界ではないなと思う。
具体的にいえば、役者はそれぞれ発声にしろ動きにしろ、良くないと全員自覚はしてた。ただそれでも、まだまだで滑舌は悪いし、他の伝える技術もろもろで、セリフの内容の3割も客席に届けられてなかった。
そういったことが各スタッフでも感じられた。制作とかもね。宣伝がんばってたみたいだが、暗転中に案内するとか、傘を帰り番号札引き換えに預けたのに勝手に持って帰れとかはいかがなものか。

思うに鴻上さんの脚本は、(この言い方はかなり乱暴だが)今の人達にとって興味が持てないものだと思う。もちろん人それぞれ好みはあるだろうが。

誰かが言ったが世の中の物語というものは広義にはミステリーである。ぼくもそう思う。
序盤にある謎が提示され、それが徐々に深みをまし、最後はどういった形にせよ解決。
という乱暴なテンプレートがある。

つまり最初に提示された謎がいかなる理由にしろ興味をそそられるものでないといけない。一度誘いこめば後は上手く誘導すればお客さんは自分達で勝手に歩いてきてくれる。

例えば、最初に魅力的なパフォーマンスをするのも手だろう。男前や美女が最初に出てればみんな舞台を見てくれる。今思いついたが幕が明けてすぐに舞台上でセックスしてたら、"disgusting!"なんて淑女の方は思いながらも目をそらせないでいるだろう。
まあ、そんな露骨なことをしなくても(むしろぼくは露骨なことはしたがらないほうが好きだが)脚本か、演出にパワーが必要だ。

で、まあ鴻上さんの脚本には序盤に引き寄せようとする要素がテーマにしろ小道具的エピソードにしろ展開にしろ現代人にとって興味もちづらいものだぼくはと思う。
興味を持ちづらいというよりも手垢がつきすぎていて、それでいてヴィンテージまでたどり着いてないものだと。
例えば、キーワードにしろテーマにしろ「いじめ」とかいうワードはこう言っちゃなんだが古い。「震災」とかも切り取り方によるけど、またか…となる。
ぼくが乱暴なのかもしれないが、他の人もどこか心の片隅で思ってしまっていると信じてる。
これは大量生産大量消費社会における病める現代人が悪いのだが、この話は脱線だからやめる。というか、これ自体ちょっと手垢ついてるし。
そして何よりも主張が何処かで聞いたことをわざわざ「演劇」を使ってやってしまうのがまずい。

先程のいじめを例に使うなら、「いじめ」をテーマにされてるとしよう。これ自体、テレビや新聞で議論され尽くされてる気もするが、まだいい。議論し過ぎて悪い問題では決してない。
ただ、そのあとがまずい。「いじめられているほうにも原因がある」といった展開になりだす。この主張自体にぼくが賛同するかどうかはさておき、こんな意見わざわざ、劇場に足を運ばなくても聞ける。そして中途半端な王道ではない道でもある。王道の良さもなく、邪道に良さもない。その辺のセンスが時代遅れだなあと思う。
ある程度テーマが古くなってくるとそれはそれの良さがある。例えば、「愛」とか。これはもうギリシャ時代だがなんだが知らないが、今なお人を魅了する要素だろう。

話が強烈な鴻上批判になってしまった。
そうじゃなくて、ぼくは演出家になりたくて、鴻上さんの脚本は当時はさておき現代においてそういった風だから、それを意識して演出する必要があるなあ、と思ったって話。脚本の力だけではなかなかお客さんが引き寄せられないから、色々と時に大胆に時に繊細に補佐する必要がある。
パフォーマンスとかもそうだが、僕だったら役者の演技を多少、演劇特有の「ウッ」とした感じがしたとしても、ハッキリとした喋り動きを役者全員にたいしてベースに要求したと思う。そこからどこをどこまで抜いていくか、の作業で作っていく。くらいしか思いつかない。

あと、思ったのはぼくは、各々のシーンがカッコイイかのウエイトが比較的軽いほうだと思う。そこにそれほど魅力も感じてなく、演出もその傾向にあるだろう。どちらかというと全体が綺麗に重なって昇華するほうにウエイトをかける。まったくのゼロではなく、スタッフに迷惑をかけているときもあると思うが、台本が要求する最低限と全体を統括するためにカッコイイは作っているようだ。
だから、音響、照明さんでカッコイイものを作れる方をぼくはとても大事に思う。舞台は助け合いだもの。


おそらく、こういった感じで、演劇的イベントを経験したらブログを書いていこうと思う。だから、正直、その作品そのもの感想はほぼゼロだったり、ある点を批判したりしていくと思うのでタイトルに見た芝居のタイトルはいれないで、検索されにくくしよう。じゃあなんで、ウェブ発信。孤独と自己顕示欲かな。いやきっと何かのためになる。