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サトくんのブログ

リニューアルに当たってなんかカッチョいいブログ名にしようと思ったけど、ぼくのブログとしか言いようがないや。

観劇05

これもむっちゃよかった。でも今もう一度見たいかと言われると、うーん。

ちょっと遅咲きの太宰中毒がこのごろ始まった。

  • 2014.03.09 Sunday
  • 23:48
 
メイシアター グッドバイ

すごかった。
一瞬たりとも無駄な時間がなかった。
「三時間があっという間だった」なんて言葉は失礼なんじゃないか、と思うくらい。
とりあえず順番にその時思ったことを書いていこう。

むちゃくちゃ楽しみにしていた。
明日から小屋入りで最終稽古だというのに無理やり行かせてもらった。
嗅覚的に行かなきゃって感じた。
大抵、今まで生きてきて劇に限らず、有名ラーメン店にしろハードルをあげてあげ過ぎて得したことなんてほとんどないんだが、むちゃくちゃ観る前わくわくしてた。わかってたけどわくわくしてた。観ることできることが決まった前日、青空文庫を読んで観劇の準備をしておいた。文章がやや古いとはいえ、短いこともあり、話もユーモラスかつ少しセクシーですらすら読めた。太宰治は国語の教科書で「走れメロス」を読んだくらいだ。昔中2くらいのころ「人間失格」を読みかけてやめている。なぜ読みやめたかは忘れた。

余談になるが昔、国語の時間走れメロスの授業で褒められたことがある。
「メロスは何回走るのをやめたか?」と聞く先生の質問に対し、多くの人が手をあげた回数(何回か忘れた)よりひとつ多い回数の時に手を挙げた。ぼく一人だった。「最後処刑を見守る群衆の前で足を止めたはずだ」と答えた。だからどうだという話だが。まあ国語の授業っぽくもう少し答えると、メロスの最後の障害は、自然災害でも、自身の諦めでもなく、物理的な大衆である。といったところだろうか。今更だが答える。
いくらなんでも脱線し過ぎ。劇の想いをなんとか文面に残しておきたいのに。

メイシアターに入ったところから。
つい最近クラシックコンサートに行ったときも思ったが、ぼくは小劇場よりもああいう少しインテリジェンスな娯楽施設が好きなようだ。ホールの匂いのようなものが。
座席は直前に予約したので、一番後ろ。でもちょうど真ん中だし、なんとなくでもお客さんの様子も観れるからいいや、とポジティブシンキング。後ろの人に気を使わなくていいしね。そういえば隣の席に座ってた美人さんこの前みた劇に出てた女優さんでした。Twitterでグッドバイの感想見てたらその人も呟いてたので確定だな

ただ一つ非常に残念でならなかったのは、客席の傾斜角が緩やか過ぎる。前のお客さんの頭で、足元が見えない。役者が手前のほうで座るとかなりつらい。楽日じゃなかったら手前のほうの席でもう一回見たいくらいだった。ホールの設計者が悪いなこりゃ。おしゃれだったし、座りごごちも良いほうで金がかかってるなあって感じだが、少し想像力が足りないな

あ、あと後ろにもともとスピーカーが設置されていたみたいだ。

ようやく劇について書ける。
ややこしい、観念ぽいことを並びたてられた、めちゃくちゃな劇を覚悟していたが、予習の成果か、そこまで難解ではなかった。むちゃくちゃ過ぎな劇はぼくは嫌いだ。なんか適当にそれっぽいことを並べて、頭いいと思い込んでいるブランド信仰の観客を煙に巻いてる気がしてならない。そんなこと、劇中でも言ってたな。あれは俺だ。と思った。太宰治か、演じてた役者さんか、作演の山崎彰さんか何かわからないけど、舞台に存在する何かが、アレは俺だ。と思った。そうなれば勝ちだ、と思う。そこから完全に惹きつけられた。俺に向かって言ってるって思った。言葉に聞こえるが、なにを言ってるのかわからないとかいうセリフも俺の最近の悩みだもの

太宰治は、アレは俺のことだ、と思わせる作家さんかもしれまない。好きな伊集院光人間失格読んで、過去の写真を全部破棄したと言ってたし、好きな三浦大輔も人間??失格書いてるし。サブカルというか、アウトローというか、中2心の人に「クル」のかも。終わったあと、山崎彬さんも残りのパンフレットに太宰治になりきって書いたって書いてた。

脚本、演出、役者、スタッフそれぞれ素晴らしかった。いや、「それぞれ」という言葉は適切ではないな。全てが、「必要」があって、天からか、神からか、そうあるように求めていた。
だからいつもみたいにこの照明はよかったとかこの演出いいとか、書けないのだが、それでもメモように残しておこう。
まず、会話のリズムが良かった。「会話」だった。一秒たりとも無駄がなかった。全体的な演出レベルでも、役者個々人の演技、声のレベルでも緩急の付け方がよい。文学っぽいところや、いかにも小劇場っぽいロックなところ、アドリブなところのバランス、移り変わりが綺麗だった。やっぱり、上手い役者は酔っ払いの演技がうまいな。酔っ払いシーンは楽しかったし、それでも飽きてしまうギリギリのところで移っていった。
発想として地味にぼくにはなかったのは、音楽、音の使い方だ。バイオリンが小さくなってるところとか、なんであそこで鳴っていた方がいいと思うかわからないが、本能的に訴える何かがあった。変な演出だとは思うが邪魔にはならない、前述の「天」が要求してた。ペンの音、BGMとかもそうだ。
楽日に行ったのでもう何度か見て研究できないのが惜しい。

ミステリー好きとして、キヌ子は太宰治の作家をはいだ津島修二だったというミスリードもうまい、やられたと思った。演劇なら男女にこだわる必要はないもんね。深読みすれば、飲み屋の大将を女性が演じてる時点で伏線貼ってるもんね。しかしまあ女優さんの、下衆なキヌ子から男への演技、剥き出しな感じ、すごかったな。普段役者が良くても、「うまいなあ」くらいしか思わないのだが、凄まじいと思った。服を脱ぎ化粧を落とすとき全てが脱ぎ落とされていた。

難解な話ではなかったと書いたが、充分難しい話だった。でもなんかよくわからないけど、説得はさせられた。世の中の物語はそんなものだろう。原作の再現も見事だった。あれこそが原作に劇として血肉を与える行為なんだろう。キヌ子にしろ、美容院にしろ、味の素にしろ

劇中何度か聞くグッドバイ、安易なはずなのに、グッドバイと発せられるたびにやられてしまった。青木とのシーンでのグッドバイは、あれ?そんな感じなのって思ったが、最後の飛び降りるグッドバイはもう、全身が震えた。

赤い傘がポツンとおいてあるのは、色彩としていいね。

観客含めて劇は完成する、というぼくの想いも具現化されていた。笑い声にしろ、教養にしろ、あの勘違いの拍手にしろ。あれ全部ひっくるめて劇なんだろ

つーか凹むのが、今まで書いてきたレポを見返せばわかる通り、観劇した後俺ならそのテキストもっと面白く演出できたねってところがなんとなくあるのだが、もうどうしようもないな。しかも劇作家でもあるなら。
2000円、3時間でこの満足なら、観劇のペースは落ちるだろうな。とりあえず、太宰の小説読もう。って明日小屋入りだべ。がんばるんば