サトくんのブログ

リニューアルに当たってなんかカッチョいいブログ名にしようと思ったけど、ぼくのブログとしか言いようがないや。

痛み

昔、熱心にブログを読んでた人のブログが最近更新されてないな、と思って一番最近の記事を読むとどうやら病気になってしまったらしい。
ん? 妙にわかりにくい文章だな。


兎に角、知り合いが病気になった。
初めから病気な人を知るのと、元気だった頃を知ってる人が病気になるのとでは、大分こちらの感情は変わる。
一応医学を囓ってる身としては病名を聞くと、それはヤバいっすねと、頭に勉強したことが色々と浮かんだ。
一日も早いご快愈を本当に心から願うばかりです。

 

痛いのってツラい。当たり前のことだけど、意外とこれを理解してるのは自分が痛い時だけだと思う。そして痛みはすぐに忘れる。そうじゃないといちいち他人の痛みに共感覚してたら身体がもたないし(なんかそんなマニアックな精神疾患あったような)、忘れないと何もできなくなるだろうが。それでも、痛いのはツラい。
先日、親知らずを抜いた。たかが親知らずを他の病気、痛みと一緒にするなんてとも思うが、痛かった。かなり久しぶりに痛みを経験した気がした。処方されたボルタレンだけじゃ足りなくて薬局に駆け込んで市販のロキソニンも買った。悪くもないのに身体にメスなんて入れるもんじゃないな、と感じた。保険適用されてるし、ほっといたら顎が痛くなってたかもしれないが、その時は自分は不都合を感じてなくてわざわざ歯茎を切って抜いたのだから、そう感じた。先生からも事前に数日は痛みますよ、と言われたけど、その時は、あまり深く考えてなかった。

上で、久しぶりに痛みを経験した気がした、と書いた時は、最近風邪も引かないし、怪我もしないしなあとオレ男だし生理痛も、と思いながら書いたわけだが、突然お腹が痛くなったり、頭が痛くなったり、うっかり足をくねったり、よく考えたら痛い思いはよくする。要は人は忘れるのだ。

内臓痛とか体性痛とか、患者さんの言葉で言えばシクシクした痛み、どーんとした痛みとか、色々な表現をするし、聞き出すが、他人の痛みというのは本当のところはわかることはできない。医者は共感したくて聞き出しているわけではなくて、診断のためだけど。よく男性に生理の辛さを教えるみたいなイラストやツイートを見かける(あれは生理がどうだとかいう次元ではなく低俗で下品だ)が、あれだって個人差があるだろう。昔、お腹が痛くてお医者さんに「お腹のなかで小さい人らが暴れてるような痛み」と伝えて自分では言い得て妙だ、と思ったが、お医者さんはピンとこない顏をされていた。

母の薬局で事務作業の手伝いをしている最中、母の仕事ぶりを観察していると
「コレ飲めば治るかえ?」
「コレで痛くなくなるの?」
と聞いてくる患者さんがかなり多くて驚く。
「治る」っていう言葉がどちらかというと「直る」の響きで、もと通りに戻ると信じて疑わないようだった。おじいちゃんアンタ歳いくつよ、そりゃあ十代のようには動けないさ。

と言いつつ、恐らく次のノーベル賞あたりでまたテロメアテロメアーゼ関係かオートファジーかが取りそうな気がする。「若返り」は人類が誕生して以来様々な手段で古今東西挑戦し続けた。賢者の石からSTAP細胞、顔にヒアルロン酸を塗りたくるなど怪しいものも沢山ある。テロメアと自食は自分の知識をひけらかしたいというより、当たったらすごいねってことで書いておく。あとCRISPR-Cas9システム。去年の組織学の先生がカリキュラム外のことでやたらアンチエイジングについては語っていた。


「痛みはすぐに忘れてしまうから。だから私は忘れないように毎日毎日思い返していたのに!」

ケラリーノ・サンドロビッチの(いつもこの人を敬意を込めた呼び捨てにしていいか迷う)フローズン・ビーチでちーちゃんにこんな台詞があった。クソ!手元に戯曲がないのがもどかしい。もっと気の利いた、「刺さる」台詞回しだった。

身体の痛みとかココロの痛みでも失恋とか恨みとかは忘れたほうがいいけど、自分が原因で降りかかった災難とか、その反省とかも忘れてしまって結局同じことの繰り返しは避けたいし、今なう痛みがあってもその痛みを全くなくしてしまうよりも上手に痛みと付き合っていきたいな、と自分自身についてはぼくは思う。