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サトくんのブログ

リニューアルに当たってなんかカッチョいいブログ名にしようと思ったけど、ぼくのブログとしか言いようがないや。

酔っ払いさっちゃん酔っ払いながら、これまでで生涯で傷ついた言葉を発表する

いぇーーーーーーーーーい
人を傷つけた言葉は俺は覚えちゃないが、人に傷つけられた言葉は、ねちっこく覚えてる。
例えば、昔に大学の同学にミス研(推理小説研究会)に入ってることを言ったら「え、あんな部活入る人いるんだ」とか。最初の「え」で君もミステリ好きなの?って聞いちゃった。これは傷ついた。あのブス眼鏡のことはよく覚えてる。名前を言ってもいいが、それぐらいの理性は酔っていても残ってる。
あと、再受験した手前、平日に行くのはいやだったから妹の体育祭にかこつけて、母校の担任の先生に挨拶うがかったらうっかり同級生2人組に会ってしまって、他の同級生の話になって1年か2年大学に入ったあと仮面して医学部に入ったOくんについて「人生迷い過ぎだろw」って言ってたあの女とか。流行りかなんかしんねえが、バカ殿みたいなクソったれタレ眉毛メイクをしていた。お前、高校時代オレのこと好きって噂流れてたの知ってんだぞブス。でめえは、名前だけが有名な私大に推薦で入って、親のコネで地元に入社したんじゃねえか。そろそろ25だし、人生のどっかで迷ってればいいなって思うよ。

よし。太文字にするぐらいの理性も残ってるぞ。

で、多分一番傷ついた言葉の話。
英語科の友達が、ゼミの先生に英語の本一冊読んどけと言われたらしく、そういえばあんた、そういうの詳しいよねって訊かれたんでこっちはミステリオタクなのをオタク特有の早口にならないように気をつけながら「クリスティとか読みやすいんじゃない?」とか薦めた。ちゃんと読んでくれた。その子はいい子。

しばらくして、どうだった?と聞くと、そのゼミの先生は「あ、フィクション読んでるんだ」と言われたそうだ。

「あ、フィクション読んでるんだ」

その先生はノンフィクションしか読まないそうだ。
この台詞はヤバい。フィクションなんてこの世でどうでもいいんだとしたら、ぼくの友人の9割方死んでいる。作家から単なるアニメオタクまで。全員死んでいる。ぜーんぶフィクション。

この世界のある種の現実はフィクションでしか語ることはできないんだよ。ほんとに。
これはオレの言葉じゃないけど、そうなんだよ。
英語圏を語るのに聖書を知らないなんてちゃんちゃらおかしい。聖書は、フィクションだからこそ紀元前何世紀から今までずっーと、根付いていて、めんどくさくもあるけど(昨日インターフォンに出たら、おばさんが「私たち、聖書を研究するエホ、、」と言われてガチャって切った)、それは精神で、それは言語まで深く根を下ろしている。英語は比較的若い言語だ。オレはラテン語は医学用語の単語しか知らないが、ラテン語もそうだろう。
シェイクスピアも無視できない。オレは今まで一度も言語を専門的に勉強していないが、それぐらいはわかる。

オレは作家でもないが、作家に会ったことはあって、作家が妄想を書き留めていると思うならバカも大概にしろ、と言いたい。
作家は自分の妄想を書き連ねているのではない。自分の現実を書いているのだ。それがどんなに荒唐無稽な話に他人からみられようと、現実だ。首が切断されたあと奇跡的にダルマ落としで他の人の胴体とくっついてしばらく生きていた話も、男の前に蛇が母親として現れる話も。

オレは本ならミステリやSF、純文、他には演劇や音楽、絵画が好きだが、そのジャンルを攻撃する人たちの気持ちもわかる。くだらないかもしれない。オレにも嫌いなジャンルや話がたくさん溢れいてる。この世界のある種の現実はフィクションでしか語ることはできない。だから世界には物語があるし、世界に留めておこうとする人がいるんだ。

「あ、フィクション読んでるんだ」

この言葉はぼくの友人(それは仲がいい人もぼくが苦手だった人も)全員に内包して喧嘩を売っている。大学で専門にドイツ文学を研究している人(個人的にはそれじゃあ食えないだろとは思うが文学を前にそんなことどうでもいい)、売れないミュージシャンや役者、ただの漫画好き。
脳の論文とかしか、その先生は読まないそうだ。ブローカー言語野とかウェルニッケ言語野とか、まさに俺が読まないといけない話だろうけど、それも大事で、とっても面白いのだが、「物語」を全否定する姿勢はホント、ヤバい。だから、クソみたいな大学で教授とかいうクソみたいなことやってるんだろうと思う。会ってもいない先生にここまで敵意をむき出しにする。

くやしいなあ、ムカつくとか、ヤバいとかしか言えないなあ。
くやしいなあ。くやしいなあ。酔ってるなあ。