サトくんのブログ

リニューアルに当たってなんかカッチョいいブログ名にしようと思ったけど、ぼくのブログとしか言いようがないや。

去年の岸田戯曲賞読んでみた

演劇も、小劇場も商業演劇も観に行くことは、お金もかかるし、10個のつまらないものを観て1個、天帝に捧げるような素晴らしい作品を探すという作業にも疲れているので、芝居というものに触れることは極端に減った。が、戯曲は「読み物」だったり、演劇界の流行り、作家の叫びを知るものとして、今でもたまに読む。戯曲は、小説に比べて読みづらいという声はあるが、そこを苦にすることは自分にはない。昔取った杵柄、というほどたいしたものではないが、まあそういうことだ。

「せりふの時代」休刊は、もうだいぶ前のことになるが、非常に惜しい。「悲劇喜劇」は観劇レポートやら役者のインタビューやら、俺にとってどうでもいいことが多い。普通の文芸誌も読めばいいんだろうけど。(ときおり戯曲も載っているのは知っている。)とうきょう、でやってる観ても読んでもない芝居レポについて読んだところでね、、。

そういうわけで岸田戯曲賞ははるか南の国に住む田舎者にとって「かー、とうきょうではこんなものが流行ってるんだべさあ(ぼくは博多弁、というか九州弁が喋れない)」と知るのに、嬉しい機会だ。ノミネート中はネット上でノミネート作品が全部公開されていたらしいが、2月下旬は忙しかった。選評も、高名な作家先生たちが、どのように戯曲を読まれるのか、どのような議論がなされるのか知れて、楽しい。もはやぼくは演劇人やアーティストという言葉でくくられるような人になるつもりはないし、そもそもなれていたのかって話で、ただ楽しいのだ。

演劇の行く末を嘆かれても、勝手にやってろ、って話である。環境に適さない動物は進化をするか、絶滅があるのみである。

去年のタニノクロウ作「地獄谷温泉 無明の宿」は素晴らしかった。読んでいて心が動かされ、それこそ天帝に捧げてあった。戯曲でここまでの傑作であるのだから、生で観たらどうなっていただろうと、ただただ興奮した。たまたまジュンク堂で見かけて、一応知った顔(向こうは覚えていないだろうけど)だったので買ったのが、ラッキーだった。
自分の凡庸な言葉でこれ以上飾るよりも、ここは前述のご高名な作家先生方の選評のお言葉を少し引用しよう。

「他の候補作品が言葉との必死の格闘があらわななか(おそらく誤字であらわれたなか?)で、見事なまでの言葉からの解放を感じさせた。地獄谷の温泉宿の冷ややかな空気の中で人たちの微熱と発熱のドラマと言えるだろう。」岩松了
「タニノ氏の書く言葉・会話は、端正で、色っぽく、抑制が効いていて、でもムチムチしている。」岡田利規
「森に響く様々な声が聞こえるような神話的世界は、読む者を奇妙な世界に誘う。これはまぎれもなく、すぐれた「戯曲」である。」宮沢章夫

ほかの選考委員、ケラさん、野田秀樹、オリザ先生も「地獄谷温泉」についてはべた褒めである。どう?読んでみたくならない?

宮沢章夫が、「不幸なのは、「戯曲」を発表する媒体がほとんどないことだ。上演さえ決まってないテキストを、「戯曲」として読むことのできる場所がないことだ。」と、「台本」と戯曲の違いを言及したあと、最後の締めくくりとして書かれてある。あれ?俺ここからパクッてるだけじゃん。創作者サイドの嘆きがそれならば、こっちは受け手側の嘆きだ。最新の完成度の高い戯曲を読む機会はほとんどない。

で。ここまでが去年のお話。
ここからが、今年の岸田のお話。

の、前に、「岸田」のことってどれくらいの人がこれ読んでる中で、ピンときているのだろうか。
一応書いておくと、「芥川賞」の演劇版って答えを、芝居、といえば劇団四季をイメージする人(素人、一般人という表現がナンセンスなのでこんな表現になった)には言っている。
じゃあ「芥川賞」と「直木賞」の違いは、というと芥川が新人の純文学寄りの作品が獲る賞で、直木はエンタメ小説のベテランの人に贈られる賞、かな、、、、それ以上詳しく俺に訊かないでくれ。ウィキペディア芥川賞受賞作品を眺めると、そういえば話題になったね、と、19歳で獲っていたり、お笑い芸人が獲っていたりするなかで(この2作品は読んだことあるし、それ以降の作品も好きだ)あまりピンとこない名前もちらほら見かけるが、直木賞はわりと今でも安定して小説を書いてらして、読んだことはないにしても、名前は聞いたことがある人らが名前を連ねていると思う。

ぼくは一応大阪弁は喋ることができる。ミナミはちょっと難しい。人生数えてみてもまだ半分は関西圏に暮らしていたことになる。
関西人からは「自分、標準語やんな~?」言われるが、「そうですか?でも、ぼく関西以外の人からは関西弁や、言われますよ」ってちょっと標準語っぽいのを関西のニュアンスで喋る。「ぼく」の「く」のほうにアクセントを置くのがコツ。あとは波打ちながら、上がっていくイメージで喋る。まあ適当に使い分けてる。話す時、オチやボケを探して話すのは関西人らしいか。実際ボケるかどうかはさておき。

せやからな(※露骨なアピール)、西成とかスーパー玉出とかは常識的には知ってんねんけど、ほんまあの辺は大阪の人でもようけ近寄らんとこで、おっちゃんとかは、わりとファンタジーやねん。
ぼくが中川家の出身地でお馴染みのとこに住んでた小学生の時は、昼からパンダ公園で酒呑んでるおっちゃんらはおったけどな。それのもっとディープ版やぁ、思っとるわ。

ほなダラダラ書こっか思うねんけど、去年の岸田と違ってもう、アホの塊みたいな作品やから、内容についても書くで。ネタバレは気いつけるけど、こんなブログ読む暇あるなら、紀伊国屋でも行って買うてきいやって話や。今やったら売ってはるわ。

「来てけつかるべき新世界」ってええタイトルやなぁ。
「けつかる」ってのはなんとなく意味はわかんねんけど、説明出来へんな。調べたら、

けつか・る [1]
( 動ラ五[四] )
〔近世上方語以降の語〕

「ある」「いる」などの意で卑しめていう。 「やあここに-・るか,よう舟へ石打つた/浄瑠璃・今宮心中 上」

補助動詞) 動詞の連用形,または,それに助詞「て」を伴った形に付いて,その動詞の示す動作を卑しめていう。 「なにを言って-・る」 「よろつきながらにらみ付,どうずりめ覚えて-・れ/浄瑠璃丹波与作 中」

って出てんけど、よぉわからんな。なんとなく下品な感じの言葉で、自分で使ったことはないわ。
「来るべき新世界」やったら、あんまパッとせんもんな。やっぱ「けつかる」ってのが要るんや。あとはこれは言うまでもないけど、「新世界」はダブルミーニングやな。

戻そう。ぼく、あんまりヨーロッパ企画自体、最近のは好きじゃなかったんですよ。「サマータイムマシンブルース」や「冬のユリゲラー」とかは、完成度が高いと思うし、上田さんのドラマ脚本は知らずに観て上手いホンやったなあ誰やろ、思ったら、あ、ヨーロッパ企画の人のやー!ってのは、しょっちゅうなんですけど、劇団では最近当て書きが悪い方に転がってみんなヘラヘラしていて。ヘラヘラが悪いとは言わないんだけど、最近ストーリーが存在しなくなって役者がヘラヘラしてるだけって気がして。それはホンにも現れていて、やたらと「~ネェ?」っていうドグラマグラっぽく男もカマトト臭いセリフが所々見られてなんか気持ち悪かったんです。
今回は河内弁で、まあ確かに読む関西弁って結構違和感あったりするが、そこは当然クリアされていて、ヘラヘラしてるのも大阪のおっちゃんやから、ヘラヘラどころかグダグダしていてもそんな感じやんもんなで気にならずに読める。そこにロボットやらドローンで話す人物が登場するもんだから戯曲を読むときに浮かぶ風景が面白くて面白くて。これは上演台本だから、それ以外にもいっぱい笑いどころはあったと思うし、文字ではイマイチなギャグも生身の役者がやったら面白いのもあるんやろうなあって空想しながら読みました。
野良警備ロボット、パトローが勝手にコンセント抜いて充電するとことか、戸惑うとことか、可愛くて笑ってしまった。特に二話がお気に入りだ。オチもベタなんだけど、ある一定のメッセージは持ってるし(それは今回ぼくにとってはあんまり、どうでもいいとこなんだけど)、ドキっと怖くて笑える。
サマータイムマシンブルースに代表されるような上田さんの圧倒的伏線回収能力を堪能出来なかったのは残念かなあ。確かにフリとボケが全般的に近い。

終盤近くのセリフ「お盆には帰ってくるし」は誰も選評で直接触れている人はいなかったけど、このセリフはすごい。いっちゃん伝えたかったことちゃうか?

トウキョウが藝術の町じゃー、トウキョウがーって文句言ってるわけだが、ヨーロッパ企画の公演はこっちでもやっていて、要は演劇へのアンテナを張ってないだけだね。まあでも、演劇ファンでも、芝居の内容そっちのけの俳優ファンだっているんだから、戯曲を読むのが好きな劇場に行かないヒキコモリがいたっていいんじゃない?