サトくんのブログ

リニューアルに当たってなんかカッチョいいブログ名にしようと思ったけど、ぼくのブログとしか言いようがないや。

蜷川シアターでシェイクスピア2作品観たよん

さあ、どうやって書き出そう。どうも僕です。
蜷川シアターが一周忌ということで一週間ごとに4作品映画館上映されていたですが、結局後半の2作品「間違いの喜劇」と「ヴェニスの商人」は観に行くことがでけました。
蜷川さんが好きか、と言われると、ご存命の間はたかが1,2作品観ただけであの爺ちゃん、どうなん?とか語っていたわけで、でも所謂日本にいる「演出家」で一番有名な人だったわけで、死んだら悪く言えないな(笑)っていうほど、興味があったわけでもなく、でも割と演劇をやっていた以上かなーり下流ではあったが影響はあったと思うし、何が言いたいかっていうと、まあそんな感じ、、と。

ただ2作品しか観ていないが何故この4作品のラインナップ?と思うところはある。詳しくは個々の作品で触れる。好評により第二弾三弾と続けるつもりだろうか?それは嬉しい。

間違いの喜劇
シェイクスピアの作品の中では結構マイナーに位置する。ぼくはタイトルしか知らなかったです。
感想としては、シェイクスピアってやっぱ天才やなあ、小栗旬かっけーなあ、蜷川演出としては首を傾げながら劇場を後にした。
話の流れは結構わかりやすい。
まずは、小栗旬演じる双子役アンティフォラスの父親が最初の10分でかなりわかりやすく設定を説明する。
瓜2つの兄弟アンティフォラスと、また瓜2つの兄弟で召使いのドローミオがそれぞれ兄アンティフォラスと兄ドローミオ、弟アンティフォラスと弟ドローミオの組み合わせで幼い頃、不慮の事故で兄父グループと弟母グループに別れてしまった。兄はその傍を探すためにシラクサの町にやってきたのだと。非常にややこしいことに兄も弟もそれぞれ同じ名前である。まあそうじゃないと喜劇が生まれないのだが。

かなり古典的手法で現在の作劇で、こんなに明確に状況設定を説明すると少なからず批判を受けそうである。
そのあとは瓜2つであるがため、周囲の勘違いによってドタバタコメディが進んでいく。
まあ詳しく知りたいなら、ウィキペディアを見るなり、戯曲を読むなり。

個人的にはそもそもお兄ちゃんは、双子の弟を探しに町にやってきたのだから、色々と不可解なことが起こればピンとくるような気もするが…と最初の小栗旬登場シーンで思ってしまったが。
演出目線でいえば、この劇のストーリーラインを引っ張るのは、ホントにこの三谷幸喜的誤解のファルスしかない。まあ問いかける要素としては、ただのコメディにするか、アイデンティティの崩壊の要素を盛るかどうかといったところか。

蜷川演出はわりとコメディだけで押そうとしていたと思う。
のわりにはコメディがそこまで上手ではない。

シェイクスピアのおじさんも蜷川のおじさんも、喜劇よりは悲劇の人だと思うが、世界で未だに名前が残っていて喜劇だろうがある一定の基準を超え、もはや教科書レベルにまで達しているシェイクスピアに比べ、結構蜷川のほうは、さて死んでこれからも名前が100年先も残るかって話で。
おそらく明らかに「演出」として加えたものとして、最初のオープニングパレードと、最後のダンスシーンだがイマイチ何がしたいか、わからない。とくに最後のダンスしながらカップル達がリボンを加えながら踊るのは結構、シロウトにありがちな余計な発想で台無しにしてるレベルである。
舞台に街の人々が意味ありげに配置されて劇の行く末を見守っているのも割と意味不明だったな。
客席を巻き込んで演劇をさせているのは俳優ファンにとっては、まあ生でみればかなり価値があるし、サービスでもあるし、そこは始めから、そう戯曲に書いてあるかのように錯覚させるほど巧妙に作ってあった。(演出としての「勝ち」はある意味では演出を意識させないことである。実際悪い、っていうか僕的には微妙だったところを挙げてみたあと、逆に良いところはなかったんかい、世界の蜷川だぜ?って自分の中で反芻して気がついた)
いやホント当時23歳の小栗旬はかっこよかったんだけど、まあそれだけで濡れてしまうほど乙女じゃないし、蜷川、小栗旬を鍛えるのに精一杯で、演出している暇なかったんじゃね?とも思った。
面白かったんだよホントに。特に途中までは。

この双子役が2ペアずつでて、舞台にはどちらか一方が出て、誤解をより誤解を生んで、それは面白くて笑っちゃうんだが、最後の最後で、双子が両方とも舞台上に出ないといけなくなる。つまり小栗旬が2人いないといけない。
これの解決法が小栗旬のリアル兄を使って、小栗旬兄が演じて、小栗旬が腹話術をするというものだった。(召使いドローミオも)

それはなくね…?

散々そっくりってことでネタを引っ張って、小栗旬の熱演も相まって楽しく観れたのに、結構興ざめである。小栗兄、そこはまでカッコよくねーし、喋ってない(小栗旬が腹話術でアテレコする)のにリアクションだけでも割と演技下手だし、しかも劇シネなのでアップで映るので髪型とか似せてるけど似てない。純粋な舞台だったら誤魔化せていたのかも。んなことはないか。

まあそんな感じ。
あ、そういえば全員男だったがそこは、すごくよかった。

 

女装がある舞台でよく聴く声として「女の人より綺麗だったー」ってのがあるが個人的にはそれを言われるのは負けだと思っているところがあって、その昔、僕が演出した時も、たかが自分の小規模な学生レベルでさえ、女役を演じてくれた彼に「お前、アンケで女より綺麗と書かれるなよ。そんなん当たり前なんだから」って言ったような気がする。

その上で月川悠貴は無茶苦茶綺麗で声も凛としていて綺麗だった。

女装に対する俺の暑い思いは、ヴェニスの商人の時にも書く。決してホモではない。

なんでこの作品をわざわざ4タイトルの中に入れたのかは理解に苦しむ。マイナータイトルだし、決して演出が卓越してたわけでもないし、藤原竜也に次ぐ蜷川秘蔵っ子である小栗旬の若かりし頃の作品だったからだろうか。成宮くんはアレになっちゃたし…。身毒丸も行きたかったな…。

ああ、そうそう訳の松岡和子の言葉遊びが結構光っていた。

ヴェニスの商人
こっちは結構満足して劇場をあとにした。あらすじは省略。これもオールメール。そういえばちょっと録音状況が良くなかったな、、舞台の作りが「間違いの喜劇」と似ていて、「ダイナミックな舞台作り」が蜷川のええとこなんじゃないのか。やっぱラインナップ謎。

劇の大きな流れとして、市川猿の助演ずるシャイロック中村倫也演ずるポーシャ役の2つが作り出す流れがある。高橋克実なども出ていたが良くも悪くも、わざとかもしれないが他は食われてた。

ヴェニスの商人シャイロックの一人勝ちになってしまう。当時の英国状況は知らないが、高利貸しのユダヤ人に対して明確な「悪」と描くことは現代では少ないと思う。

特に日本人は基本的にキリスト教じゃないし。ユダヤ人と日本人は祖先が同じ説はトンデモ説かも知れないが聞いたことがある。俺個人の思いでも、海外で自分が異教徒であることに苦しんだ経験がある。

蜷川演出もかなりシャイロックに寄り添って描いていた。最後のシーンは戯曲には書いてなかっただろう。市川猿の助の歌舞伎要素も、周囲からいい意味で浮くためにも、もしかしたジャパニーズソウルのためにとりいれたかもしれない。まあファンサービスもありそうだが。実際大見栄は拍手を思わずしてしてまいそうだった。だけど、役者が出てくるだけで拍手をする馬鹿観客は死んだ方がいい。映像の中ですらムカつくわ。でもそういう層が芝居を支えているんだろうなあ。拍手をしていいか悪いか、創り手がどう要求してるかも直感でわかんない観客はほんと死ねよ。少し古い話題だが、携帯電話マナー守んないやつよりたち悪いよ。馬鹿なだけだから。
このシャイロックは単なる「悪」ではなかったが、ただ単に可哀想だよね、では片付けていなかった。やはり憎々しいのだ。
歌舞伎といえば、6/9にEテレ初音ミクと歌舞伎コラボがあるんだっけ。時間が合えば観ようっと。

もう一つの流れとしてポーシャが作り出している。中村倫也がかなり上手い。はっきりいって無茶苦茶可愛い。女性らしい強かさやあざとさを見事に演じている。(もしかしたらそれは男性の幻想かもしれない。俺も男性だし。男の一番気持ちいいところは男が一番知ってるんだよ…?決してホモではない)
女装する男性が男装を演じるところも完璧だ。登場人物に男と誤解させるくらいの説得力はあるし、それでいて可愛さも忘れてない。

 

ほんまこれな。

オールメールの強みは、間違いの喜劇にしろ、ヴェニスの商人にしろ活かされていた。女だとこうはいかないだろう。(あんまり俺は宝塚が好きではない)
男装するポーシャを女性を演じると、なんで、舞台上の登場人物が女性だと気がつかないんだろうというのがひっかりそうである。男装が上手い女優というのはプロアマ問わず見たことがないな。
オールメールこそ正当なシェイクスピア劇だよ!女とか要らねえ!!

もしこれを読んでいる人で今後、男役を演じる人がいるとしたら、女体ウォッチャーとしてアドバイスすると(結局ぼくは結構重度の女好きだ)、女はケツでバレる。
胸は当然、潰している人が多いだろうが、お尻の丸みのことを忘れている。そして歩き方座り方に問題がある。男性はかなり下品な歩き方をする。ほんと下半身に注目して動いて欲しい。
古今東西男性が女性を演じることは多くてある程度方法論が確立してに比べて、女性は宝塚ぐらいしかないからだろうか。浅学のため、他に思い当たらない。

今回の蜷川演出としての話よりヴェニスの商人のストーリーそのものについて言及するようになっていくが、ポーシャは何故、最後夫の指輪をだまし取ろうとしたのだろうか?
誰も幸せにならない。ここは是非一緒に観に行った女性陣に訊きたいところだった。
ただのイタズラ…ってことは無さそうだ。

シャイロックという流れとポーシャという流れに対して、シャイロックの娘でポーシャと同じ若くて可愛い女性ジェシカが存在するんだと思う。ここはあまり蜷川さんは注目していなかった。もしかしてシーン切った?
手元に戯曲がないのでわからない。もしかしたらまたシェイクスピアについては戯曲を読んで書き出すかもしれん。
だいたいシャイロックにしてみれば、可愛い一人娘を盗られていて踏んだり蹴ったりだ。ジェシカは父シャイロックについては悪口しか話していない。

アントーニオとバサーニオについてはマジで意味がわからない。ウィキペディアを見るとアントーニオ 正義感が強く情に熱いというが、わりとわけがわからないやつである。高橋克実さんの人柄もあってかなんとなく「いい人」な感じがするが、冷静に考えてシェイロックがここまで憎悪を燃やすほど、かつて罵っていたのは本人が認めるところだし、わりと考えもなしに「肉1ポンドの契約」をしたのも事実だ。どうせ本気で肉を切り取られるとは思っていなかったのだろうか。
バサーニオも大概である。金がないプータローが金持ち美人と結婚するために金貸してってのが話の始まりだし。鉛の箱を選んだぐらいしか、いいとこがない。それもヒントありきだし。結局顔かよ。けっ。

シェイロックの改宗を要求するのはホントに酷いことだと思う。彼はセコい金貸しである以上にユダヤ人であることを何よりもアイデンティティにしていただろうに。
シェイロックの絶望はかなり意図的に長時間かけて描写していた。蜷川さんもかなりシャイロックに思い入れがあったのだろう。
絶望の中、帰ろうとするシェイロックを冷笑したキリスト教の人々は戯曲に、書いてあるのだろうか。かなり明確に悪意のある笑いだった。
アントーニオと多分、バサーニオは笑ってなかったが、改宗を要求したのはアントーニオだし、十字架をシェイロックに首かけたのはバサーニオだった。いやマジでなんなんこいつら?

シェイロックってわりと「ヤミ金ウシジマくん」なとこありそうだね。

結構シェイクスピアのおじさんはユダヤ人ってムカつくよね、ってことで書いたのだろうか。それとも当時の差別に対して皮肉があったのだろうか。
「オセロー」では、差別批判、、というよりも物凄く客観的に世間を見ていて、物凄くナチュラルに、黒人でも(オセローはムーア人だからアフリカ系ではないが)優秀なヤツいたっておかしくなくね? そーいうヤツは白人社会のなかにいたら、ストーリーとして面白くね?って考えることができていたんだと思う。

僕もそういう風に差別とかは、声高に平等を主張するのも、もちろん偏見もなく、なんか肩の力を抜いて、今ある社会を受け入れて面白がりたいんだ。例えば今話題のLGBTについて、そう考える。なんか今の加熱具合にひいちゃうところがある。今もホモネタをふざけ半分で使っているわけで。一方で、別に誰かが誰かを好きになるのに、何がいるっていうんだろう…?

色々考えるところがあってやっぱりシェイクスピアはマジ面白いよなぁ。あんまり書かなかったけど、日本語でも台詞回しが気持ちいいし、「間違いの喜劇」にしろ「ヴェニスの商人」にしろ愛を語るシーンは聞いていて気持ちいい。小栗旬が口説くところは、キャーって感じだった、決してホ

一生に一回くらいシェイクスピアの台詞を吐いてみたかったし、演出したかったなあ
じゃまた!