サトくんのブログ

リニューアルに当たってなんかカッチョいいブログ名にしようと思ったけど、ぼくのブログとしか言いようがないや。

ボヘミアン・ラプソディを観た話

ボヘミアンラプソディを観ました。

わざわざこのブログを読みに来ていて今更ネタバレを気にする人はいないだろうということでネタバレ普通に書きまっせ

 

面白かったかどうかというと間違いなく面白かった。でも宣伝などで見かける「映画史に残る~」というのは、うーんって感じ

 

クイーンは曲がよい。観る前は自分もよく感想で見かけるような「クイーンって有名曲は知ってるし、あとはボーカルのフレディがゲイでエイズで死んだくらいしか…(あと一応ぼくはギター弾くのでブライアンメイの音が王道なんだけど独特でカッコいい)」ってことしか知らないと思ってたんだけど観ながら気づいた。オレクイーン好きでアルバムも全曲聴いてたし、よく聴いてたんだった。

 

小学生から中学生にかけてオレ洋楽聞いちゃうぜえの時期にビートルズから入ってツェッペリン最終的にはピンクフロイドなどのプログレを聴きまくったんだがその過渡期にクイーンもよく聴いていた。プログレを好んでたくらいだから複雑でいてキャッチーなクイーンも好きだった。(ヴァンヘイレンやピストルズ、ガンズとかロック史全般カッコつけて聴いてたけどそのへんは正直ピンとこなかったし、今聴いても懐かしい以外の感情がわかない)

 

久しぶりに聴くとやっぱいいなあ。どうせならとドルビーシアターで観たわけですが音響システム自体にはそれほど感動したわけではないが曲はよい。フレディはロックで一番、歌がうまいし心に触れる声だ。ブライアンメイも派手なプレイじゃないけどええねんなあ

 

それぐらいには好きだったし、結構たくさん映画内で楽曲を使われたのにまだ聞きたかった曲もあった。bicycle raceとかエンドロールにもないのは意外だった。

 

クイーン史自体は洋楽アルバムにはついていたよくわからない日本人評論家が解説してた紙は読んだような気もするけど覚えてるはずもなく。映画で通してみるとクイーンは曲の幅が広いし、メンバーそれぞれがヒット曲を生みだしてるんだなあと思った

 

この映画はラストのライブエイドでのライブをクライマックスに持ってきてるわけでそれが物語から繋げて持ってきてるのはホンがうまいなあと思った。家族の話、観客全体、そしてフレディの最後というふうに曲ごとに繋げていくのはうまい。

ただこのうまいなあはさっきのフレディの歌がうまいとは違って、脚本お上手どすなあという気持ちが強い。泣ける人には泣けるだろうが、少なくともぼくは初見で意図が空けちゃったし、楽曲が強すぎてこの感動は楽曲自体の力じゃないかという考えが拭いきれなかった

 

でも、ライブ前に親父の「good thoughts, good words, good deeds」って言葉を繰り返して父と和解するとこはオレ一人で観にきてて隣はおばちゃんがいるのに泣いちゃうって思ったな。

あと演奏が終わってステージ上観客をバックにフレディがメンバーに振り向くショットもむちゃくちゃよかったな。この映画がブライアンメイとロジャーテイラーが中心となって作ったってことは知ってたから

 

前半の色使いも良かった。最近ぼく個人が光に興味があるってのもあって音響より絵に興味を持って観てたかな。最初の導入シナリオが「はいはいロックで父と喧嘩してるのね、ガールフレンドができるのね、バンド結成するのね、ヒットするのね」とポンポン進むし。

 

大衆向けにヒットさせたいという気持ちはわかるけど2時間ちょっとでは時間が足りない印象をうけた。3時間は欲しいかな。いや、長いとぼくも飽きるんだけど…

 

まず元々そのつもりだろうけどこの映画は群像劇ではない。はっきりとフレディが主人公だ。だからバンドメンバーの描写が雑いのはいいとして(全員ヒット作かけるしいわゆるフレディのワンマンバンドではないだろうに時間的制約上そうせざるえない。そもそも実際のブライアンとロジャーがそうしたいと思ってこの映画作ったんだろう)徹底的に悪役として描かれたポール(この人はぼくは知らなかった。あんまりに悪役過ぎて架空の人物と思ったくらいだ)をもう少しなんとかならなかったかなと思う。

ゲイでカトリックというのをもう少し掘り下げてフレディを愛してるけども破滅の道へ誘い込んでしまうみたいな悲哀が欲しかった。最初のキスシーンは愛は理屈じゃないんだ性別を超えるんだって結構グッときたのに。そっからもう…。これじゃあフレディが肉欲に溺れたバカじゃん。そうなのかもしれんが話としてはダメじゃん。なんかこう安っぽい表現を使えば天才ゆえの孤独がないと

最後の恋人ジムハットンがポッと出過ぎて、愛や友情を感じるよりまたホモセックスかいフレディと思ってしまったよ。これジムハットンを知らない人はもっと強く思ったんじゃないかなあ

 

実際とは違うがジムはオールドゲイファッションスタイルとは別にヒゲやレザーはしないゲイのほうがよかったんじゃないかなあ

 

話はそれるがゲイの人のファッションが今だと無精髭にガチムチ、映画の時代だと短髪口髭で似るのは、それがゲイ界での「鉄板愛されファッション」だからだと思う。

ぼくたち、、あー、言葉が難しいな、女の人が好きな男性にとって、好みの差はあれどテンプレートに可愛い系メイクでおっぱいが大きい子を好むとか、逆に男性が好きな女性が長身で爽やかでジャニーズ系の男の人を好むみたいに共通した好みがあって、それがゲイの人の場合すでに精神的にマイノリティであるがゆえにゲイ界でのメジャーな格好をしたがるしそういう相手を好きになるんだと思う。

「いや私はジャニーズよりアフロで個性的な格好の人の方が惹かれちゃうの」ってのは多数選択肢がある余裕からなんじゃないかなあ。余談

 

一応は言葉に気をつかいながら映画のほうのゲイの話に戻す。そもそもフレディマーキュリーをゲイのアイコンとして描くには無理がある。群像劇にするにしては時間的に無理があるのはさっきも書いた通りキツくて、フレディの内面自体が多彩過ぎてフレディ一本で絞るにしても時間が足りなかった。だからゲイという要素はかなり苦労したんだと思う。フレディがゲイではなかったようにするのは論外だし、ただのゲイセックス狂として描くの今の時代ありえないし、そもそも主人公としてカッコ悪いし。ゲイが生まれついた理屈を超えたものだとして片付けたかったのか?フレディがゲイを自覚する前公衆電話で恋人と話してる時にちょっとゲイっぽい人が色目を使ってフレディを見て男子トイレに入るシーンがあったけど結構ギリギリの表現だったように思う。ぼくはアレをサスペンスのようにゲイに「落ちてしまう」ドキドキを感じたから

 

ゲイ以外の点でもフレディの実際の家族、恋人(友人)、バンドメンバーらそれらの関係性の描写が弱いので中盤の孤独、最後のカタルシスまで到達できなかった

 

つまり前半ポンポンとまるで漫画や小説原作の映画を観てるように話が飛ぶし、フリが弱いのでクライマックスで涙ダラーにつながらなかったなあ。まして曲も聴かせたい、queenのは話を書くにはこのエピソード(we will rock you創作秘話とか)は入れておきたいからいよいよストーリーに割く時間が少ない。一部曲流しながら話進めてたけど、曲聴かせろやってオレはなったし。

 

んー

 

まあ色々書いたけど楽しかったです。もう一回映画を観たいとは思いませんでしたが、Queenのライブ映像をいい音響で映画館で2時間観たいなと強く思いました