内緒だよ

リニューアルに当たってなんかカッチョいいブログ名にしようと思ったけど、ぼくのブログとしか言いようがないや。

行って帰る

かつての友人が今も友人なのか不安になる。

いわゆるシュレディンガーの猫で、箱を開けなければ、「今も変わらず友達でいる」と「かつては友達だった」が多重存在できるわけだからそのままにして置くのが正解だ。でも偶に気になるじゃない?箱を開けるわけにはいかないけど、ちょっと揺らしてみたり、叩いてみたり、箱に向かってニャーと言ってみたり。
昔いた学生劇団のギリギリ面識がある人達の卒公だった。後輩とかに熱いタイプではないんだがなんだかこのタイミングで行かない限り、一生大阪時代の人らと会わん気がして、流石に一生会わないのは嫌やなあと思ったので箱をちょっと揺らしに行ってみた。最近これ読んでくれている人は気づいていると思うが、妙に近頃暇なのだ。そもそもオレがとりあえずでかい大学に行きたかったのはでかい大学なら色々面白い人がいるだろうというその考え一点突破だった。それを失うのは惜しいし、悲しい。
色んな人と会うのは疲れちゃうし、要はめんどくさかったので結局松永としか、ちゃんとは喋ってない。でも今回会えなかったにしろ会わなかったにしろ、自分の中で皆またシュレディンガーの猫ちゃんになってくれたので、そのうちまたいつか会うこともあるだろう。オレのこと知ってる全員ね。いやむしろちょっと箱を開けすぎた。猫ちゃんのしっぽちょっと見えてなかった?ねえ?尻尾動いてなかったよ!?ねえ生きてるの!?死んでるの!?


話は変わるが、電車で一人でどっか行くのが好きだ。もう青春でも18でもない青春18切符を使って、何かの衝動に駆られて突然家を飛び出て何処かへ目指すことを年に1、2回する。一番好きな手段は歩くこと。ジョギングなんて意識の高いことは疲れちゃうし、しないけど、テクテク歩いていると色んなことを考えることができて、良い。2番目に好きなのが普通電車で移動することだ。ぼくは鉄道マニアではないので電車の違いなんかボックスシートか横並びの座席かの差ぐらいしかわからないが今は乗り換え案内アプリなんてものもあるし、電車の中でぼーっと色んな人をみたり、本を読んだり、途中で飽きたら微睡んだり、思索したり、スマホをいじって電池の消費にビビったり、それに比べて紙の本で電池切れしないから最強じゃね?ってあたり前のことに気づいたり、よくよく人の会話に耳を傾けると少しづつ方言が変わっていくことに気づいたり、88歳のミスマープルみたいなマダムと90分話すハメになるのが楽しい。マダムは88歳とは思えないくらい元気で、よく考えれば目も眼鏡なしで本が読めるのも、耳も全く遠くなくて、それはすごいことだってのはあとで気づいた。仏教ではなくて神道信仰のほうらしく日々感謝ねって繰り返して言ってた。日々感謝(顔文字)とラインのプロフィールに書いてる人とはちょっと距離を置きたくなるぼくだけど、88まで生きてるんだったらそれも一理あるんだろう。だから、というわけでもないが、1日関西圏にはいるけど、暇、って時間があったし観光するものもないので、ぼくの氏神様らしい京都の吉田神社に七五三以来お参りしてみた。鴨川のぴょんぴょん岩はなんとなく覚えていた。

一人旅行にも色々ある。海外に観光に行く人もいれば、全国の美味しいものを食べ回ったり、車やバイクで高速を飛ばしたり。海外は金ないし、知らない土地でも観光よりはその辺の街並みを見るほうが楽しかったりぼくはする。食に対してもあまり興味が湧かない。車は持ってない。でも車やバイクはぼくにとってはあくまで手段で乗ること自体が目的になることはないだろうな。もっとワイルドな人なら山に登ったり、ヒッチハイクしたり野宿したりするのだろうけど、(ヒッチハイクと野宿は必要に応じてする時もあるが)、都会派のぼくにとってはこれくらいがちょうど良い。

卒公は面白かった。でも疲れた。劇の内容もなんだけど、いやもう場所に疲れちゃって阪急電車乗ってから観て、帰りにまた乗って降りるまで動悸が半端なかった。お腹も痛くなるし、ウンコ漏れそうだし、おしっこはもうもれている。少なくとも阪大でやっている芝居はもう二度と観ないだろう。自分で思っていたよりもあの場所はまだ懐かしくはないらしい。行く前はまあ暇だし二回観てもいいなあとか食堂で天津麻婆丼食べてもいいなあとか思ってたけどそれどころではなかった。アトリエと某病院の待合室が決意の場所で懐かしいだったら、あそこは逃げた場所で想定してた以上にトラウマらしい。

内容について。ぼくはもうおじいちゃんなので優しい歌が好きなのよ。面白かったよホントに。よくも悪くもセンチメンタルを押し出した作品のほうが気持ちよく泣けたのかも知れない。
劇中ででてきた赤い綺麗な錠剤がメチコバールでそれ自体はまあただのビタミン剤というか本当に効くか怪しいくらい軽いものなんだけど、ちょうど自分のポケットにも入っていたので自分がメンヘラでっせと言われたようでちょっといやだった。いや軽く病んでるんだけどさ、ぼくも。明るく病んでるだけどさ。
なんか最近手が震えるんだよ。ただの筋肉不足だと思いたい。末梢神経が原因かなと家にあった薬を飲んでたけど手足の痺れ用の薬だし勝手な判断はよくないな。病院行ったほうがいいかなあ。
本谷有希子脚本はそういえばどっかの団体からオレも演出しない?って誘われていて、なんとなくサトくんが好きなタイプの芝居と思われていた気がする。実はチョット違う。本谷有希子についてはまた今度書くかも。書かないかも。この子達はぼくが演出した松尾スズキさんの本を観て、それが決め手になったとは思わないけど、入ってくれて、確か去年引退公演のときは、ふくすけをやってて、今回本谷有希子さんの本だったのでやっぱり新歓公演って影響あるのかね?後で思ったりした。もしそうだったら嬉しい。幸せ最高ありがとうマジで。最後が言いたいだけ。
っつーか、君たち、公演日卒業式だったんじゃないのか?
ぼくも今の大学の先輩の卒業式で謝恩会とかサボった。今の人達も将来ドクターになったときのことを考えるとかなり大事なんだが。狭くてコネの世界だし。
人の名前とか結構忘れるのだが、少なくとも見かけた人の顔は覚えていた。ちょっと公演中パンフレット見ながら名前を確認したが。受付の人は全く覚えてなくて、やばっと思ったら最初から知らない後輩の子だった。そりゃそうか。

最近ツイッターちょろちょろ見ているけど、ハンドルネームとかそれ以上に誰が誰か全然わからなくて誰かも覚えていないしフォロー外れてるやつは帰りにしこしこ解除した。なんか誰か知らんけど面白いってやつは残した。でもそれも悪い気がして解除は途中でやめた。あと鍵付きは拒否されたときのショックが箱を開けたら猫さんが残虐な死に方してるくらいショックなのでミス研とか確かアカウント分けたときに外したんだろうけどこっちからの申請もやめた。フェイスブックとかも整理しようと思ったけどなんか別にそのまんまでいいか、そもそもマメな性格じゃないしと思って結局SNSは全部そのままだ。SNSは見ると疲れる、と最近改めて思った。
考えたら他人の考えていることとかやったこととかどうでもいいやんけ。
時間なんか生きていて無駄ばかりしているが、アレは時間の無駄だ。甘い罠。このブログもそうだけどさ。医療についてはどれくらい書いていいかわからないし。例えば、解剖とかももう終わったんだが、世間のグロに慣れていく自分と周りの感覚とか記録に残したいけど、言ってはいけないところまで書きそうで。もちろんご遺体は匿名で死因しか知らされないよ。これからどんどん増えていくだろう、生きている人のも。まあ一般書に書いてるところがボーダーと判断しよう。そもそもこのブログ、フィクションと妄言が多いんだけど。

今回合間合間に書いているのでいつも以上に脈絡がない。

松永とは飲もうって話だったが、よく考えればあいつ酒を積極的には飲まなくて、会社についてファイナンス?とか言われても多少未知の世界なので面白く聞けたがピンと来なくて結局、演劇とかの話を二人揃って偉そうに家でしていた。そういえば、同じ劇団にいたわけだけど好みが完全に一致しているわけではなかったってことを思い出した。ポテチを皿に出したとき皿にラップを貼っていてそういえばこいつ妙に几帳面なところもあったんだよなあも思い出した。今回言われたわけではないが、トイレを座ってしろと昔言われたことを思い出して、トイレ借りるとき座っておしっこをした。
誰が「友達とは、何年ぶりにあっても、昨日あったかのように話ができる関係のことだ。」って言っていて、まあそういうことならそうなんだろうし、他の人もそうであればいいなと思えて、思いこんで、ぼくは猫ちゃんの箱を放置して気兼ねなく他のことをできる。