内緒だよ

リニューアルに当たってなんかカッチョいいブログ名にしようと思ったけど、ぼくのブログとしか言いようがないや。

果たして俺はめんどくさい男なのか?

 

お誕生日会というものに憧れがある。誰かに開いて欲しい。そして断りたい。いい年してお誕生日会なんてやめてくれ。自分の誕生日会なんてまっぴらごめんだ。自分のためにわざわざ時間を割いてもらうのは申し訳ないし、何より注目を自分に集めるなんて嫌で嫌でしょうがない。

自分の記憶を紐解いてみても、お誕生日会というものは開いたことはなかったような……。言い訳すれば、2/25なのでみんな春休みだったし……いや、違うわ。小学生の休みはもっとあとだ。うわ、いや、決して、友達が、いなかった、わけでは……。

友達のお誕生日会に呼ばれたことはあるもん。確か佐々木くんの家は友達五人までOKシステムで、ぼくは滑り込み五人目だった。六人目の子は寂しそうな顔をしていた。
その誕生日会に誘われた時の小学校の教室の匂いとその時嬉しかったことは思い出せるんだけど、実際のお誕生日会自体の内容はさっぱり覚えていない。ケーキを食べて、ゲームをしている間中、六人目の子が気掛かりだった、とでも、捏造して書いておけば優しい子だったとアピールできるだろうか。

あ!アメリカでお誕生日会を開いてもらったことがある!ニコラスくんの家でだ!
自分の誕生日会=自分の家でお母さんが料理を作って、、というのを想像していたから思い出せなかった。
ニックの家で開いてもらった。他人の誕生日会は呼ばれたことあったよなあと思い出してたら、ニックの誕生日会を思い出して、何故か横に、ぼくの日本人学校の方での友達も参加していたからあれは、ぼくの誕生日会だ。あなたの友達を呼びなさいとニックのママに言われたんだ。ニックと彼は面識はなかった。
ニックのマザーは画家だった。子供部屋は容赦なく壁にイラストが直で描かれてあった。トイストーリーの主人公の部屋みたいな感じといえば伝わるだろうか。
塗り絵でもして遊びなさいと言われて、リザードンの絵を書いてもらった。

よかった。自分の誕生日会を経験したことがあった。本当はここからネチネチとこの年になってどうやって誕生日会を開いてもらえるのか、あるいは自分で誕生日会を主催していいものなのか、そもそも友達ってなにさっていうのを書こうと思っていたが、気分が少しすっきりした。

友達の境界線というのは難しい。ぼくは、知り合いはいる方だと思う。老若男女割と他分野にまたがっている。星の王子さまの前書きで、別に友達は同世代でなくても良いみたいなことを書いてあって、それにちょっと憧れているところがある。そういえば、こっちに住んでから、話があって、レベルが一緒だなあ、と感じたのは小学6年生だった。ものすごく本を読む子で頭が良かった。ミステリーの話をよくした。自分の小利口さは小六のお受験レベルなのか、その子が学生なみに頭が良かったのか。

ただ、まあ、いつも連れだっている友達はいない。なんだか強がっているようだが、ここはぼくのブログだし、正直に書くが、別にそれが嫌ではない。
たまに誰かとご飯を食べるのは楽しいことだが、毎日義務のように一緒に食べ、狭い教室で席は隣でずっと一緒なんてめんどくさくてしょうがない。恋人でもちょっとめんどくさいのに、まして男でなんて…。女の子はいい匂いがするので一緒にいないといけないわずわらしさが多少帳消しになる。女の子同士はなんとなく潜在的にレズの素質があると思うので、別にどうでもいいのだが、男で連れション行くのはホモか何かなのか。

ハッキリとめんどくさいと意識したのは高一の時だ。朝、学校だるーって感じで階段を登って教室に入ると開口一番、同級生から「サト、トイレ行こうや」と言われ、尿意もないし、階段また降りるのだるかったので「イヤや」と答えた。「いいから行こうや」と押し切られ、対して話もせず階段を降りてトイレに入ったら、そいつは颯爽と個室の方に入っていった。
朝から他人のウンコというブルーになることを無理やり付き合わされ、トイレも欠けらも行きたくなくて、机に突っ伏して寝たかったのに、とムカついて「てめークソは一人でしろや!」って扉を蹴ったら穴が出来た。

この話は巡り巡って、何故かバレンタインの日に学年でブスと名高いブス沢さんにチョコをもらったサトがキレてトイレに流したという話に変わっていた。全く事実無根である。チョコはちゃんと家に持って帰った。部屋のゴミ箱においておいたら、母ちゃんにバレて無茶苦茶怒られたっつーの。そもそも捨てた、じゃなかったゴミ箱に置いておいた、ということを知ってるのは、オレと母ちゃんしかいないので、何故そんな話が出回ったかわからない。Uくん(ちょいちょいブログに出るな)が「え、オレ野見山から聞いたけど」と教えてくれた。野見山は例の連れション詐欺クソ野郎でもない、対して仲が良くも悪くもないやつだったので、何故こんな噂を流したのか。真偽はともあれ、野見山が言ってたという噂自体はちょっと面白かった。

後半のバレンタイン事件の方が色々書いてしまったが、とにかく前半のウンコ事変以来、元々その兆しはあったかもしれないが人とベタベタすることはなくなった。

話を一番最初に戻すと、お誕生日会というものに憧れがある。
自分のために集まってくれるなんて恥ずかしくてイヤ過ぎる。最近の若者は、海外だったり、親族のみで結婚式を開きたがると聞く。それに似た感覚だと思う。
カレシの誕生日が近いっていう女の子と話していて、この誕生日会を開いてもらって行きたくないっていう自論を展開していたら、めんどくさっと言われたことからこの記事書き始めた。まあちょっとカップルで祝う誕生日とぼくのいうお誕生日会は違うんだけどね。
めんどくさ、私はふつうに祝われたら嬉しい、ありがとうと思うよ、と、一片の同意も得られなかったので、最終的には、じゃあ彼氏が自分の誕生日にオリジナルラブソング書いてきたらヒくだろ!しかも歌詞に自分の名前が入ってるやつ!と超絶ズレた話を酔っ払って持ち出して無理やり納得させた。

女っつーのは(ぼくはさっきからジゴロか何かか?)、記念日というものを大事にしたがる。こちとら親の誕生日すらちょっと怪しいのに、誕生日は当然、付き合った日だとか、どこどこにデート行ったとか細かく覚えていて、その日を記念日にしようとする。そのうえ彼女の女同士の友達の誕生日も覚えていてお互いプレゼントしあっているのだろう。
だいたい記念日を大事にして時間も夜0:00ジャストにライン送ったりするなら、誕生日なら生まれた時間は確か俺は朝方だったと聞くし、0:00ジャストは年越し以外は違うんじゃないか?と思うのは、ぼくがめんどくさい屁理屈野郎だからだろう。

この前の誕生日は

こんなことがあって、多少ウケを狙って発言しているにしても「お誕生日して欲しい、でも参加はしたくない、友達とかめんどくさい、でも友達欲しい」とのたまうやつにとっては丁度いい出来事だったのかもしれない。

 

最後、東京03の誕生日のコントを貼ろうと思ったけど公式チャネルのものがなかった。

死を覚悟する

車の運転に人の性格は出るとよく聞くが、それは本当だと思う。

最近ぼくは運転しなくなったが、多分ふつうか、やや慎重気味だと思う。ついこの前2回目の免許更新は違反一回の優良ドライバーだったし。
今迄も知り合いの運転する車は乗って、多少運転が荒かったり、逆にフラフラしすぎて怖い思いをすることはあったが、今回ほど死を覚悟したことはなかった。冗談ではなくて。

まあ、グレーゾーンのことをわざわざ書くのもどうかと思うが、自分も運転していて周りの流れに合わせてスピードを出すことがある。

が、一番前にいないと気がすまないなんてことはない。もうね、高速でね、ライトが線になってるの。FZEROの64版ってやったことある?あんな感じ。車体はガタガタなるし、車間距離近すぎだし、筑豊ナンバーのトラックみて「鹿児島ナメんなよー、オラ!!」って煽るし、スピーカーから流れる曲は安っぽいJPOPだし(これはどうでもいいが、最近流行りの妙な不協和音がオレの不安を煽る)、ガタガタなると「いやあ、道が悪いね、オレのテクの問題じゃない」って笑うし(道が悪くても死ぬのオレらじゃねーか)、高速降りたら降りたでスマホをやたらいじるし(なんで知らない道でそんなに色々他のことできるんだ)でもう泣きそうだった。しかも往復16時間も。オレ運転代わろうにも眼鏡持ってきてなくてどうしようもなくて、あ、オレコレ死ぬんだー、道半ばなのに。まあ、道半ばで死んだ方が幸せかもなあ。と最後は悟った状態だった。

もうね根本的に人間として違うんだろうね。一回人身起こしたってのも、笑って言ってた。その時の相手は軽症だったみたいだけど。バカは一回経験しなきゃ治らないじゃないんだよ。死ななきゃ治らない。ヒヤリハットの法則なんじゃそりゃ状態だった。ヒヤリハットの法則通りだったら確かに今無事なのは不思議なほどヒヤリハットがあった。

ブレーキかけると魔女の笑い声みたいな音がするんだよ。
一回ブレーキの効き悪いときがあって、もうホントに南無三とぼくは思ったんだけど、運転してたやつは「アレ?効かねーな、あ、効いた効いた」とポケットにライター探すくらい軽い感じで言っていた。せめて定期券探すくらいは焦ってくれよ。いや焦ってないから大丈夫だったのか。

サービスエリアの休憩室にテレビでたまたま世界仰天ニュースみたいな番組で事故特集がやっていて、ぼくはコレは死亡フラグなのか、逆に無事帰れる生存フラグなのか、魚みたいな目で眺めていると、横でそいつは「やっぱトラックだよなあ」、とさっき煽ったトラックを思い出して100パー相手が悪いという風に言っていた。

高速降りると、世界が止まって見えた。DIO状態だった。そうするとハンドル離すようになってそれはそれで怖かった。

ちょっと時速何キロ出てたかは今日のネット社会なにが犯罪となるかわからないから意図的に書かないけど、もちろん法定速度内だったよ。大げさに書いてるだけで。

全然関係ないけど大谷投手って球速どれくらいだっけ?ああ、まだまだだね、彼も。

もう!!!ホントに!!怖かった!!!
どうやったらコレが表現できるんだ!!!!
!!!の連続だとなんか可愛い感じになる!!!
あああああああああああああああああああああああああ!!!!

結んで、紡いでー

街は夕刻を迎えていた。夕焼けはゆっくりと沈下していき、空気は天頂から淡く群青に染まり始めている。

まあ、今学習塾で偉そうに「国語」なんて科目を中学生15人くらいの集団授業でやってるわけでして。結局、高校の時には2大絶対になりたくないなと思っていた職業、医者と学校の先生しかも国語の先生、に片足づつ突っ込んでる状態でして。
そんな自分の今フラフラしてる状態のことを書きたいんじゃなくて、なんとなく言葉、言語、日本語について書きたくなった。

中学生なんて頭の悪い生き物で、特に作文添削なんてすると文章がボロボロで読んでいて頭が痛くなる。奇書を読んでいる感覚と似ている。ある種それはドグラマグラ。だから楽しくもある。それに文が崩壊しているから内容の理解に苦しむのだが、内容そのものは模範解答だったり、自分が事前に予想する解答よりずっと面白いことを書いてくる子もいて、この添削作業自体は嫌ではない。自分自身の文章はおかげで向上しているのか、むしろ引きづられて低下しているのか、わからないが……。

言葉について、というテーマの作文課題を頭を捻りながら「無難な」解答に添削していると、ある女子中学生の作文で手が止まった。


「言葉についてわたしが思うことは、とても言葉は難しいと思うし、わたしはよく何言ってるかわからなくて、よく友達に『何言ってるの?』とわたしは言われます。」


無茶苦茶だ。でも名文ではないかもしれないが、言葉に踠き、足掻きながらも生きていることが伝わってくる気がした。
人は「言葉」によってものを考え、記憶に留めておき、他者と意思疎通を図る。
もちろん相手の表情や声のトーンなどノンバーバルなコミュニケーションもあるが、「言葉」の呪縛から逃れることはできない。
小説家や詩人、劇作家や俳優は言葉を駆使して、自分の世界に他者を招待しようと苦しみ続ける人達であるとぼくは思うし、そうであって欲しいと思う。逆にミュージシャンや画家は他の手段、つまりミューズを音や絵の具に託す。

言葉は不完全だ。言葉では伝わらないものも沢山ある。しかも日本語なら日本語を習得している人にしか伝わらない。でも言葉を使わざる得ない。ぼくは楽器も碌に弾けないし、踊れないし、絵も齧ってすぐやめた。あなたも、もしかしたらぼくよりずっと踊りが上手いかもしれないけど、例えば、友達に「この前、四国に旅行行って来てさー。はい、コレお土産。」というのをいちいち曲にして表現するわけにはいかない。会社で「〇〇くん、この書類のコピーを300枚とっておいてくれたまえ」「あっでも、事務所のコピー壊れてますよ」というのを上司と部下で踊って伝え合うわけにはいかない。はたから見ると面白いけどさ。

ぼくも女子中学生だったとき、今よりも自分の中で、感情、思い、気分、その他もろもろはもっと深く渦巻いていた気がする。昔のことで忘れたが。今よりも、いや今も大してないけど、語彙も文書力なんてなくて、渦巻くものを言葉にすると、途端にひどく陳腐な、手垢のついたみすぼらしいものに成り下がってしまうことは目に見えていて、むしろ必死で言葉にならないように抗っていたんだと思う。でもそれは逃げだ。言葉から逃れることはできない。ミューズは戦う者に微笑む。

この子の文に、朱を入れる作業はただ文を腐らせている気がした。

おいしいマーボー豆腐の作り方

や、ふつうにレシピ。なんの比喩でも無く。
自炊を初めて15年の調理師免許も飲食店キッチンバイト経験も料理教室にも行ったことない普通の25歳の男のレシピ。
ネットに載ってるのだったり、中華屋でバイトしていた知り合いから昔聞いたものをちょこちょこアレンジしてて、いちいち分量を調べるのがめんどくさいし。
これ書いてたおいたら、スマホでも、ipadでも見れて便利じゃね?ってことで。

クックパッドとかだったら写真いっぱいいるけど料理の写真パシャパシャとるの好きじゃないし、自分の備忘録用だから最後の写真だけで。

材料 (多分4人分くらい)

木綿豆腐1丁
木綿はポイント!

挽肉100㌘
というかいつも買ってる冷凍のなんか安い挽肉1/3の量。多分ハンバーグとかにするには向いていない。

生姜チューブ 2cmくらい
ニンニクチューブ 1cmくらい
適当にぶっちゅっとやって出る量。ニンニクは出過ぎるとヤバい。

ネギ1本
気分や冷蔵庫の整理によって量が変わる。
豆板醤 小さじ1

■ 調味料
水 150-300㏄
創味シャンタンDX 小さじ1(多すぎると塩辛い)
酒 大さじ2(適当にドバっと)
醤油 大さじ1(多すぎると塩辛い、やや気持ち少なめ)
砂糖 小さじ1(喫茶店のスティックシュガーをパクっていれば。なくてよい)
味噌 大さじ1(名古屋人とかいう異星人じゃないので味噌にこだわりはとくにない。)

水溶き片栗粉 適量 量がよくわからない。勘。
ごま油 適量 ぐるっと。
酢少々 ジョビっと。


1
豆腐はしっかり水切りをする。
ここがポイント。絹のほうが木綿に比べてイケメン度が高い気がするが、水切りをきちんとすることにより味も見た目も木綿のほうが良くなる。絹、崩れるし。
水切りの方法はレンジに1分くらい500wでチンして、水を切って、豆腐の上にキッチンペーパーをのせて皿とかで重石をする。半日くらい置いたほうがいいけど、まあ適当に。

2
冷凍肉を解凍する。

このへんは料理というよりは下準備か。たいしたことしてないけど。

3
ごはんを炊く。麻婆豆腐自体は短縮すれば15分もあればできるので。

4
調味料を味噌、シャンタン、その他の順にするとスプーンが汚れないので楽。混ぜておく。お湯のほうがいいけどめんどくさいのでしない。
シャンタンは中華料理屋さんは必携らしい。近所のスーパーに売ってる。ウェイパーとは会社のごたごたがあったらしい。いろいろチャーハンなりスープなり使えて便利。

5
ネギを1、2cmくらいの大きめに輪切りする。青いところはオシャンティーにするときはとっておいてちゃんと細く切ってして最後に飾る。
そういえば、香川のうどん屋に行ったとき、ネギはキッチンはさみで自分で切ってくれっていうシステム(場所によっては畑でネギとってこいってのもあった。香川も日本じゃねーな)で面食らったことがあったが、キッチンはさみでやると楽かもな。包丁あと使わないし。

6
フライパンを熱し油を適量生姜・ニンニク・ネギを炒める。香りがたってきたら豆板醤を加え炒める。
なんかネギを絡めるイメージ。生姜、ニンニクは最初弱火で香りだたせたほうがいいらしいって。適当にやっても違いがよくわからん。焦がすとまずいが。

7
豚挽肉を加え肉の色が変わったら調味料を加える。

8
沸いてくるまでに豆腐をサイコロ状に切る。多分2、3cmくらいの大きめにしている。
あ、ここでまた包丁使ってるわ。

9
沸いたところに豆腐を入れる。豆腐を煮るつもりで。中火から強火にして水分を蒸発させる。300ccが150ccになるくらい。めんどくさかったら最初から150ccにするなり、ガンガン強火にして水を蒸発させる。多分20分くらい放置している。

10
その間に洗い物をするなり、ほかの料理を作るなり、スマホゲーをするなり。最近グラブってる。

11
適当なタイミングで弱火にして、水溶き片栗粉を様子を見ながら回し入れとろみを付ける。
片栗粉の量はいまだになんかうまくつかめない。でも適当でなんとかなる。調味料を入れておいたカップに片栗粉を解くと洗い物が少なくてラッキー。

12
粉臭さを飛ばすため一度沸騰させてから火を止める。
酢をじょびっと、ごま油をぐるっと、オシャンティーにするなら器に盛り、とっておいたネギをちらす。
普段はごはんの上にかけて丼にしてる。

13
食べる。おいしい。


木綿豆腐を水抜きし、煮たことにより味がよく染みていて軟らかで、噛むと口のなかで幸せが広がる。絹だとこうはいかない。
また豆腐と同じように大きめに切ったネギも豆板醤がよく絡まっていてネギのうまみが凝縮されている。とろみも絶妙だ。
一口一口に発見とひらめきがある楽しい食体験となる。


なんか、食レポって書きなれんから微妙やな……。いざ写真を撮ると照明当てて、「いいよーその笑顔いいよー」って豆腐にむかってカメラマンごっこしちゃうね。

甜麺とか豆鼓醤とか、他の使い方わかんねーよっていう材料は使わず、攻撃力も守備力、芸術点も高いマ豆だと思う。

 

#・3・#<ではまた!

厚切りジェイソン見ると日本は負けたんだなあと思う

パックンやマーティフリードマンだと感じないのにね。

声と身体がデカいだけの悪い意味でバタ臭い顔の厚切りに、威張られると、シュン…となってしまって、ぼくは右でも左でもないのに、御先祖様が命をかけて守ろうとした日本はかのような米人に侵略されてしまいました、と胸に手を当て涙を流す。

多分、玉音放送を呆然と聞いたあと、街に行った御先祖様は目を白黒させたことだろう。在日米兵がジープを街を乗り回していて、白人の身体の大きさには震慄しながらも、彼らの持つチョコレートに目が奪われ、ジャズやロックに憧れたと思う。

ただ厚切りジェイソンは米兵と決定的に違うのは、彼が持っているものはチョコレートでもエレキギターでもなく、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の虎子って何!?要らんやろ!とか、「七転び八起き」って一個起きるが足りなくない!、とか、まあ小学生が考えそうなことを声高に叫んでいるに過ぎない。お前のネタはすでに小学生でみんな経験してんだよ、バーカ。つーか、調べろ。載ってるから、語源も。学研のことわざ辞典とかで。ポリティカル発言は聞かないようにしているので知らない。でもうぜえこと言ってるんだろうな。

でも日本は負けたもの。

まあ、彼は日本嫌いで日本女のロリ体型にハマったステイツでは相手されないただのロリコンが、何故かテレビに出ているわけだが、同じくらいテレビで変に日本マンセーしている番組も気持ち悪い。外国の方に寿司を教えるとかいうテレビとか死ぬほど気持ち悪い。こっちはこっちで負け犬の遠吠え感がすごい。

自分は右でも、ガイジンが嫌いというわけではない。実際日本にいる外国の友人も何人かいる。授業の一環で外国の人相手に診断ごっこをすることになって、その後の親睦会でうぇーいって感じではなく会話がぼくはできたので仲良くなった。外人が全員クラブで酒飲んでうぇーいのノリではない。まして医学教育にボランティアしようなんて殊勝な学生は。クラスの人が可愛い金髪の女の子のラインアドレスゲットしたろっと半分冗談で盛り上がってた横で、本当にライン交換したときは痛快だった。
何故か英語の先生の息子さんを一昨年の夏の間ベビーシッターすることになったりもしていた。

言葉が中々通じない異国の地で生活する(旅行ではなくて!)孤独は実際に経験した人にしかわかるまい。小学生のとき半強制的にアメリカで暮らしたときは本当にキツかった。ぼくは小さかったので留学と違って自分の意思ではなかったし。

差別は確かにある。ニューヨークですらあった。日本は特別?そんなことないですよ。特に女性はただロリコン外人にちやほやされてるだけですよ。
日本に来る外国の人は基本的に厚切りは別として、日本好きだろうし、大学なんかどの国であろうとそれなりの教養人が集まってるんだから差別なんて無駄のことはしないだけだ。
考えてみたら、例えば高校のクラスメイトに一人黒人が紛れていたら少し異質な目であなたも見てしまうだろう?差別やいじめはしないにしても。
弟は幼稚園だったので向こうのことは全く覚えていないらしいが、幼稚園生にしてカノジョというか、一方的に弟にベタ惚れしている女の子がいたことをぼくは覚えている。向こうの親は相当嫌がっていた。たかが、4歳児の可愛い恋愛なのに。

見た目が違うというのは決定的だ。それによる差別だけは自分の力ではどうしようもできない。隠すこともできない。
向こうの小学校でアーサーキングジュニアとエイブラハムリンカーンは最初に叩き込まれた。黒人も白人も平等なのだ、と。ぼくらはそのどちらでもない。

こんなこと書いているが免許とったあといつかのタイミングで向こうに戻ろうとは考えている。

いぇーいのノリに疲れたイギリス人が「なんで日本人の男はみんな女性が可愛いとかの話しかしないんだ?」ってボヤいてた。
これがホンモノのwhyJapanesepeople?だろうなと思う。

無料案内所の灯りはマニュキアみたいで綺麗だ

ぼくが風俗に行かないのは、中途半端な自尊心の高さと未知のものに対する恐怖からに過ぎない。

できればぼくも女の子とエッチはしたい。いつだって頭はそれでいっぱいだ。
男同士の会話ではたまにそういう話題がでることがある。人生経験として一回くらいは行ったことあるさ、と言った顔でほんの少し1ミリだけ口角をあげて澄まし顔でぼくは聞く。聞かれたら正直に行ったことないと答えるが。

ピンキリらしいが一回10万とか聞くとこっちは目を白黒する一方だ。だいたい金払えばやらしてくれる女抱いて何が楽しいんだ。なんとかあの手此の手で口説いて、ラインの既読がなかなか着かなくてもんもんしたり、うまくいったりダメだったり、脱がせて意外と乳頭が綺麗でラッキーとか、その一連の過程がセックスで一番楽しいんじゃないのか?そもそも……いや、よそう。ぼくが行かないのはただ臆病だからだ。あえて正直に風俗行きたいって書くことでぼくはそういうの行ったことないよってアピールしてるな、誰かに。

風俗にも色々あってイメクラというものがあるらしい。台本に沿って、例えば看護婦さんプレイとか先生と女子高校生といった設定で最終的にはエロいことをするそうだ。この2つは医学生で塾講のぼくはちょっとキツいっすね……。どれくらい設定があるのだろうか。どうせなら未知の演技をしたい。風呂屋の番頭とその客とか。

というかエロいこととかとりあえずどうでもいいから、気軽に演技と脚本と演出をさせてほしい。妙に凝り性だから絶対エッチまで長い。女子高生役の女性に対して、そんなのリアルな会話じゃねーよとか、感情が見えてこないとか、だいたい学校でそんなことしようとしてるんだよ?相当な感情の揺れ幅とある種のトランス状態が必要だろ、とダメ出ししそうだな。
今時、ファミコンとかを一緒にやってくれるゲームバーなるものもあるらしいし、どんなものが商売になるかわからない。少なくともここに一人ニーズはある。世の中何か別の私を演じてみたいという欲求は意外と世間でも強いのではないだろうか。

高校の時いち早くテンガを知ったUくんは22でようやくソープで童貞を捨てた。ぼくに報告してきた。ほんものは全然気持ちよくなかったと言ってた。
好きな人が欲しい、とも言った。愛がなかったから気持ちよくなかった。愛があれば気持ちよくなれるのだ、と。
ぼくはそういうもんでもないけどなあ、と思ったけど、好きなコができるといいねと口では言った。

なんか、愛って何さって話をしたいのか、芝居したいって話がしたいのか、自分でもよくわからないから寝る。

行って帰る

かつての友人が今も友人なのか不安になる。

いわゆるシュレディンガーの猫で、箱を開けなければ、「今も変わらず友達でいる」と「かつては友達だった」が多重存在できるわけだからそのままにして置くのが正解だ。でも偶に気になるじゃない?箱を開けるわけにはいかないけど、ちょっと揺らしてみたり、叩いてみたり、箱に向かってニャーと言ってみたり。
昔いた学生劇団のギリギリ面識がある人達の卒公だった。後輩とかに熱いタイプではないんだがなんだかこのタイミングで行かない限り、一生大阪時代の人らと会わん気がして、流石に一生会わないのは嫌やなあと思ったので箱をちょっと揺らしに行ってみた。最近これ読んでくれている人は気づいていると思うが、妙に近頃暇なのだ。そもそもオレがとりあえずでかい大学に行きたかったのはでかい大学なら色々面白い人がいるだろうというその考え一点突破だった。それを失うのは惜しいし、悲しい。
色んな人と会うのは疲れちゃうし、要はめんどくさかったので結局松永としか、ちゃんとは喋ってない。でも今回会えなかったにしろ会わなかったにしろ、自分の中で皆またシュレディンガーの猫ちゃんになってくれたので、そのうちまたいつか会うこともあるだろう。オレのこと知ってる全員ね。いやむしろちょっと箱を開けすぎた。猫ちゃんのしっぽちょっと見えてなかった?ねえ?尻尾動いてなかったよ!?ねえ生きてるの!?死んでるの!?


話は変わるが、電車で一人でどっか行くのが好きだ。もう青春でも18でもない青春18切符を使って、何かの衝動に駆られて突然家を飛び出て何処かへ目指すことを年に1、2回する。一番好きな手段は歩くこと。ジョギングなんて意識の高いことは疲れちゃうし、しないけど、テクテク歩いていると色んなことを考えることができて、良い。2番目に好きなのが普通電車で移動することだ。ぼくは鉄道マニアではないので電車の違いなんかボックスシートか横並びの座席かの差ぐらいしかわからないが今は乗り換え案内アプリなんてものもあるし、電車の中でぼーっと色んな人をみたり、本を読んだり、途中で飽きたら微睡んだり、思索したり、スマホをいじって電池の消費にビビったり、それに比べて紙の本で電池切れしないから最強じゃね?ってあたり前のことに気づいたり、よくよく人の会話に耳を傾けると少しづつ方言が変わっていくことに気づいたり、88歳のミスマープルみたいなマダムと90分話すハメになるのが楽しい。マダムは88歳とは思えないくらい元気で、よく考えれば目も眼鏡なしで本が読めるのも、耳も全く遠くなくて、それはすごいことだってのはあとで気づいた。仏教ではなくて神道信仰のほうらしく日々感謝ねって繰り返して言ってた。日々感謝(顔文字)とラインのプロフィールに書いてる人とはちょっと距離を置きたくなるぼくだけど、88まで生きてるんだったらそれも一理あるんだろう。だから、というわけでもないが、1日関西圏にはいるけど、暇、って時間があったし観光するものもないので、ぼくの氏神様らしい京都の吉田神社に七五三以来お参りしてみた。鴨川のぴょんぴょん岩はなんとなく覚えていた。

一人旅行にも色々ある。海外に観光に行く人もいれば、全国の美味しいものを食べ回ったり、車やバイクで高速を飛ばしたり。海外は金ないし、知らない土地でも観光よりはその辺の街並みを見るほうが楽しかったりぼくはする。食に対してもあまり興味が湧かない。車は持ってない。でも車やバイクはぼくにとってはあくまで手段で乗ること自体が目的になることはないだろうな。もっとワイルドな人なら山に登ったり、ヒッチハイクしたり野宿したりするのだろうけど、(ヒッチハイクと野宿は必要に応じてする時もあるが)、都会派のぼくにとってはこれくらいがちょうど良い。

卒公は面白かった。でも疲れた。劇の内容もなんだけど、いやもう場所に疲れちゃって阪急電車乗ってから観て、帰りにまた乗って降りるまで動悸が半端なかった。お腹も痛くなるし、ウンコ漏れそうだし、おしっこはもうもれている。少なくとも阪大でやっている芝居はもう二度と観ないだろう。自分で思っていたよりもあの場所はまだ懐かしくはないらしい。行く前はまあ暇だし二回観てもいいなあとか食堂で天津麻婆丼食べてもいいなあとか思ってたけどそれどころではなかった。アトリエと某病院の待合室が決意の場所で懐かしいだったら、あそこは逃げた場所で想定してた以上にトラウマらしい。

内容について。ぼくはもうおじいちゃんなので優しい歌が好きなのよ。面白かったよホントに。よくも悪くもセンチメンタルを押し出した作品のほうが気持ちよく泣けたのかも知れない。
劇中ででてきた赤い綺麗な錠剤がメチコバールでそれ自体はまあただのビタミン剤というか本当に効くか怪しいくらい軽いものなんだけど、ちょうど自分のポケットにも入っていたので自分がメンヘラでっせと言われたようでちょっといやだった。いや軽く病んでるんだけどさ、ぼくも。明るく病んでるだけどさ。
なんか最近手が震えるんだよ。ただの筋肉不足だと思いたい。末梢神経が原因かなと家にあった薬を飲んでたけど手足の痺れ用の薬だし勝手な判断はよくないな。病院行ったほうがいいかなあ。
本谷有希子脚本はそういえばどっかの団体からオレも演出しない?って誘われていて、なんとなくサトくんが好きなタイプの芝居と思われていた気がする。実はチョット違う。本谷有希子についてはまた今度書くかも。書かないかも。この子達はぼくが演出した松尾スズキさんの本を観て、それが決め手になったとは思わないけど、入ってくれて、確か去年引退公演のときは、ふくすけをやってて、今回本谷有希子さんの本だったのでやっぱり新歓公演って影響あるのかね?後で思ったりした。もしそうだったら嬉しい。幸せ最高ありがとうマジで。最後が言いたいだけ。
っつーか、君たち、公演日卒業式だったんじゃないのか?
ぼくも今の大学の先輩の卒業式で謝恩会とかサボった。今の人達も将来ドクターになったときのことを考えるとかなり大事なんだが。狭くてコネの世界だし。
人の名前とか結構忘れるのだが、少なくとも見かけた人の顔は覚えていた。ちょっと公演中パンフレット見ながら名前を確認したが。受付の人は全く覚えてなくて、やばっと思ったら最初から知らない後輩の子だった。そりゃそうか。

最近ツイッターちょろちょろ見ているけど、ハンドルネームとかそれ以上に誰が誰か全然わからなくて誰かも覚えていないしフォロー外れてるやつは帰りにしこしこ解除した。なんか誰か知らんけど面白いってやつは残した。でもそれも悪い気がして解除は途中でやめた。あと鍵付きは拒否されたときのショックが箱を開けたら猫さんが残虐な死に方してるくらいショックなのでミス研とか確かアカウント分けたときに外したんだろうけどこっちからの申請もやめた。フェイスブックとかも整理しようと思ったけどなんか別にそのまんまでいいか、そもそもマメな性格じゃないしと思って結局SNSは全部そのままだ。SNSは見ると疲れる、と最近改めて思った。
考えたら他人の考えていることとかやったこととかどうでもいいやんけ。
時間なんか生きていて無駄ばかりしているが、アレは時間の無駄だ。甘い罠。このブログもそうだけどさ。医療についてはどれくらい書いていいかわからないし。例えば、解剖とかももう終わったんだが、世間のグロに慣れていく自分と周りの感覚とか記録に残したいけど、言ってはいけないところまで書きそうで。もちろんご遺体は匿名で死因しか知らされないよ。これからどんどん増えていくだろう、生きている人のも。まあ一般書に書いてるところがボーダーと判断しよう。そもそもこのブログ、フィクションと妄言が多いんだけど。

今回合間合間に書いているのでいつも以上に脈絡がない。

松永とは飲もうって話だったが、よく考えればあいつ酒を積極的には飲まなくて、会社についてファイナンス?とか言われても多少未知の世界なので面白く聞けたがピンと来なくて結局、演劇とかの話を二人揃って偉そうに家でしていた。そういえば、同じ劇団にいたわけだけど好みが完全に一致しているわけではなかったってことを思い出した。ポテチを皿に出したとき皿にラップを貼っていてそういえばこいつ妙に几帳面なところもあったんだよなあも思い出した。今回言われたわけではないが、トイレを座ってしろと昔言われたことを思い出して、トイレ借りるとき座っておしっこをした。
誰が「友達とは、何年ぶりにあっても、昨日あったかのように話ができる関係のことだ。」って言っていて、まあそういうことならそうなんだろうし、他の人もそうであればいいなと思えて、思いこんで、ぼくは猫ちゃんの箱を放置して気兼ねなく他のことをできる。