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サトくんのブログ

リニューアルに当たってなんかカッチョいいブログ名にしようと思ったけど、ぼくのブログとしか言いようがないや。

著作権は大事だけどめんどくさい

たまに最近、誰かの結婚式だったり、部活?サークル?用の動画を作ってくれると頼まれる。
それ自体は嫌ではない。嘘。ちょっとめんどくさい。
演出助手とか、お手伝いとか、やってたことあったけど、ぼくがそれを愛していないと結構めんどくさい。ただ愛があれば、ぼくは結構、有能に働けると思う。
だから新郎新婦のことも頑張って、愛せばいいんだよね。見ず知らずの、そんなにかわ、、ケホン、女の人を愛するのは難しい。こっちはずっと画面越しに顏を繰り返し眺めて作業する。煙草くわえて、ヘタしたらパンイチで。
まあ、向こうもプロクオリティなんか期待してないっしょ。と思いながら、それなり自分のこだわりで作る。
まあフォトショとかAEとか、きっかけがないと弄らないし、いいんだけど!

で、最近はYouTubeにそういうのをあげるのが主流なんだよ。
そーすると、音楽がひっかかるわけ。それ自体はいいんだよ。著作権は大事。ピッチを弄るなんてことはしない。
で、フリー音楽探すわけ。正直クオリティが低いというか、一発でネットで拾ってきたなってモロバレな音楽しかないのよ。
なんというかノッペリしてるというか、ギャルゲーっぽいというか。悲しい曲ならマイナー調、明るいなら明るいとハッキリしてるんだよな。
その、自分の「こだわり」のラインとして流石にな、ってレベルになってしまうし、頼んでくれた人(カッコつけて言えばクライアント)の意向にも沿ってないしで、モヤモヤする。
クラブミュージック系とかは、ぼくが聞く限りでは結構レベルが高いと思うんだが、それも使い所が限られるからねえ。それにぶっちゃっけクラブミュージック系の曲それぞれの違いはわからん。

リミックス系の曲ってどこまでがアウトでセーフなんだろうね。電気グルーブShangri-laとかギターの弾いてみた動画とか。
同じように小説とかも一緒で芥川龍之介とかも結構グレーだよね。ネタ元が古いからセーフか。
漫画の「月光条例」とか絶対、話を途中で変えざるえなくなってたでしょ。無能な編集者のせいで。青鬼が泣いてるよ。

なんか知らないけど、公に公開してる、って意味では一緒なのに演劇の世界は許されてるよね。曲、バンバン使ってるけど。JASRACさん、チャンスですよー!下手したら小劇場ですら3000円も取るんだぜ?ぼくが知らないだけで、そういう団体は納めるところにキチンと納めているから3000円もするのだろうか。それとも、演劇は法律で許されてるのだろうか?カタチに残らないからオッケー!みたいな。でもDVD売ってる団体もあるぜ?うーん、よくわからん。

とりあえず曲については、もう自分で作るか、作曲する友達を作るか、だな。うわ。両方ハードル高!
今のヤツはまあ、適当にフリーのヤツで、、どうせ俺もフリーで使われてるし、、、

ぶっちゃっけ徹夜で眠いっすね。だから口調も雑い。もう朝の9:00だよ!

映画の感想とか

映画や小説で、人間性など変わるはずもなく、もし何かあるとするなら、ただ自己の再発見があるのみである。
だからぼくは本を読むのだけど。

親切なクムジャさん」っていう映画をさっき観ました。
うーん、まずいなあ。どうも自分は子どもが絡むと冷静でいられないようだ。同監督の「オールドボーイ」の方が、出来は良いと思うのだが、自慢でもなんでもなく復讐するならコレだろとオチが読めて、へえ韓国映画ってやっぱ、話に聴いて通りおもしろいんだなあって感じで観られた。
一方クムジャさんは、勿論、いい映画なんだけど、客観視出来てないなあ。色彩とか音楽とか構図とか計算されてると思うんだが。

是枝監督の「そして父になる」も同じように、客観視、できない。あれは良くも悪くも福山雅治のプロモーションビデオの面もあるからだいぶ助かったが。ひと時も心が休まる暇がない。是枝監督なら「空気人形」とか純粋に好きー!って言えるんよ。

うーん。まずいなあ。一応小児科志望だったり、現時点ではするのだが、冷静でいられないなら、考え直すべきかもしれない。
うーん、まずいなあ。

 

 

 

そして父になる

そして父になる

 

 

おいしいよね(性欲と食欲)

知り合いに、美人、というか、清楚が白い服を着てピアノを弾ているような人がいるんだが、細い見かけに反してよく食べる。
何故だか、その人が食べる様子を見ると自分の中の好感度みたいなものがどんどん下がっていく。今はわりと低い。勝手に綺麗だと思って、勝手にがっかりしているんだから向こうにしてみれば失礼な話である。実際なんかの拍子にそれを告白して、相変わらず変な奴だなという顔をされた。
決して食べ方が汚いとか、むしろお嬢様であることがわかる上品な食べ方だと思うのがとにかくよく食べる。もしかしたら、普通程度の量かもしれないが、唐揚げとかチャーハンとかをパクパク食べるのにヒいてしまうのである。ピンクの綿あめみたいなふわふわしたものだけを少量食べていてほしい。

そもそも自分自身あまり人に食事をしているようすを見られるのが苦手である。性欲は恥ずかしいもの、として扱うのに、食欲は大ぴらにしてよいという風潮に違和感を感じている。時々人とごはんを食べたりするのは、自分は多少露出癖というか、変態性があるのでできる。実際時々、誰かとごはんをたべるのは楽しい。ただそれは時々だからである。露出狂のサラリーマンは、普段抑圧された日常をおくるから、時々、裸で町に出没する。

毎日 食事を食べないといけないのがめんどくさい。人類が食事を毎度摂取せずにすむサプリメントかなにかが開発されたらいの一番に試したい。食事がはやく娯楽になってほしい。

 

種の保存と繁栄に必要不可欠な性欲は公益的性格を持つが故に罪深いものではなく、むしろ個体の生存にのみ必要不可欠である食欲の方が独善的性格を持ち、罪深く恥ずかしいことである。


というのは、藤子F不二夫のとある短編の世界観だが、ここまでキチンと言語化できてはいなくても、そんな思いがあるのだろう。
この短編の存在を知って悔しかった。この考えは何かしら小説か戯曲かコントか何かのネタにならないかなと転がしていたので。F先生のこのテーマに何かしら自分なりの+αができたらその時に形にしよう。まだこの短編は読んでいない。

別に世の女性も、男性でも、全員が食べている様子が嫌いというわけではない。おいしいものを食べている笑顔が純粋に素敵な人だったり、この人美人なのにごはん食べているよハァハァと性的興奮につながる人もいる。ただ冒頭の人のように幻滅する人もいる。自分は変態だと、言いながらぼくはロマンチストでもあるので、欲、を大ぴらにする行動にひいてしまう潔癖なところもあるのだ。
太っている女の人は食欲も強く、だらしないから、性欲も強くエロい、というのは経験則的には嘘だ。ただ背の低い女性がエロいのはガチ。科学的にもエストロゲンの分泌により骨の成長は止まる。そして周りの年齢の子よりも大人びるのが早くて、その結果成人してもエロいままなのだ、社会学的にも正しい。という説をぼくは唱える。そもそもエロいっていうのは男性的なのでエストロゲンの支配を受けないって声は聞こえない。まあ人類皆エロってことで。一方みんな夢見る乙女なのだ。


SNSなどでごはんの写真をアップする人って結構いると思うが、「今からこれ食べまーす(#^^#)」って、ち〇この写真アップロードしていたらドン引きするだろう?

 

#・3・#<いや、それは言い過ぎ!

 

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痛み

昔、熱心にブログを読んでた人のブログが最近更新されてないな、と思って一番最近の記事を読むとどうやら病気になってしまったらしい。
ん? 妙にわかりにくい文章だな。


兎に角、知り合いが病気になった。
初めから病気な人を知るのと、元気だった頃を知ってる人が病気になるのとでは、大分こちらの感情は変わる。
一応医学を囓ってる身としては病名を聞くと、それはヤバいっすねと、頭に勉強したことが色々と浮かんだ。
一日も早いご快愈を本当に心から願うばかりです。

 

痛いのってツラい。当たり前のことだけど、意外とこれを理解してるのは自分が痛い時だけだと思う。そして痛みはすぐに忘れる。そうじゃないといちいち他人の痛みに共感覚してたら身体がもたないし(なんかそんなマニアックな精神疾患あったような)、忘れないと何もできなくなるだろうが。それでも、痛いのはツラい。
先日、親知らずを抜いた。たかが親知らずを他の病気、痛みと一緒にするなんてとも思うが、痛かった。かなり久しぶりに痛みを経験した気がした。処方されたボルタレンだけじゃ足りなくて薬局に駆け込んで市販のロキソニンも買った。悪くもないのに身体にメスなんて入れるもんじゃないな、と感じた。保険適用されてるし、ほっといたら顎が痛くなってたかもしれないが、その時は自分は不都合を感じてなくてわざわざ歯茎を切って抜いたのだから、そう感じた。先生からも事前に数日は痛みますよ、と言われたけど、その時は、あまり深く考えてなかった。

上で、久しぶりに痛みを経験した気がした、と書いた時は、最近風邪も引かないし、怪我もしないしなあとオレ男だし生理痛も、と思いながら書いたわけだが、突然お腹が痛くなったり、頭が痛くなったり、うっかり足をくねったり、よく考えたら痛い思いはよくする。要は人は忘れるのだ。

内臓痛とか体性痛とか、患者さんの言葉で言えばシクシクした痛み、どーんとした痛みとか、色々な表現をするし、聞き出すが、他人の痛みというのは本当のところはわかることはできない。医者は共感したくて聞き出しているわけではなくて、診断のためだけど。よく男性に生理の辛さを教えるみたいなイラストやツイートを見かける(あれは生理がどうだとかいう次元ではなく低俗で下品だ)が、あれだって個人差があるだろう。昔、お腹が痛くてお医者さんに「お腹のなかで小さい人らが暴れてるような痛み」と伝えて自分では言い得て妙だ、と思ったが、お医者さんはピンとこない顏をされていた。

母の薬局で事務作業の手伝いをしている最中、母の仕事ぶりを観察していると
「コレ飲めば治るかえ?」
「コレで痛くなくなるの?」
と聞いてくる患者さんがかなり多くて驚く。
「治る」っていう言葉がどちらかというと「直る」の響きで、もと通りに戻ると信じて疑わないようだった。おじいちゃんアンタ歳いくつよ、そりゃあ十代のようには動けないさ。

と言いつつ、恐らく次のノーベル賞あたりでまたテロメアテロメアーゼ関係かオートファジーかが取りそうな気がする。「若返り」は人類が誕生して以来様々な手段で古今東西挑戦し続けた。賢者の石からSTAP細胞、顔にヒアルロン酸を塗りたくるなど怪しいものも沢山ある。テロメアと自食は自分の知識をひけらかしたいというより、当たったらすごいねってことで書いておく。あとCRISPR-Cas9システム。去年の組織学の先生がカリキュラム外のことでやたらアンチエイジングについては語っていた。


「痛みはすぐに忘れてしまうから。だから私は忘れないように毎日毎日思い返していたのに!」

ケラリーノ・サンドロビッチの(いつもこの人を敬意を込めた呼び捨てにしていいか迷う)フローズン・ビーチでちーちゃんにこんな台詞があった。クソ!手元に戯曲がないのがもどかしい。もっと気の利いた、「刺さる」台詞回しだった。

身体の痛みとかココロの痛みでも失恋とか恨みとかは忘れたほうがいいけど、自分が原因で降りかかった災難とか、その反省とかも忘れてしまって結局同じことの繰り返しは避けたいし、今なう痛みがあってもその痛みを全くなくしてしまうよりも上手に痛みと付き合っていきたいな、と自分自身についてはぼくは思う。

果たして俺はめんどくさい男なのか?

 

お誕生日会というものに憧れがある。誰かに開いて欲しい。そして断りたい。いい年してお誕生日会なんてやめてくれ。自分の誕生日会なんてまっぴらごめんだ。自分のためにわざわざ時間を割いてもらうのは申し訳ないし、何より注目を自分に集めるなんて嫌で嫌でしょうがない。

自分の記憶を紐解いてみても、お誕生日会というものは開いたことはなかったような……。言い訳すれば、2/25なのでみんな春休みだったし……いや、違うわ。小学生の休みはもっとあとだ。うわ、いや、決して、友達が、いなかった、わけでは……。

友達のお誕生日会に呼ばれたことはあるもん。確か佐々木くんの家は友達五人までOKシステムで、ぼくは滑り込み五人目だった。六人目の子は寂しそうな顔をしていた。
その誕生日会に誘われた時の小学校の教室の匂いとその時嬉しかったことは思い出せるんだけど、実際のお誕生日会自体の内容はさっぱり覚えていない。ケーキを食べて、ゲームをしている間中、六人目の子が気掛かりだった、とでも、捏造して書いておけば優しい子だったとアピールできるだろうか。

あ!アメリカでお誕生日会を開いてもらったことがある!ニコラスくんの家でだ!
自分の誕生日会=自分の家でお母さんが料理を作って、、というのを想像していたから思い出せなかった。
ニックの家で開いてもらった。他人の誕生日会は呼ばれたことあったよなあと思い出してたら、ニックの誕生日会を思い出して、何故か横に、ぼくの日本人学校の方での友達も参加していたからあれは、ぼくの誕生日会だ。あなたの友達を呼びなさいとニックのママに言われたんだ。ニックと彼は面識はなかった。
ニックのマザーは画家だった。子供部屋は容赦なく壁にイラストが直で描かれてあった。トイストーリーの主人公の部屋みたいな感じといえば伝わるだろうか。
塗り絵でもして遊びなさいと言われて、リザードンの絵を書いてもらった。

よかった。自分の誕生日会を経験したことがあった。本当はここからネチネチとこの年になってどうやって誕生日会を開いてもらえるのか、あるいは自分で誕生日会を主催していいものなのか、そもそも友達ってなにさっていうのを書こうと思っていたが、気分が少しすっきりした。

友達の境界線というのは難しい。ぼくは、知り合いはいる方だと思う。老若男女割と他分野にまたがっている。星の王子さまの前書きで、別に友達は同世代でなくても良いみたいなことを書いてあって、それにちょっと憧れているところがある。そういえば、こっちに住んでから、話があって、レベルが一緒だなあ、と感じたのは小学6年生だった。ものすごく本を読む子で頭が良かった。ミステリーの話をよくした。自分の小利口さは小六のお受験レベルなのか、その子が学生なみに頭が良かったのか。

ただ、まあ、いつも連れだっている友達はいない。なんだか強がっているようだが、ここはぼくのブログだし、正直に書くが、別にそれが嫌ではない。
たまに誰かとご飯を食べるのは楽しいことだが、毎日義務のように一緒に食べ、狭い教室で席は隣でずっと一緒なんてめんどくさくてしょうがない。恋人でもちょっとめんどくさいのに、まして男でなんて…。女の子はいい匂いがするので一緒にいないといけないわずわらしさが多少帳消しになる。女の子同士はなんとなく潜在的にレズの素質があると思うので、別にどうでもいいのだが、男で連れション行くのはホモか何かなのか。

ハッキリとめんどくさいと意識したのは高一の時だ。朝、学校だるーって感じで階段を登って教室に入ると開口一番、同級生から「サト、トイレ行こうや」と言われ、尿意もないし、階段また降りるのだるかったので「イヤや」と答えた。「いいから行こうや」と押し切られ、対して話もせず階段を降りてトイレに入ったら、そいつは颯爽と個室の方に入っていった。
朝から他人のウンコというブルーになることを無理やり付き合わされ、トイレも欠けらも行きたくなくて、机に突っ伏して寝たかったのに、とムカついて「てめークソは一人でしろや!」って扉を蹴ったら穴が出来た。

この話は巡り巡って、何故かバレンタインの日に学年でブスと名高いブス沢さんにチョコをもらったサトがキレてトイレに流したという話に変わっていた。全く事実無根である。チョコはちゃんと家に持って帰った。部屋のゴミ箱においておいたら、母ちゃんにバレて無茶苦茶怒られたっつーの。そもそも捨てた、じゃなかったゴミ箱に置いておいた、ということを知ってるのは、オレと母ちゃんしかいないので、何故そんな話が出回ったかわからない。Uくん(ちょいちょいブログに出るな)が「え、オレ野見山から聞いたけど」と教えてくれた。野見山は例の連れション詐欺クソ野郎でもない、対して仲が良くも悪くもないやつだったので、何故こんな噂を流したのか。真偽はともあれ、野見山が言ってたという噂自体はちょっと面白かった。

後半のバレンタイン事件の方が色々書いてしまったが、とにかく前半のウンコ事変以来、元々その兆しはあったかもしれないが人とベタベタすることはなくなった。

話を一番最初に戻すと、お誕生日会というものに憧れがある。
自分のために集まってくれるなんて恥ずかしくてイヤ過ぎる。最近の若者は、海外だったり、親族のみで結婚式を開きたがると聞く。それに似た感覚だと思う。
カレシの誕生日が近いっていう女の子と話していて、この誕生日会を開いてもらって行きたくないっていう自論を展開していたら、めんどくさっと言われたことからこの記事書き始めた。まあちょっとカップルで祝う誕生日とぼくのいうお誕生日会は違うんだけどね。
めんどくさ、私はふつうに祝われたら嬉しい、ありがとうと思うよ、と、一片の同意も得られなかったので、最終的には、じゃあ彼氏が自分の誕生日にオリジナルラブソング書いてきたらヒくだろ!しかも歌詞に自分の名前が入ってるやつ!と超絶ズレた話を酔っ払って持ち出して無理やり納得させた。

女っつーのは(ぼくはさっきからジゴロか何かか?)、記念日というものを大事にしたがる。こちとら親の誕生日すらちょっと怪しいのに、誕生日は当然、付き合った日だとか、どこどこにデート行ったとか細かく覚えていて、その日を記念日にしようとする。そのうえ彼女の女同士の友達の誕生日も覚えていてお互いプレゼントしあっているのだろう。
だいたい記念日を大事にして時間も夜0:00ジャストにライン送ったりするなら、誕生日なら生まれた時間は確か俺は朝方だったと聞くし、0:00ジャストは年越し以外は違うんじゃないか?と思うのは、ぼくがめんどくさい屁理屈野郎だからだろう。

この前の誕生日は

こんなことがあって、多少ウケを狙って発言しているにしても「お誕生日して欲しい、でも参加はしたくない、友達とかめんどくさい、でも友達欲しい」とのたまうやつにとっては丁度いい出来事だったのかもしれない。

 

最後、東京03の誕生日のコントを貼ろうと思ったけど公式チャネルのものがなかった。

死を覚悟する

車の運転に人の性格は出るとよく聞くが、それは本当だと思う。

最近ぼくは運転しなくなったが、多分ふつうか、やや慎重気味だと思う。ついこの前2回目の免許更新は違反一回の優良ドライバーだったし。
今迄も知り合いの運転する車は乗って、多少運転が荒かったり、逆にフラフラしすぎて怖い思いをすることはあったが、今回ほど死を覚悟したことはなかった。冗談ではなくて。

まあ、グレーゾーンのことをわざわざ書くのもどうかと思うが、自分も運転していて周りの流れに合わせてスピードを出すことがある。

が、一番前にいないと気がすまないなんてことはない。もうね、高速でね、ライトが線になってるの。FZEROの64版ってやったことある?あんな感じ。車体はガタガタなるし、車間距離近すぎだし、筑豊ナンバーのトラックみて「鹿児島ナメんなよー、オラ!!」って煽るし、スピーカーから流れる曲は安っぽいJPOPだし(これはどうでもいいが、最近流行りの妙な不協和音がオレの不安を煽る)、ガタガタなると「いやあ、道が悪いね、オレのテクの問題じゃない」って笑うし(道が悪くても死ぬのオレらじゃねーか)、高速降りたら降りたでスマホをやたらいじるし(なんで知らない道でそんなに色々他のことできるんだ)でもう泣きそうだった。しかも往復16時間も。オレ運転代わろうにも眼鏡持ってきてなくてどうしようもなくて、あ、オレコレ死ぬんだー、道半ばなのに。まあ、道半ばで死んだ方が幸せかもなあ。と最後は悟った状態だった。

もうね根本的に人間として違うんだろうね。一回人身起こしたってのも、笑って言ってた。その時の相手は軽症だったみたいだけど。バカは一回経験しなきゃ治らないじゃないんだよ。死ななきゃ治らない。ヒヤリハットの法則なんじゃそりゃ状態だった。ヒヤリハットの法則通りだったら確かに今無事なのは不思議なほどヒヤリハットがあった。

ブレーキかけると魔女の笑い声みたいな音がするんだよ。
一回ブレーキの効き悪いときがあって、もうホントに南無三とぼくは思ったんだけど、運転してたやつは「アレ?効かねーな、あ、効いた効いた」とポケットにライター探すくらい軽い感じで言っていた。せめて定期券探すくらいは焦ってくれよ。いや焦ってないから大丈夫だったのか。

サービスエリアの休憩室にテレビでたまたま世界仰天ニュースみたいな番組で事故特集がやっていて、ぼくはコレは死亡フラグなのか、逆に無事帰れる生存フラグなのか、魚みたいな目で眺めていると、横でそいつは「やっぱトラックだよなあ」、とさっき煽ったトラックを思い出して100パー相手が悪いという風に言っていた。

高速降りると、世界が止まって見えた。DIO状態だった。そうするとハンドル離すようになってそれはそれで怖かった。

ちょっと時速何キロ出てたかは今日のネット社会なにが犯罪となるかわからないから意図的に書かないけど、もちろん法定速度内だったよ。大げさに書いてるだけで。

全然関係ないけど大谷投手って球速どれくらいだっけ?ああ、まだまだだね、彼も。

もう!!!ホントに!!怖かった!!!
どうやったらコレが表現できるんだ!!!!
!!!の連続だとなんか可愛い感じになる!!!
あああああああああああああああああああああああああ!!!!

結んで、紡いでー

街は夕刻を迎えていた。夕焼けはゆっくりと沈下していき、空気は天頂から淡く群青に染まり始めている。

まあ、今学習塾で偉そうに「国語」なんて科目を中学生15人くらいの集団授業でやってるわけでして。結局、高校の時には2大絶対になりたくないなと思っていた職業、医者と学校の先生しかも国語の先生、に片足づつ突っ込んでる状態でして。
そんな自分の今フラフラしてる状態のことを書きたいんじゃなくて、なんとなく言葉、言語、日本語について書きたくなった。

中学生なんて頭の悪い生き物で、特に作文添削なんてすると文章がボロボロで読んでいて頭が痛くなる。奇書を読んでいる感覚と似ている。ある種それはドグラマグラ。だから楽しくもある。それに文が崩壊しているから内容の理解に苦しむのだが、内容そのものは模範解答だったり、自分が事前に予想する解答よりずっと面白いことを書いてくる子もいて、この添削作業自体は嫌ではない。自分自身の文章はおかげで向上しているのか、むしろ引きづられて低下しているのか、わからないが……。

言葉について、というテーマの作文課題を頭を捻りながら「無難な」解答に添削していると、ある女子中学生の作文で手が止まった。


「言葉についてわたしが思うことは、とても言葉は難しいと思うし、わたしはよく何言ってるかわからなくて、よく友達に『何言ってるの?』とわたしは言われます。」


無茶苦茶だ。でも名文ではないかもしれないが、言葉に踠き、足掻きながらも生きていることが伝わってくる気がした。
人は「言葉」によってものを考え、記憶に留めておき、他者と意思疎通を図る。
もちろん相手の表情や声のトーンなどノンバーバルなコミュニケーションもあるが、「言葉」の呪縛から逃れることはできない。
小説家や詩人、劇作家や俳優は言葉を駆使して、自分の世界に他者を招待しようと苦しみ続ける人達であるとぼくは思うし、そうであって欲しいと思う。逆にミュージシャンや画家は他の手段、つまりミューズを音や絵の具に託す。

言葉は不完全だ。言葉では伝わらないものも沢山ある。しかも日本語なら日本語を習得している人にしか伝わらない。でも言葉を使わざる得ない。ぼくは楽器も碌に弾けないし、踊れないし、絵も齧ってすぐやめた。あなたも、もしかしたらぼくよりずっと踊りが上手いかもしれないけど、例えば、友達に「この前、四国に旅行行って来てさー。はい、コレお土産。」というのをいちいち曲にして表現するわけにはいかない。会社で「〇〇くん、この書類のコピーを300枚とっておいてくれたまえ」「あっでも、事務所のコピー壊れてますよ」というのを上司と部下で踊って伝え合うわけにはいかない。はたから見ると面白いけどさ。

ぼくも女子中学生だったとき、今よりも自分の中で、感情、思い、気分、その他もろもろはもっと深く渦巻いていた気がする。昔のことで忘れたが。今よりも、いや今も大してないけど、語彙も文書力なんてなくて、渦巻くものを言葉にすると、途端にひどく陳腐な、手垢のついたみすぼらしいものに成り下がってしまうことは目に見えていて、むしろ必死で言葉にならないように抗っていたんだと思う。でもそれは逃げだ。言葉から逃れることはできない。ミューズは戦う者に微笑む。

この子の文に、朱を入れる作業はただ文を腐らせている気がした。