内緒だよ

リニューアルに当たってなんかカッチョいいブログ名にしようと思ったけど、ぼくのブログとしか言いようがないや。

ゴダールがわからない

一番最近のやつで一番滑り倒してるやつ。アンパンマン…( ^ω^)

  • 2017.03.11 Saturday
  • 19:47
 
わからない
ぼくは映画好きってほどではない
でも映画好きならゴダールくらいと見ないとね~と誰かに言われたので、最近ちょこちょこ見てるけど、全然わからない
なんか面白い気もするんだけど、面白いかどうかわからない
そもそもフランス語がわからない
字幕を真剣に負わないといけない
画面に情報量が多すぎる
だからそれぞれ3回くらい繰り返し観るはめになるのだけど、わからない
わかるのは青と赤の色彩が綺麗ってのと、変なカットがかっこいいってことぐらい
それ以外なにもわからない
ストーリーなんかわかるつもりもないけど、それでもわからない
考えて見過ぎなのかもと思って、頭あっぱらぱーにして観てみた
わからなかった
そもそもゴダールぐらい観てないとね、って言ったヤツが誰かわからない
もしかしたら自分の中の誰かが言ったのかもしれない
それもわからない
わからない
なにもわからない
人は何故生まれ、死んでいくのか
何の為に生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのは嫌だ
今を生きることで 熱いこころ燃える
だから行くんだ

JK怖い

まじでフィクションなんだけど。

なんかの文学コンクールが「言えば妄想、書けば文学」ってキャッチコピーで、これもブログなんかに書かないでちょっと体裁整えてこれと、殺戮編と裁判編書けば中編くらいにはなるかも。

  • 2017.03.09 Thursday
  • 20:02
 
まんじゅう怖い的なアレではない。JKは怖い。本当はタイトルJK殺したいにしようと思ったけど、流石に物騒なので怖いにした。

俺も、まあ男ですから、女子高生みるとなんかこう、胸がグッと熱くなるというかハッスルする部分があったわけだ。今まで。去年ムサイ男子高校生個別で3人入ったときは、フローラルなおんにゃのこがイイよーとか思ってたけど違った。イカ臭いほうが数倍まし。信頼されたのか、単純に女の先生の人でが足りないからなのか、ここ一年、女子生徒がえらい増えた。

で気づいた。
まじJK殺してーわ。

なんなのあいつら。一言で言えば、馬鹿でややブスのくせして万能感満載でおっぱいだけは立派なのがムカつくんだわ。
世界に対しての万能感なんて男女問わず中学生から大学生にかけてみんな多かれ少なかれ持ってるんだろうけど、女子高校生は別格。つーか実際世の中、JKだけは本当に万能でなんとかなってるんだよな。それを知ってやがるんだよな。
カレシの眉毛が気に入らないとか、頭が私セイカンタイとか知らねーよ。まじデブやけんっていっておっぱい揺らすな汚い。俺に言えることなんて全然太って見えないよーくらいだよ。二重整形した~いだって。好きにしろよブス。センセー目は二重でまつ毛長いねー、あ、ありがとう、でも顔は中の下かな。でも将来お医者さんになるんだったらプラス30点かな??はあああああああああまじ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。

で、思った。この自分の中で飼っているJK殺したいっていう獣は自分にだけなのだろうか。
あなたの中にもこの獣は住んでいないか?みんなにも知らず知らずに巣食っているのではないだろうか?

成人した男性はボクが代表して言おう。殺したい。ヤリてえ(もう一つのほうの意味で)とか言ってるやつはフィクションのJKしか知らない。クスリキメてねーとヤレねーって。っつー訳で、ぼく今25なんで20代30代の男性は全員女子高校生殺したいって心の中では思ってることに決定。
ちょっと話ズレるけど、高校のとき必ずクラスで一人くらい大学生と付き合ってる大人びた子がいたけど、アレ今カレシ側の目線で言えば、単純に同年代の女から相手されてなかったのだと思う。中学野球部にOBヅラしてノック打たせろってくる補欠高校生というか、小6のとき小2の子達を集めてタイチョーと呼ばせてクイズ大会を開いていた松上君というか、真剣十代しゃべり場で熱く語っているリリーフランキーというか。

次、同年代の女性はどうだろうか?つまり20代30代の女性達だ。
そりゃもう殺したいでしょう。あの若さは同性のほうがムカつくだろう。自分もそうだった、なんて優しい気持ちにはなれずただただ殺したいはずだ。女子大学生もJKと同じくらいムカつく存在ではあるけど、うっすら気づき始める。若さは年とともに失われていくという当たり前のことを。オレ調べの目安としては、自分より年下のコを見て、若いな~とかオバサンになった~とか口出してるときはまだ大丈夫だ(つまり俺らからしたら殺害予定リストにまだ名前は載ってる)。ある時期から、これは個人差はあるんだけど、絶対に口にしなくなる。年齢の話題を本気で嫌がる。ぼくも子どもがもしいたら、とか何気なく言えなくなる。結婚なんて言葉を言ってみようものなら辺り半径5メートルの人の首はスパッと飛んでいる。

じゃあ次は40代50代の男性か。これがいわゆるオッさん、おじさん、と呼ばれる世代で、まあJKから問答無用意味もなく嫌われてる。何かするだけでキモーいだなんて可哀想だ。25のぼくもまあ場合によってはおっさんなんだけど、なるべく爽やかさとにこやかさを心がけているので幸いキモーいと言われたことはまだない。同業者の方なんて背中にシールが付いていただけでキモーいと言われてたよ。あんなこと言われたら腹わた煮えくり返ってぶっ殺したい。多分いわゆるエンコーとかするのもこの世代なんだけど、エンコーもきっと殺人欲求の代償行為だろうね。
じゃあ40,50代女性。こりゃ殺したいと思ってるでしょ。決定。
次60,70,80,90代の人だけど、この人たちはJK側からはおじいちゃんおばあちゃんカワイイ~と好まれてるように思える。でも本当は舐められてる。お年寄りのかたは賢い。それに気づいている。幾つになってもカワイイと下に見られるよりも、かっこいい、綺麗と言われたいものではないのかな。まだ獣は少々落ち着いたとはいえ、ココロの奥に住んでいる。

さて次はJKよりしたの年齢の人たち、それと男子高校生だ。
ここは慎重に考えてみよう。

まずは男の子。彼らにとってJKはお姉さんに相当する。厳密には思春期前後でまた分けて考えたほうがいいかもしれないが、どっちにしろJKはモンモンとさせる厄介な存在だ。この世にJKがいなかったらみんな学業やスポーツに打ち込んで、科学が発展し新しい発見や発明がされ世界はもっとよくなるだろう。
女の子、特に女子中学生はかなり慎重に考えなくてはならない。彼女らは将来JKになるかもしれない。女の子の多くは、JKに憧れているだろう。憧れというのはつまり破壊したいということだ。つまり殺したいと思っているんだ。ここまで読んだ人でなんかJKには厳しい、、どころか殺したいまで言ってるのに女子中学生には優しくねえかと、思うかもしれないがいいんだよ中学生は。かわいいし、チョコくれるし。

男子高校生は、殺したいと思ってるに違いないね。だってあんな存在が一緒のクラスにいて毎日授業受けなきゃいけないとかこの世の地獄だよ。

最後に忘れていたがJK自身はどうだろう。JKはJKに対する悪口が半端ない。多分派閥とかあるんだろうけど、話している内容50パーは友達の悪口だ。そしてJKは口を閉じることができない。僕らが呼吸をしないといけないように、JKは喋ってないと死ぬ身体の作りになっているのだろう。つまり一日12時間はJKの悪口を言っている。一番JKを殺したいのはJKじゃないか?

というわけで、ぼくだけではなく、人類全員が本当はJK殺したいと思っていることがわかった。
JKは駆逐しなければならない。これはジハードだ。愛の戦いだ。

※今回の記事は1から100まですべてフィクション。ぼくは誰かを殺したいなんて思わないよ。誰よりも平和を願っているんだから……

オレの前世がリスだと思ういくつかの理由

うんうんわかるわかる。まじそう思う。

  • 2017.03.08 Wednesday
  • 13:00
 
自分の前世はリスだと思う。本気で

根拠。
・大事なものをこれは大事だから!って別のとこに置いておいて、結局どこに置いたかわからなくなる子リス並の脳みそ。

・ナッツがまあまあ好き。

・ごはんを食べると眠くなる。

・やや出っ歯。

・大きい物音が突然すると、普通の人以上にビクッってなる。

・なんか知らんけど木登りが上手い

・堀裕子ちゃんはリス顔らしい

ミュミュミュミュージカル

踊るマハラジャみて最近カレーよく作ってる。カレー粉からのやつね。

  • 2017.03.01 Wednesday
  • 21:01

 

最近まで自分では気がつかなかった。ぼくはクッキーが好きだ。
クッキーってあのクッキーね。お菓子の。
この前実家で母親に指摘されて気がついた。どうやらぼくはよく食べてるらしい。
確かに家でなんか食う物がないかなとゴソゴソ漁っててクッキーとチョコを見つけたらクッキーを食べる。
だけど好きな食べ物は?って聞かれたら違うものを答える。
クッキー♪ってガラじゃないし、この店のクッキーが好きで…と語れるものでもない

同じように好きな映画は?演劇は?
と聞かれると、小津安二郎とかデビットリンチとか、平田オリザとか松尾スズキとかその遺伝子を継いだポツドールとか、たんたんした日常の中でチョットスパイスの効いた…とか、感覚的に見えて構成とそのカタストロフがどうこうとか、答えちゃうんだけど、実はミュージカルが好きだ。

そもそもミュージカルは、ぼくがサブカルに手を染める中学くらい、、多分バンプアジカンあたりがそのルーツだと思うんだけど、その前からドラエもんアンパンマンと同じぐらいから観てる。今アンパンマンって打とうとしたらアンパンマングミが先に予測変換ででたよ
小学生の頃はニューヨークでボトルアタッカーとして生活していたので、クシャクシャになったドル札を集めて、ブロードウェイで支配人の目を盗んでなんとか潜り込んで観ていた。

嘘。少しボンボンなのでブロードウェイとか日本なら劇団四季とかママンに付き合って退屈だなあと思いながら観てたんすよ。坊っちゃん刈りで。

今の捻くれたぼくにもミュージカルは価値があると思うのは、役者がプロだからだ。
人間ってこんなに声が出るんかいなって圧倒的歌唱力(声量)とキレッキレのダンス。これは趣味で芝居をする人がたどり着ける領域ではない。確立した方法論とハードな訓練と容姿も含めた才能。素人ミュージカルを観る機会がこれまで何回かあったけど、まあヒドイ。
あとミュージカルの良さはあの芝居パートと歌パートの入れ替わり部分だ。観ててワクワクする。その辺は日常の中の非日常が、、っていうぼくの芝居論に共通するところもある。ミュージカルごっことかしたくならない?料理中とか掃除中とか財布を探している時とか。俺はなるよ。一人でたまにする。
その延長でミュージカル映画も有名どころは観てまして。ただ残念な役者の馬鹿声量は肉声でないと体感できない。キャメラだと切り落とされてしまう。それでも舞台はびっくりするくらいお値段が高いので、映画はミュージカルを体感するのに手頃でいいと思う。

で、映画の日にラ・ラ・ランド観てきたんすよ。声に出してララランドって言うと、一個ラを多く言うよ。ラララランドって。多分ワギャンランドのせいだね。
映画はいい映画だと思う。デートにちょうどいいと思う。帰りにオトコとオンナの価値観の違いなんか話せば間がもつんじゃない?あとは二人でミュージカルごっこしてみたり、アカデミー賞受賞のハプニング相手が知らなかったら話してみたり、あの曲滝蓮太郎だよね?って言ってみて滝蓮太郎って何?って言われて相手の無教養にガッカリしたり。
音楽が良かったし、画面も綺麗で(まあぼくは前述の通りLAよりはニューヨーカーだけど)、中盤ちょっと眠いっていう素敵な映画でした。

帰りにムトゥ踊るマハラジャ借りてきたんで今から観るわ

其処退け其処退けお犬様

超最近。テスト直前だった気がする。ぶっちゃけ阪大入る時よりも、再受験するときよりも勉強しなきゃならなかった。医学ってよくわかんないよ…。再試がかなりきつかった。

文体がかっちりしながらもいつも通りのフランク感じにもしようとしてスベってる。

あとなんか書くの途中で飽きてる。

  • 2017.01.26 Thursday
  • 23:26
 
バーナード嬢に影響されて太宰の畜犬談を青空文庫で読んだ。

そこで思い出したが、私は犬の散歩を生涯で一度だけしたことがある。
昔、卒業公演で犬を飼っている役を演じることになったとき、役作りとして宝塚のワンニャンパークみたいなところに劇団の同学年と行ったのだ。ひょっとすると一番記憶に残っている出来事かもしれない。役作りというとタクシードライバーを演じるためにニューヨークで1ヶ月実際にタクシードライバーやってました!みたいで大層デニーロなものだが、役作りとしか言いようがない。どう頑張っても犬を飼う、散歩に連れていく、という行動に想像がつかなかったのだ。想像で経験を置き換えることもできない。

私は犬が嫌いなほうだとは思う。いや、だった。というべきか。犬か猫派といえばどっちかというと消極的に猫派だ。小さい頃は動物が好きだったように思う。「動物奇想天外」やらNHKのドキュメンタリー番組はよく観ていた。ただ気持ち悪い吹き替えをする番組は嫌いだった。これは今も昔も変わらないが。ある時期から動物苦手になった。何考えているかわからなくて。でも、そのある時期を過ぎてから人間の方が何考えているかわからないと中2病が発症してそんなに動物自体に苦手意識はなくなった。しかし、動物との関わり方が10数年過ぎた後ではわからないのだ。
そもそも実家が医院だということもあり、動物を飼うということはありえないと幼少の頃から教えられていた。別にお家が病院でも犬を飼うところはたくさんあると最近知った。単純に父も母も動物嫌いなのだ。特に父は明確に犬嫌いだ。

世の中には、犬嫌いの人と犬好きの人がいる。
何かが嫌いというのはたとえどんな理由があろうと、醜い。嫌いであるその状態そのものではなく嫌いであることを辺りに声高に言い回す動作が醜い。犬嫌いの人については、書きたいことはそんなところだ。たいして書きたいこともない。
個人的には、犬好きの人も気持ち悪い。何かに憑かれているように思える。犬が嫌いとかありえないっしょ~って感じだ。犬が嫌いという意見に対して、譲歩の姿勢を見せることがない。犬は素晴らしいもの、と絶対的に信じている。知り合いに爬虫類マニアの人がいるが、あの手の人にらは他の人がキモチワルイということも知っていて、その上で愛している。ように思える。だからって俺が飼うことは100パーないんで、これなら飼いやすいしカワイイよ?と隙あらば小さいヘビとかトカゲとか勧めないでね。一方犬好きは洗脳に近しい。太宰じゃないが、犬は子どもくらいなら平気で喰い殺せる。恐水症だって恐ろしい病気だ。

ただ、犬自体に罪はない。牙を剥くことはたまにあるし、吠えるとやかましいが、人間様のこの世の中でそこそこ上手くやっている。盲導犬なんて、何考えてるか、ひょっとしたら調教段階でココロが壊されてるのかもしれないが、見かけると敬意の念すら抱く。

話を元に戻すと20歳ぐらいになって初めてした犬の散歩というのは自分の中で強烈な体験だったようで今も覚えている。犬を飼う人にとっては犬の散歩というのは当たり前のことなのだろう。犬は毎日散歩に連れて行かないといけないものらしい。本やテレビからの知識だけは豊富なのだ。短い散歩コースを歩く時もリードは短くもつように心がけてたし、犬にコースを任せるのではなく、自分で道を選び、主従関係をハッキリさせたほうがよいということも知っていた。撫でるときは頭よりも首周りの方が気持ちいらしいということも知っていた。
ただ、実際の接し方がわからないのだ。
まず呼び方がわからない。
犬の選ぶコースではなく自分のほうに来させるためにこっちに来いと犬に伝えたい時は「マイク(犬の名前)、カモン」って言ってくださいと係の人が言われた。
カモンの発音がわからない。一応ぼくは帰国子女なので英語の発音はよかったりするのだが"Mike,come'n!"なのか、それとも犬は日本語カタカナの「マイク、カモン」を音として認識しているからハッキリ言ったほうがいいのだろうか。音として認識してるなら「マイク、カモン!」と語尾に!があるニュアンスで言ったほうがいいのだろうか。ある程度マイクはワンニャンパークで色んな人に散歩体験させている、いわばプロ犬なのだから、ちゃんと伝わればわかってくれそうでもあるのだけれど…。犬と話すという行動がとてつもなく恥ずかしい。「マイク」って呼ぶのすら恥ずかしい。好きな女の子に対して自然に下の名前で呼ぼうとして、むしろギクシャクなっている感じに近い。
たまに撫でてくださいとも係の人。
たまに撫でろって。たまにっていつさ。突然撫でたらビックリしないか?いくら気持ちいいと言っても突然おっぱい触ったら殴られるぜ?
もうなんか頭が一杯一杯になって、主人の不安は犬にはわかるなんて話は聞いたことあるもんだから平然としようとして、余計わけがわからなくなる。
一緒に付いてきた、犬の散歩になんで金払ってんだ実家くれば好きなだけ散歩させてあげるのにと受付時にボヤいてた友人にバトンタッチするとすんなりと名前も呼ぶし撫でることも出来ていた。

これからしばらく動物を飼える環境にはならないだろう。引退して90ぐらいになってボケてなくて自分の世話が自分でできる状態だったら犬の世話も一緒にしていいかもしれない。

まあ、結局何が言いたいかというとぼくは犬畜生なんて嫌いだ。

舞台?久しぶりにみたよ

この前後でっていうか2015年4月には再入学してるので、映画とか本とかは色々読んでたんだけど記録とってないからわからん。芝居はタニノクロウさんの地獄谷温泉を紀伊国屋に見つけるまで、あんなゴミみたいなものようやってたなあって感じだった。どっかで(2016年5月?)サリングさんと若旦那さんとはこっちで会って飲んだ。ありがとうございます。

  • 2016.07.26 Tuesday
  • 22:21

 

野田版 研辰の討たれ (劇シネ)

俺の中で歌舞伎ブーム来るかもしんないべ。
中洲にボロい映画館があるんだけども、なんか面白いのやってないかなと思って見たら野田版歌舞伎シネマ歌舞伎の文字が。野田秀樹が歌舞伎の脚演してることは知ってたけど、スルーしてて、ちょうどいいやと観に行った。もともと歌舞伎に興味はあったし、入門としていいかなとも思って。

面白い。びっくり。
偉そうなこというと、ぶっちゃけ野田秀樹て実はあんまり好きじゃない。場転の巧みさは素晴らしいと思うけど(今回も道中とか室内のカメラアングルの切り替わりとか!)、芝居を悪用した左翼思想の押し付けとか観ててイライラするの。
けど、俺の嫌いなとこ、例えば無理やりな言葉遊びとか、過剰な演技演出とかが、歌舞伎っーつー俺のよく知らない文化とコラボレーションしたことで、そういうもんなんだなってしっくりきた。多分歌舞伎を知ってる人に言わせれば歌舞伎じゃない部分もいっぱいあるだろうが。

終始、声に出して笑ったわけじゃないけど笑えて、ポップでスピーディで、映画館の客層もおじさんおばさんで、なんかよくわかんないけど屋号を飛ばすタイミングや、拍手するタイミングがあって、最後しんみり来て超面白かった。

もともと、小学生ぐらいから落語は好きだったけど、マジ歌舞伎ブーム来るんじゃないの。本物観に行ったろ。

1つのストーリーで一幕っていうのね。ふーん。
1幕は映画ぐらいの値段なのね

タイトル(必須)って言われてもなあ

謎の失踪(?)遂げて突然しれっと書き出した、去年のもの。

考察が浅い。でも日本は自己と客体の境界が本来曖昧なものだと思う。

  • 2016.03.08 Tuesday
  • 01:44
 
多分、タランティーノパルプフィクションのヒットが大きいと個人的には思っているが、1つのストーリーの時系列を逆転させたり、現実と虚構の二重世界(たまにそれ以上の多重世界構造のものもあるがこれは作品として分かりづらすぎて嫌われる)のいわゆるメタものが映画、演劇、小説でよく見られるようになって久しい。実際ちょっと食傷気味ではあるもののぼくも好きである。

これは「新しいもの」として徐々に海外からの輸入品な感じでみんな作家さんやタマゴ達が取り入れてる気がしてたけど、ふと思ったが、これはもともと日本的な発想だと思う。

そもそも、この世界は、時間というものは過去今未来と流れているのでは「ない」し、私とあなたと他の人に区別は「ない」し、現実と虚構、夢の世界と世界はわかれてい「ない」。そもそも因果自体「ない」。このことに私達は最近気がついたように錯覚している。

英語圏の人は最近気がついたと思う。そもそも英語(とその親戚言語)は気がつきにくい性質を帯びている。過去形などの時制、一人称、二人称、三人称、仮定法と中学高校で習う文法事項だけでもこの性質が浮かびあがる。言語は思考方向そのものを制限する。おかげで発明もするが。

一方、日本語は上にあげた3つに対して無茶苦茶弱い。挙げるときりがないが、例えばバスはまだ来ていないのに「バスが来た(過去形?)」"The bus is coming(現在進行形)"とかね。古文をあげれば本当にきりがない。つまり、本当の世界を描写するのに日本語として本質的には正確なはずである。気がついたのではなく実は初めから知っていたのだ。

だからどうこうってわけじゃないけど。

そんなことをデビッドリンチのインランドエンパイアの裕木奈江のコテコテの日本語英語聴いてて思ったり。つーか、インランドエンパイアわけわかんねえのに見ちゃうね。5回みた。単純に3掛け5の15時間みてることになるのか。あとこの前、タラちゃんのグレイトフルエイトも観に行ったのもあって。相変わらずの面白さだった。前半いつも以上にかったりーけど。