内緒だよ

リニューアルに当たってなんかカッチョいいブログ名にしようと思ったけど、ぼくのブログとしか言いようがないや。

観劇12

えらそうだね

  • 2014.04.14 Monday
  • 22:36
 
劇団六風館の新入生歓迎公演「MORAL」見てきた。

うーん、何から書こうか。というか何について書こうか。
新入生歓迎ということで1回生がむちゃくちゃ多かった。100くらい?ざっと席を見渡した感じ多分一回生のようだ。サーオリが良かったのか、先週のちゃうかちゃわんが面白かったのか、単純に演劇に興味を持った新入生が多いのか。どっちにしろいいことだと思う。彼らが演劇サークルに入らなくても演劇見続けてくれるといいなあ。ということでOBなので席譲って裏で見させてもらった。

演出の役目ってなんなんやろうなあ、と思った。英語で言えばディレクター。方向性を示す。誰にだろう?
観客に? だとしたら如月小春は難しいなあ。如月小春の戯曲は如月小春論に触れずには考察しづらい。
わけわからんかっただろうな。なんとなく、ぼくは台本のト書きの想像がつかないこともなくて見ながらテキストも想像しながら見てて、それでもわけわからんなと思って見てた。
ほんのりと漂うエロスとブラックな笑いが世の戯曲に比べいい塩梅だと思う。都市についてとか男女論については2000年代前よりの話なのでそもそもとして取っ掛かりにくい、エロと笑いをもう少し浮き彫りにしたら入りやすいかな。

そして恐らくだが「演劇」に囚われていてはなかなか難しいだろうな。映像やら音楽やらを主体にやっている人が中心、演出した如月小春が見てみたいと思った。

結構そこそこ面白かったわけだけど、これ見て感銘して入った女の子とはちょっと近づきにくいなあ

今回むちゃくちゃ書きづらかった。如月小春モノとしては、あともう一歩。
新歓としてはまあ無理があったよねという感じか。
 

観劇11

まったく覚えてない('ω')

  • 2014.04.12 Saturday
  • 22:40
 
楽団鹿殺しの喇叭道中音栗毛をアイホールで観ました。
最近嗅覚がよくなったのか、「これは面白いぞ」と思った劇団はたいてい好みの芝居をする。まあ有名所を知るようになっただけなのだが。

アイホールはホールとしてあまり好きではない。ちょっと横に長すぎる。見づらい。今までアイホールでみた芝居の評価が低い気味なのもそのへんが原因かも。今回は開場前にはホールにいったが残念ながら指定された席。直前予約のため端。客席の上手や下手は値段少し下げてもいいんじゃないかと思うくらい。まあやる側からしたら同じ値段でも埋まるなら別にいい問題なんだよなあ、とかを客入れの懐かしい曲(本当に流行った頃は俺は生まれてもないが)を聞きながらうだうだ考えていたら開幕した。

楽団と名乗るだけあって、楽器を演奏する姿がカッコイイ。演劇と演奏が一致している。曲として意識すると少し低音がさみしいかなとも思った。いやあ、それにしても照明を浴び動き回り楽器を演奏する様は最高にクールだった。ちなみにお坊さん二人のラップ曲が一番好きでした。

劇の感想はちょっと恥ずかしくて書けないかも。字数制限されてるTwitterならいざ知らず無限に書こうと思えば書けるこのブログだと「生きる」とか「自由」とかについて赤裸々に書きそうになってしまう。ただまあ、俺も生きていかななあと思います人生という名の旅を。ちょうどJRで帰ると10年前小学生のときに通っていた学習塾への道を歩くことになり、よりその気持ちがいっそう強くなった。

なんとなくだけど脚本執筆時間は少し足りなかったのかなと思った。

シンプルな舞台セットで場面が違和感なく表現されていて、また袖の楽屋の様子も極端には意識させることなくいいアクセントになっていた。特に照明がナイスプレーだった。兼子慎平さん。記録として残しておこう。またチラシでお名前をお見かけすることもあるかもしれない。

全体としてファンキーな演出だった。ファンキーなときは変に抑えずファンキーでぶっ飛ばしたほうが実は演劇におけるリアリティに近づくのかなあ。ちょっと劇を見てない人にはわかりづらいこと書いているな

はっぴぃえんどを今聴きながら、文を書いている。日本のロックの歴史とか時代とか知らないけど、いい曲だ。

例の帰り道、10年前階段をぼくの前で1段飛ばしで登る知らないお兄さんを見た景色がその階段を見たとたん脳内フラッシュされた。あれを真似してしばらく1段飛ばしで階段を登るようにしてた時期がぼくにはあった。よくまあ、そんな些細なことを覚えているものだ。行って劇場から帰るまでが観劇。ぼくはその階段を一段ずつ踏んで登った。
 

観劇10

まだ2014年3月行ってるよ。覚えてないなあ

  • 2014.03.28 Friday
  • 20:14
 
題名のない演劇会、みんなのゴルフピアノマンを観てきました。
ちょっと観劇はしばらくいいかな、しばらく創る方が4月から二つ同時に始まって忙しいしと思っていて、宣伝のメールが来たときも、まあ行かないかなあとなっていたが(ごめんよ)、色々と偶然が重なってみにいった。
そもそも今日、阪大に用事があったのだが、妙に早く行ってしまった。久しぶりに後輩が舞台を作っているのを見にいって時間を潰していたのだが、急遽肝心の用事がキャンセルになり、どうしようかなあと考えてたところで知らないおじさんから劇場の場所を聞かれ、ぼくも公演のことをその時思い出しついでとばかりにみにいった。

感動した。
俺個人の都合で。
創り手として表面的な、ことさら記す新しい発見はないかな。
だから、これから先俺の感想しか書いてないです。

ぼくが、演劇サークルに入ろうかなと思ってちゃうかちゃわんの新歓公演を観た時を思い出した。
くだらない。面白かった。くだらなすぎる。それを大真面目にやる。

ーーーこれは俺にはできないな。
ぼくは、そう思ってもう一個の劇団に入った。だから、あの時芝居としてはちゃうかちゃわんのほうが圧倒的に面白かった。まあ、代が進むにつれ、芝居のテイストも変わっていったのだが。お互いに。
それを彷彿とさせる芝居だった。しかもちゃうかの同じ代の人も何人か役者として舞台に立っているのだから、色々と来るものがある。
基本的にぼくの文法では考えられないこと(意図的なのも、無意識のも)をやってのけて、心の中でツッコミ入れさせたり呆れさせたり笑わせながら話を前に進ませるパワーがある。舞台ですべろうが、寒いギャグを言おうが、力づくで進めていく。起承転結、ドラマもあって見やすい。
まあちょっと「題名のない演劇会」という厳かな名前でアレされると一般の人に色々と誤解与えるところもありそうだからやめて欲しかったりしないこともないが…客席も身内受けが多いし…

最初のぶっ飛ばし方は見事だった。しかし、展開が進むと面白いギャグもところどころあったがちょっと眠くなってしまった。ただやっぱり、起承転結がある話をいい。嫌な気持ちはしない。

ちょっと泣きそうになったのは、ピアノマンの最後のシーン。
顔だけ空いた白全身タイツにタキシードを着て、ピアノを弾くピアノマン
あれこそ、3年前に、ぼくが楽しみ、でも避けた、あの時のちゃうかの本質を体現しているように思えた。

観劇09

なんだこのかっこつけマン。今ならもっとくそみそに言ってると思う。

リズムネタについては気が向けば書くかも。三連符がどうとか。

今リズムネタってまだ流行っての?まあ、どうでもいいか。

  • 2014.03.26 Wednesday
  • 21:38
 
私見感。一千戯曲を観てきました。記録として残します。

今すごく後悔している。なんだってあんなにアンケートボロクソに書いてしまったのだろう。

素晴らしい劇だった。素晴らしい演出だった。素晴らしい役者たちだと思う。

でも受け付けられなかった。
どんな脚本でも、全てのお客さんを好みを超えた次元で包み込むのが演出の仕事かな、とぼくは思うが、もう根っこの部分で少なくともぼくは拒絶してしまった。
4拍子のリズム読みで聞こえる「キレイ」な言葉、ヤングな言葉が。
思いだしたように入る、「セックス」「レイプ」といった「汚い」ものが。
真面目なシーンで入るうまいこといった感のある言葉遊びが。
それらが定期的に耳からベルトコンベアーのように流れてきて、不快で悲しくて帰りたくなった。
帰らなかったのは、劇場の外へ出られない作りだったから。

お金払ってまでこんな悲しい思いはしたくない。
心地のいい悲しみとただどうにも我慢できない悲しみの差はなんだろう。

別に戦争とか震災に深い思いもないし、そこまでどうでもいいこと、とも思ってないつもりだ。

脚本にケチをつけるなら各ストーリーが散漫としていたし(ストーカー先生の話ってなんのためにあったんだ?)、各々の話がありふれていた。(ありふれた日常という意味ではない)
特攻の話は、いかなる形であれたいていの人は泣けるものだと思うが、60分硬い椅子に座らなくても、泣けるものだとも思う。


最近、好みだった劇は中身にも触れて書いているが、基本的には演出としての視野で一応は書こうとしている。今回は、演出としての視野だと書きようがない。あの脚本はあの演出を要求していた。強いて言えば、やっぱり変形客席はお客さんに必要以上の疲労を与えるようだ。観察する限り、5人に1人はかなり辛そうだった。それぞれ事情はあるだろうが。きっとそれを考えた上でもまだ、必要な演出だと演出家は感じたのだろう。

面白くない劇を観て、外に向かって当たり散らして放出したい「怒り」ではない。
面白くない劇と思う劇でぼくは内面的にただ悲しい。
どうか、今度はぼくも救って欲しい。

観劇08

この月えらい芝居観てるな。

なんかまだ頑張ってるらしい。頑張ってほしい。今やってるらしい芝居に行かなかった理由はそのうち書くかも。

  • 2014.03.24 Monday
  • 20:52
 
東洋企画。無差別。

なんだかんだ、アクセス数を見る限り結構な人がブログを見てくれているようだ。

このブログを始めて良かったことがいくつか。まず、誰か見てくれている人がいるのは嬉しい。実は観劇のモチベーションになったりしている。娯楽にモチベーションも変な話だが。
なにより、良いなと思うのは、文章化しようとすることにより、思いを取捨選択して、考えがはっきりし、考察しようともがく。受験勉強中良く言われてた教科書を眺めて「わかった気でいる」から実際に問題集をやって「わかる」へのステップアップみたいな感じだ。

ちょっと困っていることもいくつか。まず、もう少し気を使うべきかもしれない。どんなに面白くなくても、がんばっている人達がいて、ひょっとしたら引退とか、父が危篤とか、のっぴきならねえ状態で芝居をしている人に向かって、つまらん。とバッサリ切り捨てることは残酷だ。劇を作る苦労はわかるつもりだ。
でも、おべんちゃらで褒めることもできない。アンケートとか、その人に向かっては多少サービスはするにしても、(というかそうしないと、狭い演劇コミュニティでやりづらすぎる)ここにまで無理に賞賛するのは、俺のためになるのか?と悩む。
お客さんにしても自分が好きで好きでしょうがない作品を他人から悪口言われるのは悲しい。俺は誰がなんと言おうと麻耶雄嵩は好きなんだよ。
実際ぼくはアンケートは読むことは読むが、好き勝手言われて「嬉しい!」とはならない。参考にはするにしても。
あともう一個はぼくの手の内明かし過ぎかな、と思ったり、取捨選択の捨てられるところとか、考えが限定されてしまうなとも感じる。

と、まあ、くどくど書いたが、何が言いたかったかという

______いまいちだな____。

と見ながら思ったし、見終わってもやっぱり思った。
ちょっと盛り上げ過ぎだ。
特にうち側から。見ないと、損。なことは100パーない。
正直に書くと、本当にヤバかったら、どうしようとビビりながら見に行った。うん、そんなに良くなかった。むちゃくちゃ悪くもないけど。

話については、普通。児童向けの古事記を読みたくなった。わざわざ劇で観る喜びはないかな。野田秀樹っぽい感じがぼくの好みではない。この辺が逆に学生では高評価が原因かも。柿喰う客の人気もその辺かも。女体シェイクスピアがつまらなかったので、無差別行ってない。そろそろ柿喰う客も観にいっていいかも。ああ、野田秀樹今年は、貯金して行こう。

脚本について、あとで考えて気づいたが、基本書かれているセリフが役者間にも、客に向かっても書かれていない。散漫。とは感じない。一体どこに向かってる?

基本観劇するときぼくは、なるべく能動的に劇の世界に入ろうとしながらも、なぜ入り込めるのかを頭のどこかで客観的に探しながら、観る。
もし、入り込めないなら、入り込むことを諦め、入り込めない原因を探る。お客さんで入り込んでいる人を観察したりもする。
よっぽど暇になると、壁の染みとか、かわいい女優の尻をじっと眺めたりする。

で、まあ今回どうも見てて上手く世界に入れない。何度か挑戦したが、脳のどこかが上手く繋がらない。
たいてい、その劇に入り込めない原因が、すぐに見当がつくのだが、今回はよくわからなかった。体調ももちろんあるし、知人がやってるのもあるが、それにしてもなぜだろう。

しばらく、見ててわかった。
囲み舞台のせいで、色々と弊害が起きているようだ。
まず、スピーカーのシュートが雑。あとモニタースピーカーが必要な芝居だったかな?と舞台を見てて思った。
照明がやかましい。標準舞台なら気にならないかもしれないが、単純にきっかけが多いだけでなく、客の周りで灯体チカチカするし、役者が動くだけで明かりがチラつく。
舞台美術も周りが赤いせいで長い間みるには目に毒だった。
複合的に要は喧嘩してた。
横のお客さんはもっと辛かっただろうな。役者も基本フロントで演じてたし。
変形芝居するときはマジで慎重に芝居を作ろうと思った。

もう一つ頭が痛くなった原因として、序盤男女の役者が同時に喋りすぎだ。一言一句同じ調子で言ってくれないと俺の繊細な耳ではつらい。

この辺が、新しい発見かな。
良かったところも一杯あるけど、ちょっとめんどうになったので、省略。
決してつまらなかったわけではないんだが。

観劇07

これはよく覚えてる。また見たいな、と思う。福岡来ないかな…。雑用なら喜んでします。記事自体もよく書けてるかな、と個人的に思う。

  • 2014.03.23 Sunday
  • 22:40
鳥公園「緑子の部屋」を観にいった。
ついでにバラシも手伝った。うん、まあ、手伝わされた。
ここ最近、一人旅に出て色々あったんだけど、とりあえず演劇にまつわることを書こう。
まず、この前の関西学生演劇祭で優勝した。正確には2位。1位は東京から誘致された劇団だった。東京誘致は関西で一番のぼくら。劇団が目標にしていた「優勝して東京の行こう」の半分「東京に行こう」は達成された。8月に東京で芝居することになった。おそらくぼくも着いて行き、芝居をする。
ぼくも優秀助演男優賞ノミネートまではいった。ノミネートが各劇団から1人ずつ出てるのか、もっと少ないのか知らないが、まあ嬉しいやら悔しいやら。ちなみに助演男優賞を取ったのは大学入学当初から何かと縁がある彼だった。出てた芝居は見に行ってないが、きっと場内をわかしていたことだろう。ぼく役者はもう最後かな、と言いまわってたが、こーなると、やっぱ俺そこそこやるじゃんという奢りと、また今度こそ…と色気が出てくる。現に東京で出る気満々である。出してくれるかわからないけど…

それのごほーびかどうかわからないけど、演劇祭関係者から招待券をもらった。もともと、去年「見学」したワークショップで色々演出として目からウロコが落ちた西尾さん作演だ。貧乏旅行のせいで金欠だったので行くか悩んでたが、タダならと喜んでいった。
終わった後、招待を出してくれた人にお礼を言いにいったら、「手伝う?」と聞かれ、タダだった手前手伝った。いや決して嫌だったわけではないが。簡素な舞台とはいえ舞台スタッフ一人だったので結構働いた。積極的に仕込みバイトには行かない、仕込み嫌いと公言しているぼくだが、一応働こうと思えばそれなりに働ける。久しぶりだったので疲れた。


舞台の感想は終わった直後白紙だった。もともとぼくは芝居の本質は芝居じゃないとわかるわけないじゃんとか思っていて、文章力、表現力のなさを誤魔化す節があるが…。というか、他の人はどうなんだろう、今回に限らず自分よりこう言っちゃあなんだが、頭悪そうな人が一から十までよかった感動した、なんて言ってるのをTwitterやらみると、何言ってたかあんな観念的なことを幼稚な役者、演出で、わかってるんか? と不思議に思う。あくまでも演劇全般の話ね。
と今書いて思ったが、小さい子どもが意外とヘビーなテーマを扱うこともあるウルトラマンが大好きなものみたいなものかもしれない。彼の中で最大限楽しめればいいのだ。

相変わらず文章が横道に逸れる。それで、緑子の部屋の感想だが、釘を抜いたり、箱馬を片付けたり、今こうして書き残そうとするうちにだんだんと感想が定まってきた気もする。

始まる前は、劇の紹介文、
「ある日、緑子がいなくなりました。
緑子の友人、恋人、兄が集ってそれぞれに、自分と緑子の話、自分から見て「お兄さんと緑子はこう見えてた」、「彼氏と緑子はこう見えてた」、「友達と緑子はこう見えてた」、「え、そんなこと言われたくないんだけど」、「や、でも緑子からはそう聞いてたし」、「ていうかお兄さんってサー」・・・・・・。

話すほど、遠のきます。
緑子の不在、ポッカーン。」

からなんとなく、サミュエル・ベケットのゴドーのように、登場人物がいなくなった緑子について話す話かと思った。


違った。


いや、その通りだった。緑子の不在は僕らにとって、だった。登場人物の彼ら彼女らには緑子は存在している。あまつさえ、舞台上で緑子を演じる人もいた。でも、ぼくには見えない。そして、最後ぼくが、ポッカーンなのだ。
考えれば考えるほど、無味無臭のそれに恐怖のような何かを感じる。恐怖は正しくないな恐怖には「色」がある。宇宙をじっくり見たときとか、死について考えてしまった時のソレに少し似ている。

えてして、観客は劇を見たとき、何かを求める。わかりやすい例を挙げると感動、涙。抽象的な芝居だと、おしゃれなスカーフみたいなものに巻かれた主張とかかな。
その中で、緑子の部屋は何もくれない。随分とぶっきらぼうに終わる。空間が心地よく、上手い役者の演技なのでもっと見ていたかったのもあって、「えもう終わり?まだやってよ」となる。その時意識していなかったが、心の何処かで、もちろん綺麗なオチは期待していないにしても、緑子を作ろうとしていたのだろうか。
だから、最初見終わってすぐはぼんやりと空白だったのかもしれない。今だんだんと霧が晴れ、緑子の部分だけ象って空白な感じになりつつある気がする。「鋼の錬金術師」の真理の扉の向こうにいたあいつみたいな感じで。

「ない」という状態はすごいな。ぼくは、この芝居を忘れることはない気がする。旅行帰りとか、バラシ手伝ったとかエピソードが付きまとってるのもあるけどね。

さて。ここからだんだんと思うがままに、芝居の表面的な部分のリマインダーやら演出やら余計なことやらを残しておこう。

舞台は変形。四方の角を挟んだ2辺が客席だった。算数の定義みたいな言い回しだな。
本来の客席はアクティングスペースというか役者のレストスペース。舞台上にあるものはシンプル。それを役者は演技中に移動させてた。なんでか分からないけど…。ソファベッドのセットの作りがバラシて知ったが随分と簡素だった。劇中は思いもしなかった。なにごとも頭の使いようで、予算は浮くんですね。まさか、箱馬ひなだいが基本とは。これ書いていいのかな?

音響は一切なし。そもそもスピーカーがない。日常の音とラジオだけが音源。ぼくは、ああいう音が好きだと前も書いたが、ぼくはちょっと多用しすぎ、狙い過ぎと思った。序盤あたり。

イントロが上手い。すっと入る。アナウンスのあと、役者が入り喋り始めてから、客電が消える。そして、演技が客席に向かって、から、中の人に向かって、になる。何度かその手法を使ってる芝居を観たことはあるが、上手くいってた記憶がないぞ。大抵客席が落ち着かない状態で始まる。役者の演技が上手いから効果的なのか、オペの技術か、二段階がいいのか、脚本がそう求めているのか、お客さんが優秀なのか。

場転を綺麗にする一つの方法を見つけた。どこどこどこどこ、ぬわーん、すっ、て感じ。これで、俺にはわかるからいいや

お客さん少ないな。岸田戯曲賞ノミネートなのに。昨日はイベントもあったから千秋楽少ないだけかもしれない。しかし、少ない。東京の劇団 で、大阪の演劇人は閉鎖的なんか?と思ったり。

どこかで見た演出もちょこちょこあったリアルタイムカメラや紐を縦断させる、ぐるぐる走り出すなど。同じの見た前よりずっと良かった気がする。逆に俺はブランド力で洗脳されてるのか、なにか理由があるのか

結局、失礼というか無粋かなっと思って終わったあと西尾さんに聞けなかった質問何個か、ある。一回チャンスがあったけどその時はまだ頭で文章になってなかった。

一つは、ああいう演出(脚本)はどうやって思いつき、なぜつけようと思うのだろう、という超根本的な話。無粋だ。

かなり砕けたセリフ(説明に擬音語でたり、身振りで押し切ろうとするセリフなど)、どうやって生まれるか気になる。役者に好きに喋らせてるのかとも思ったが、台本をパラパラ読んだ感じ違うようだ。読んでみると、わりと台本通り役者はセリフを発していた。逆に役者はどうして、あんなに生々しく演じられるのだろう。

もう一つは視覚的にどこを見て欲しかったのだろう、という疑問。たとえば四角形の客席の角の部分で役者が一人、大きな身振りで語り、四角の真ん中であとの役者演じ、残りの一片でスクリーンに投影されてる状態があった。たいてい散漫されると、何がしたいねんとぼくはなるが、なぜかあの時は怒りが混み上がらず、ちょっと勿体無いなと思いながら、見たい部分を気の向くまま見ていた。さしあたり、なぜぼくは怒らなかったのでしょう?がび
ぼくの質問か。さあ。

相変わらず、というか去年始めてお会いしたときから西尾さんは不思議な人だと思う。のほほーん、おっとりとして。大変失礼を承知で書くと、なんだか女子校に通う文学少女がそのまま、大きくなったみたい…。
そういう人が書いてるせいか、全く関係ないか、たまにゾクっとするところが芝居にはあった。

最後。女優の武井翔子さんは大変美人だった。

観劇06

あれ?この前後で芝居2つくらいやってないか?演出と役者。

これ自体は欠片も覚えてない。なんか舞台で脱いでてオティンはべつにカティンにならなかった。

  • 2014.03.14 Friday
  • 21:53
 
学園座 「キレイ 神様と待ち合わせした女

この前出てた舞台の共演者で、一日も休む暇なく別の舞台に出てる彼を労うつもりで観にいった。いや具体的に何かしたわけではないけど…
すごいわ。事情を知っていたけど、稽古量が足りないとは感じなかった。ぶっちゃけ下手な演者よりずっとよかった。

まあ3時間は絶対に飽きるやろうな、と覚悟の上みたから別に長さは怒ってないよ。飽きたけど。前説からまあこんなもんやろと思ったし。

ところどころ良いシーンはあったと思う。ダンス上手い人多いしね。ある程度体の使い方が綺麗ではっきり大きく喋る役者ならあとは使い様だと思う。
客席側で演ずるときはわりと明瞭に喋ってれてたから、意識の問題だと思う。客を意識するかしないか。かと言って、意識されすぎる演技も臭くなる。卒公と意識してなかったので誰が何回生か知らないでアンケート書いたのはまずかったなあ

あれだけの人数を捌こうとし、あれだけの時間をやろうと決意した演出に敬意をぼくはしめす。シラノドベルジュラックとか時間と金と友達があればやりたいね

制作はすごいなクーポンって。

かわいい女の子が多くて、そんな子たちが役者根性か知らんが際どいことしてくれるから関大の新入生なら入ってたと強く思う。ちなみにお気に入りを一人見つけたり。余談。