内緒だよ

リニューアルに当たってなんかカッチョいいブログ名にしようと思ったけど、ぼくのブログとしか言いようがないや。

癌についてちょっとだけ

癌(悪性腫瘍)ってのは厚かましいやつで、人の身体のなかで、勝手にどんどん大きくなって、勝手に人の栄養どんどん奪っていって、叩こうにも身体の色々なところに移っていって、そこでもひっそりと様子を見たり、また隙をみてどんどん大きくなって、正常であるべき場所にある細胞を押し抜けて組織をむちゃくちゃにしてしまう。という風にぼくは理解している。正確ではないが、それほど適当なことも言ってないだろう。腫瘍のことは別名、新生物とも言ったりする。

病理で癌の標本スライドを観察する実習があって、先生が繰り返し、癌細胞は悪い貌したやつだからと言っていて、比喩表現をやめろ、細胞に顏も糞もあるかよ、どこが正常でどれが癌かわかんねーよと思いながら探していたが、なるほど見慣れると癌は確かに悪そうな貌をしている。

癌細胞のもう一つの特徴として、癌は各細胞ごとにそれぞれ貌つきが異なるというのがある。全員貌つきはもうむっちゃ悪そうなんだけど、それぞれ個性がある。

「幸福な家庭はすべてよく似たものであるが、不幸な家庭は皆それぞれに不幸である」
ってのはトルストイの『アンナ・カレーニナ』冒頭の一節で、これが一般的に言えるのかどうかわからないが、癌細胞に関しては正しいらしいです。

ラインで用件や連絡をわざとちょっと放置して既読つけるのやめろ。恋愛か?

 

言いたいことはそれだけですね。別に字数的にツイッターでもよかった。

 

 

 

 

 

 

#・3・#

#・3・#じゃあボクと話しない?

ああ、うん。

#・3・#最近どうなん?

まあ、そこそこ、普通に。

#・3・#よく文章書いてるようだけど

それは文章が上手くなりたいと思って。そのためにはとりあえず書くことかな、と。ブログは特に他の媒体と違って気軽に、思ったことを、さほど吟味せずに、フランクな文体で書くのにちょうどいいから

#・3・#一番世界に発信されてるけどな。

……。

#・3・#ボクは誰?

わかんない

#・3・#自分はラインでそういうことしないの?

いや、することはするけど、なるべく気がついたらすぐ返信するようにしてるかな…忘れるし

#・3・#50人くらいのグループになるとしないじゃん

まあ、してないね…でもバンドとか5,6人なら…相手が1人ならすぐに…

#・3・#「ありがとうございます!」とかは、言わないよね

うん、まあ…

#・3・#人に感謝を伝えられる人って素敵だよ?感謝は言わないと伝わらないんだよ?

はい。

#・3・#「コ○ドームしない男は挨拶しないのと同じ」ってKタカが言ってたけど、お前挨拶もあんましねえじゃん

いや、それはちょっと違うような……

#・3・#ん?

コン○ームは置いておいて、えーっと、挨拶はしないわけじゃなくて、この人には挨拶するのに、この人には挨拶しないって区別するのが申し訳ないから、顔見知り程度ならいっそのこと挨拶しないって選択をとることが多いだけで、現に患者さんとか、バイト中では誰にでもするけど……

#・3・#誰にでもしたらいいじゃん。向こうがどう思おうと。発想がコミュ障。「オレまじコミュ障だわー」とか言ってるやつよりずっと。

そうかも…

#・3・#ラインの返信は結構努力して治したよね

うん。経験的に治した。既読をつけずに中身を見て放置ってのは優しさに見えて、一番相手に偽ってると自分は思うから、その時忙しくても確認するくらいの時間があれば確認だけはする。ぼくが本当に見てないときとか、スマホを持ってない時だけが「既読」のレスポンスなし。

#・3・#女の子のときはそうじゃないことも多いよね

うん、まあ。基本的にあの人達ってこっちが返事を30分後に返すと1時間、半日だと1日とかかかってる返ってくるから。

#・3・#下心がバレてるんだって。女はエスパーだから。ちょっとでも上手いこと転がんねえかなとキミの浮気心がでるとテレパシーで伝わるんだよ。現に、どーでもいいと思ってる人には返信にストレスを感じることないじゃん。つーか何?童貞?中学生?

で、偶にそういう駆け引き?をする子と、チャット状態になると、飛んでくる文の速さで、あわわわわってなっちゃう。

#・3・#メールでコミュ障ってヤバイな。てか「寝かす」って考えはなんだ。料理か何かか。

とにかく恋愛的なアレでは、そういうもんかなあと思うし、ぼくも使っちゃうけど、どうでもいい用事とかにはとっとと返事、せめて既読つけてレスポンスをしろと言いたいんだよ。スタンプで「今忙しいからあとで返事する」スタンプとか作ればいいのに。それに人の忙しいってのも限度があるだろ。少なくともオレが連絡をとるような人は。周り見渡すとみんな基本スマホいじってるんだし。

#・3・# ……。

……。

#・3・#終わる?

終わろうか。じゃ

#・3・#

 

#・3・#

#・3・#ボクはなんなの?

酔っ払いさっちゃん酔っ払いながら、これまでで生涯で傷ついた言葉を発表する

いぇーーーーーーーーーい
人を傷つけた言葉は俺は覚えちゃないが、人に傷つけられた言葉は、ねちっこく覚えてる。
例えば、昔に大学の同学にミス研(推理小説研究会)に入ってることを言ったら「え、あんな部活入る人いるんだ」とか。最初の「え」で君もミステリ好きなの?って聞いちゃった。これは傷ついた。あのブス眼鏡のことはよく覚えてる。名前を言ってもいいが、それぐらいの理性は酔っていても残ってる。
あと、再受験した手前、平日に行くのはいやだったから妹の体育祭にかこつけて、母校の担任の先生に挨拶うがかったらうっかり同級生2人組に会ってしまって、他の同級生の話になって1年か2年大学に入ったあと仮面して医学部に入ったOくんについて「人生迷い過ぎだろw」って言ってたあの女とか。流行りかなんかしんねえが、バカ殿みたいなクソったれタレ眉毛メイクをしていた。お前、高校時代オレのこと好きって噂流れてたの知ってんだぞブス。でめえは、名前だけが有名な私大に推薦で入って、親のコネで地元に入社したんじゃねえか。そろそろ25だし、人生のどっかで迷ってればいいなって思うよ。

よし。太文字にするぐらいの理性も残ってるぞ。

で、多分一番傷ついた言葉の話。
英語科の友達が、ゼミの先生に英語の本一冊読んどけと言われたらしく、そういえばあんた、そういうの詳しいよねって訊かれたんでこっちはミステリオタクなのをオタク特有の早口にならないように気をつけながら「クリスティとか読みやすいんじゃない?」とか薦めた。ちゃんと読んでくれた。その子はいい子。

しばらくして、どうだった?と聞くと、そのゼミの先生は「あ、フィクション読んでるんだ」と言われたそうだ。

「あ、フィクション読んでるんだ」

その先生はノンフィクションしか読まないそうだ。
この台詞はヤバい。フィクションなんてこの世でどうでもいいんだとしたら、ぼくの友人の9割方死んでいる。作家から単なるアニメオタクまで。全員死んでいる。ぜーんぶフィクション。

この世界のある種の現実はフィクションでしか語ることはできないんだよ。ほんとに。
これはオレの言葉じゃないけど、そうなんだよ。
英語圏を語るのに聖書を知らないなんてちゃんちゃらおかしい。聖書は、フィクションだからこそ紀元前何世紀から今までずっーと、根付いていて、めんどくさくもあるけど(昨日インターフォンに出たら、おばさんが「私たち、聖書を研究するエホ、、」と言われてガチャって切った)、それは精神で、それは言語まで深く根を下ろしている。英語は比較的若い言語だ。オレはラテン語は医学用語の単語しか知らないが、ラテン語もそうだろう。
シェイクスピアも無視できない。オレは今まで一度も言語を専門的に勉強していないが、それぐらいはわかる。

オレは作家でもないが、作家に会ったことはあって、作家が妄想を書き留めていると思うならバカも大概にしろ、と言いたい。
作家は自分の妄想を書き連ねているのではない。自分の現実を書いているのだ。それがどんなに荒唐無稽な話に他人からみられようと、現実だ。首が切断されたあと奇跡的にダルマ落としで他の人の胴体とくっついてしばらく生きていた話も、男の前に蛇が母親として現れる話も。

オレは本ならミステリやSF、純文、他には演劇や音楽、絵画が好きだが、そのジャンルを攻撃する人たちの気持ちもわかる。くだらないかもしれない。オレにも嫌いなジャンルや話がたくさん溢れいてる。この世界のある種の現実はフィクションでしか語ることはできない。だから世界には物語があるし、世界に留めておこうとする人がいるんだ。

「あ、フィクション読んでるんだ」

この言葉はぼくの友人(それは仲がいい人もぼくが苦手だった人も)全員に内包して喧嘩を売っている。大学で専門にドイツ文学を研究している人(個人的にはそれじゃあ食えないだろとは思うが文学を前にそんなことどうでもいい)、売れないミュージシャンや役者、ただの漫画好き。
脳の論文とかしか、その先生は読まないそうだ。ブローカー言語野とかウェルニッケ言語野とか、まさに俺が読まないといけない話だろうけど、それも大事で、とっても面白いのだが、「物語」を全否定する姿勢はホント、ヤバい。だから、クソみたいな大学で教授とかいうクソみたいなことやってるんだろうと思う。会ってもいない先生にここまで敵意をむき出しにする。

くやしいなあ、ムカつくとか、ヤバいとかしか言えないなあ。
くやしいなあ。くやしいなあ。酔ってるなあ。

著作権は大事だけどめんどくさい

たまに最近、誰かの結婚式だったり、部活?サークル?用の動画を作ってくれると頼まれる。
それ自体は嫌ではない。嘘。ちょっとめんどくさい。
演出助手とか、お手伝いとか、やってたことあったけど、ぼくがそれを愛していないと結構めんどくさい。ただ愛があれば、ぼくは結構、有能に働けると思う。
だから新郎新婦のことも頑張って、愛せばいいんだよね。見ず知らずの、そんなにかわ、、ケホン、女の人を愛するのは難しい。こっちはずっと画面越しに顏を繰り返し眺めて作業する。煙草くわえて、ヘタしたらパンイチで。
まあ、向こうもプロクオリティなんか期待してないっしょ。と思いながら、それなり自分のこだわりで作る。
まあフォトショとかAEとか、きっかけがないと弄らないし、いいんだけど!

で、最近はYouTubeにそういうのをあげるのが主流なんだよ。
そーすると、音楽がひっかかるわけ。それ自体はいいんだよ。著作権は大事。ピッチを弄るなんてことはしない。
で、フリー音楽探すわけ。正直クオリティが低いというか、一発でネットで拾ってきたなってモロバレな音楽しかないのよ。
なんというかノッペリしてるというか、ギャルゲーっぽいというか。悲しい曲ならマイナー調、明るいなら明るいとハッキリしてるんだよな。
その、自分の「こだわり」のラインとして流石にな、ってレベルになってしまうし、頼んでくれた人(カッコつけて言えばクライアント)の意向にも沿ってないしで、モヤモヤする。
クラブミュージック系とかは、ぼくが聞く限りでは結構レベルが高いと思うんだが、それも使い所が限られるからねえ。それにぶっちゃっけクラブミュージック系の曲それぞれの違いはわからん。

リミックス系の曲ってどこまでがアウトでセーフなんだろうね。電気グルーブShangri-laとかギターの弾いてみた動画とか。
同じように小説とかも一緒で芥川龍之介とかも結構グレーだよね。ネタ元が古いからセーフか。
漫画の「月光条例」とか絶対、話を途中で変えざるえなくなってたでしょ。無能な編集者のせいで。青鬼が泣いてるよ。

なんか知らないけど、公に公開してる、って意味では一緒なのに演劇の世界は許されてるよね。曲、バンバン使ってるけど。JASRACさん、チャンスですよー!下手したら小劇場ですら3000円も取るんだぜ?ぼくが知らないだけで、そういう団体は納めるところにキチンと納めているから3000円もするのだろうか。それとも、演劇は法律で許されてるのだろうか?カタチに残らないからオッケー!みたいな。でもDVD売ってる団体もあるぜ?うーん、よくわからん。

とりあえず曲については、もう自分で作るか、作曲する友達を作るか、だな。うわ。両方ハードル高!
今のヤツはまあ、適当にフリーのヤツで、、どうせ俺もフリーで使われてるし、、、

ぶっちゃっけ徹夜で眠いっすね。だから口調も雑い。もう朝の9:00だよ!

映画の感想とか

映画や小説で、人間性など変わるはずもなく、もし何かあるとするなら、ただ自己の再発見があるのみである。
だからぼくは本を読むのだけど。

親切なクムジャさん」っていう映画をさっき観ました。
うーん、まずいなあ。どうも自分は子どもが絡むと冷静でいられないようだ。同監督の「オールドボーイ」の方が、出来は良いと思うのだが、自慢でもなんでもなく復讐するならコレだろとオチが読めて、へえ韓国映画ってやっぱ、話に聴いて通りおもしろいんだなあって感じで観られた。
一方クムジャさんは、勿論、いい映画なんだけど、客観視出来てないなあ。色彩とか音楽とか構図とか計算されてると思うんだが。

是枝監督の「そして父になる」も同じように、客観視、できない。あれは良くも悪くも福山雅治のプロモーションビデオの面もあるからだいぶ助かったが。ひと時も心が休まる暇がない。是枝監督なら「空気人形」とか純粋に好きー!って言えるんよ。

うーん。まずいなあ。一応小児科志望だったり、現時点ではするのだが、冷静でいられないなら、考え直すべきかもしれない。
うーん、まずいなあ。

 

 

 

そして父になる

そして父になる

 

 

おいしいよね(性欲と食欲)

知り合いに、美人、というか、清楚が白い服を着てピアノを弾ているような人がいるんだが、細い見かけに反してよく食べる。
何故だか、その人が食べる様子を見ると自分の中の好感度みたいなものがどんどん下がっていく。今はわりと低い。勝手に綺麗だと思って、勝手にがっかりしているんだから向こうにしてみれば失礼な話である。実際なんかの拍子にそれを告白して、相変わらず変な奴だなという顔をされた。
決して食べ方が汚いとか、むしろお嬢様であることがわかる上品な食べ方だと思うのがとにかくよく食べる。もしかしたら、普通程度の量かもしれないが、唐揚げとかチャーハンとかをパクパク食べるのにヒいてしまうのである。ピンクの綿あめみたいなふわふわしたものだけを少量食べていてほしい。

そもそも自分自身あまり人に食事をしているようすを見られるのが苦手である。性欲は恥ずかしいもの、として扱うのに、食欲は大ぴらにしてよいという風潮に違和感を感じている。時々人とごはんを食べたりするのは、自分は多少露出癖というか、変態性があるのでできる。実際時々、誰かとごはんをたべるのは楽しい。ただそれは時々だからである。露出狂のサラリーマンは、普段抑圧された日常をおくるから、時々、裸で町に出没する。

毎日 食事を食べないといけないのがめんどくさい。人類が食事を毎度摂取せずにすむサプリメントかなにかが開発されたらいの一番に試したい。食事がはやく娯楽になってほしい。

 

種の保存と繁栄に必要不可欠な性欲は公益的性格を持つが故に罪深いものではなく、むしろ個体の生存にのみ必要不可欠である食欲の方が独善的性格を持ち、罪深く恥ずかしいことである。


というのは、藤子F不二夫のとある短編の世界観だが、ここまでキチンと言語化できてはいなくても、そんな思いがあるのだろう。
この短編の存在を知って悔しかった。この考えは何かしら小説か戯曲かコントか何かのネタにならないかなと転がしていたので。F先生のこのテーマに何かしら自分なりの+αができたらその時に形にしよう。まだこの短編は読んでいない。

別に世の女性も、男性でも、全員が食べている様子が嫌いというわけではない。おいしいものを食べている笑顔が純粋に素敵な人だったり、この人美人なのにごはん食べているよハァハァと性的興奮につながる人もいる。ただ冒頭の人のように幻滅する人もいる。自分は変態だと、言いながらぼくはロマンチストでもあるので、欲、を大ぴらにする行動にひいてしまう潔癖なところもあるのだ。
太っている女の人は食欲も強く、だらしないから、性欲も強くエロい、というのは経験則的には嘘だ。ただ背の低い女性がエロいのはガチ。科学的にもエストロゲンの分泌により骨の成長は止まる。そして周りの年齢の子よりも大人びるのが早くて、その結果成人してもエロいままなのだ、社会学的にも正しい。という説をぼくは唱える。そもそもエロいっていうのは男性的なのでエストロゲンの支配を受けないって声は聞こえない。まあ人類皆エロってことで。一方みんな夢見る乙女なのだ。


SNSなどでごはんの写真をアップする人って結構いると思うが、「今からこれ食べまーす(#^^#)」って、ち〇この写真アップロードしていたらドン引きするだろう?

 

#・3・#<いや、それは言い過ぎ!

 

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痛み

昔、熱心にブログを読んでた人のブログが最近更新されてないな、と思って一番最近の記事を読むとどうやら病気になってしまったらしい。
ん? 妙にわかりにくい文章だな。


兎に角、知り合いが病気になった。
初めから病気な人を知るのと、元気だった頃を知ってる人が病気になるのとでは、大分こちらの感情は変わる。
一応医学を囓ってる身としては病名を聞くと、それはヤバいっすねと、頭に勉強したことが色々と浮かんだ。
一日も早いご快愈を本当に心から願うばかりです。

 

痛いのってツラい。当たり前のことだけど、意外とこれを理解してるのは自分が痛い時だけだと思う。そして痛みはすぐに忘れる。そうじゃないといちいち他人の痛みに共感覚してたら身体がもたないし(なんかそんなマニアックな精神疾患あったような)、忘れないと何もできなくなるだろうが。それでも、痛いのはツラい。
先日、親知らずを抜いた。たかが親知らずを他の病気、痛みと一緒にするなんてとも思うが、痛かった。かなり久しぶりに痛みを経験した気がした。処方されたボルタレンだけじゃ足りなくて薬局に駆け込んで市販のロキソニンも買った。悪くもないのに身体にメスなんて入れるもんじゃないな、と感じた。保険適用されてるし、ほっといたら顎が痛くなってたかもしれないが、その時は自分は不都合を感じてなくてわざわざ歯茎を切って抜いたのだから、そう感じた。先生からも事前に数日は痛みますよ、と言われたけど、その時は、あまり深く考えてなかった。

上で、久しぶりに痛みを経験した気がした、と書いた時は、最近風邪も引かないし、怪我もしないしなあとオレ男だし生理痛も、と思いながら書いたわけだが、突然お腹が痛くなったり、頭が痛くなったり、うっかり足をくねったり、よく考えたら痛い思いはよくする。要は人は忘れるのだ。

内臓痛とか体性痛とか、患者さんの言葉で言えばシクシクした痛み、どーんとした痛みとか、色々な表現をするし、聞き出すが、他人の痛みというのは本当のところはわかることはできない。医者は共感したくて聞き出しているわけではなくて、診断のためだけど。よく男性に生理の辛さを教えるみたいなイラストやツイートを見かける(あれは生理がどうだとかいう次元ではなく低俗で下品だ)が、あれだって個人差があるだろう。昔、お腹が痛くてお医者さんに「お腹のなかで小さい人らが暴れてるような痛み」と伝えて自分では言い得て妙だ、と思ったが、お医者さんはピンとこない顏をされていた。

母の薬局で事務作業の手伝いをしている最中、母の仕事ぶりを観察していると
「コレ飲めば治るかえ?」
「コレで痛くなくなるの?」
と聞いてくる患者さんがかなり多くて驚く。
「治る」っていう言葉がどちらかというと「直る」の響きで、もと通りに戻ると信じて疑わないようだった。おじいちゃんアンタ歳いくつよ、そりゃあ十代のようには動けないさ。

と言いつつ、恐らく次のノーベル賞あたりでまたテロメアテロメアーゼ関係かオートファジーかが取りそうな気がする。「若返り」は人類が誕生して以来様々な手段で古今東西挑戦し続けた。賢者の石からSTAP細胞、顔にヒアルロン酸を塗りたくるなど怪しいものも沢山ある。テロメアと自食は自分の知識をひけらかしたいというより、当たったらすごいねってことで書いておく。あとCRISPR-Cas9システム。去年の組織学の先生がカリキュラム外のことでやたらアンチエイジングについては語っていた。


「痛みはすぐに忘れてしまうから。だから私は忘れないように毎日毎日思い返していたのに!」

ケラリーノ・サンドロビッチの(いつもこの人を敬意を込めた呼び捨てにしていいか迷う)フローズン・ビーチでちーちゃんにこんな台詞があった。クソ!手元に戯曲がないのがもどかしい。もっと気の利いた、「刺さる」台詞回しだった。

身体の痛みとかココロの痛みでも失恋とか恨みとかは忘れたほうがいいけど、自分が原因で降りかかった災難とか、その反省とかも忘れてしまって結局同じことの繰り返しは避けたいし、今なう痛みがあってもその痛みを全くなくしてしまうよりも上手に痛みと付き合っていきたいな、と自分自身についてはぼくは思う。