内緒だよ

リニューアルに当たってなんかカッチョいいブログ名にしようと思ったけど、ぼくのブログとしか言いようがないや。

最近話になった演劇についてのオレ論的ななにか

なに言ってんだこいつ。

  • 2014.05.17 Saturday
  • 15:57
 
なんか何かに発信したいけど、取り立てツイッターで結局お前の結論何?みたいな長文書くのもなんだかなと思うのでこちらに書きためる。

ま、話の発端はこの記事でして

ニコニコ動画が変えた新しい演劇の見方――劇団キャラメルボックス、舞台を生放送する理由 (1/2) - ねとらぼ http://t.co/2lN5aLkiYu

何回かぼくの出てる芝居には見にきてくれたが、結局俺芝居好きじゃないと思うって言ってる人がこの記事を見つけてきた。そいつにとってはこれだったら演劇観てもいいかもという感じだろうか。

色々と話は別れるのだが、まず演劇を映像にすることについて。
実際ぼくも、数枚演劇のDVDをプロアマ問わず持っているのだが、正直「まともに」観れるものが少ない。
ぼく個人の能力というか、身につけようとしている能力として舞台全体が映されていれば、演出がどの辺りにお客の視点を集めようとしているか、またはたいていのお客さん(俳優ファンやひねくれた人以外)の視線の集まる場所が推測できる。
ただ演劇に始めて触れる人が映像でそんなこと理解できるとは思えない。
それに、この能力は「狙い」が推測できたとしても「狙い」にハマるわけではない。たとえば、演出の人がこのシーンはシリアスにしようとして上手(舞台右)に出てる役者を集めてみる。
実際に生で舞台を見れば、お客さんに「うわーシリアス」と肌で感じてもらえるが(その視線の移動が上手くいってればね)、映像だと「シリアスにしようとしてなーあーこーすれば、いいのか」になる。

そういうわけで舞台において重要(と少なくともぼくは思う)要素が映像だと抜け落ちている。
で、これの対策としては複数カメラを用意すればいい。もちろん人件費は単純に考えれば2倍3倍増えるが。
これによって、あとで編集すれば、有る程度本来の視線の移動が再現できる。
ただこれには問題点がいくつかある。
まず演出家は映像の撮り方、カメラワークによる効果、編集方法を知らない。映画監督もする演出家はいらっしゃるだろうが全員がそうではない。
もちろん、映像さんがその意図を取り込みながら映像を作っていけばいいのだが、あまり連携が取れてない気がする。
一つ大きな要因として、演出家が照明さんや舞台さんと連携を取って作品を作る感覚と違って、演出家のなかで「終わった」ものだからだと思う。まあ記録は欲しいし、物販でも売れるし、くらいの感覚ではないだろうか。

つぎに、これは話すと長くなるので割愛するが、お客さんはある一点に集中してもいるが、無意識に舞台全体も把握していて、それが彩りになる。見方をお客さんに取捨選択させて能動的に劇を見てもらうことはよくある。
それを切り落としてしまいがちになるカメラを使いこなすのは非常に困難。

以上のことは、わりとまあ最近意識されてる気もする。
ただまあ、音声については絶望的に酷い。
音量バランスというものがまるでできていない。
編集する人はその劇そのものを観ているせいなのかなんなのか音量が極端小さくなったり、大きくなったりする。機械的に処理すると実際はそのボリュームなのだろう。
ぼく自身DVDを観ながらリモコンを握ってボリューム調節しながらみたことが数回ある。別にアマチュア劇団に限った話ではなく、世界的に有名(?)な劇団でもあることだ。
人間の耳とは以下に繊細に人の声を拾うものか痛感し、感動すら覚えた。
カメラ3台準備するくらいならカメラ1台とマイク3台準備したほうがいいとぼくは思う。
また映像さんも、色彩やら構図やらにこだわる人は多くても、音にこだわる人は少ないのかなと勝手に思っている。

以上の点からぼくは、演劇をそもそも映像化できていないと感じる。(できないと言っているわけではない)

そして以上の点をクリアしたとしてもそれは面白いのだろうか。
多分だが、従来の完成した芝居を映像にするのではなく、映像化を最終目標に芝居を作った場合、芝居そのものが変わっていくと思う。わかりやすい具体例だと、画的にわかりやすく派手なものが好まれ、役者は腹から声を出さずピンマイクを全員着けている。あれこれって…?

まあ、冗談は置いといても、「映像として面白い演劇」をテレビやらネットやらで多くの人に興味持ってもらい、実際に劇場に来たとしてもそれは彼らが期待してた面白さではない。そして、ああやっぱり演劇って面白くないなと思っていく。

要するに、色々な人に演劇観てもらうには面白いということを伝えないといけないのだが、
ネットで映像流すことについて

今の映像はちょっと状態が酷いものが多いよ→それを観た連中が演劇ってクソとなって演劇観ない



映像として面白い演劇ができた→それを観た連中が劇場で演劇観たとしても、期待したものと違う。その人は演劇から離れる(ネットだけで演劇を見続ける新時代の観客はできるかもしれないから、それはそれでいいかもだが)

って感じかな。
ちょっと話がネット配信以前の話になったけど。また今度ネット配信について書いてみるかも

つーか、そもそもとして、ぼくの友達もそうだけど、友人が役者で出てるから舞台観るっていうパターンがわりとあるけど、映像云々以前に世の中つまんねー芝居が多すぎるんだよ。ただでさえ、知り合いが出てるっていうのでなんか劇に入り込めないっていうのに。
なに言ってんだ俺。
何言ってんだついでに書くけどさ、上のキャラメルボックスのあれって新規顧客獲得を目指してるんじゃなくて、従来の客への新しいサービス(良い言い方をしたら新しい楽しませ方、嫌な言い方したら儲け方)じゃないか?楽屋放送とかさ、コメント機能とかさ。演劇の他の観客との共感や疎外感は、流れる文字じゃない。肌で感じろ!

結局ぼくがあんまりいい案と思えない理由はぼくが演劇の一番で(唯一?の)魅力である、視覚、聴覚、触覚が全て台無しだと思うからか。